伊香郷、伊香色謎命、欝色謎命、

開化・崇神天皇の時代

伊香色雄と伊香色謎の時代に物部氏は天皇家と密接に結託して大躍進する。

大矢口宿禰の子の欝色雄命(穂積氏祖)が孝元天皇妃となり、大彦・開化天皇が生まれ、物部本宗の穂積氏が天皇家の外戚となる。

崇神天皇は開化天皇の兄・大彦の娘の御間城姫を皇后にし、尾張氏が躍進する。

伊香色謎の子孫は、伊香色謎―彦太忍信―屋主忍男武雄心―武内宿禰―葛城襲津彦―磐之姫(16代仁徳天皇の皇后)

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伊香色謎命、孝元天皇妃、開化天皇の皇后、崇神天皇の母
伊香色謎命(生年不詳 – 崇神天皇元年1月13日以降)は、孝元天皇の妃、開化天皇の皇后。古事記には伊迦賀色許売命(読み方同じ)とある。父は大綜麻杵命で、母は高屋阿波良姫。同母兄に伊香色雄命がいる。彦太忍信命(父は孝元天皇。武内宿禰の祖父(記では父)。磐之媛命の高祖父(記では曾祖父))・崇神天皇(父は開化天皇)の母。
孝元天皇2年、孝元天皇の妃となった。開化天皇6年1月14日、亡夫孝元天皇と叔母(伯母)・皇后欝色謎命の皇子である開化天皇の皇后となった。崇神天皇元年1月13日、崇神天皇の即位と同日に皇太后となった。
欝色謎命、孝元天皇の皇后、大彦・開化天皇の母
欝色謎命(生年不詳 – 開化天皇元年1月4日以降)は、孝元天皇の皇后。古事記には内色許売命(読み方同じ)とある。父は大矢口宿禰命(大水口宿禰命とも)で、母は坂戸由良都姫。同母兄に欝色雄命(穂積氏祖)がいる。大綜麻杵命(伊香色雄命・伊香色謎命の父)の同母姉(妹)。大彦命・開化天皇の母。
伊香色雄命
伊香色雄は肩野物部の祖で、天野川の南方の伊香賀(枚方市伊加賀)に住み、その地域を支配した。
邸宅内に高龗神(たかおかみのかみ、水神・竜神)を祀った。系図を見ると伊香色雄は素戔嗚の8代目で、9代開化天皇と10代崇神天皇に仕えました。

素戔嗚―饒速日―宇摩志麻治―彦湯支―出石心―大矢口宿禰―大綜麻杵―伊香色雄

天野川の上流なる磐船神社の巨石を物部氏の祖神饒速日命が天降った時の「天の磐船」とする伝えがあり、この伊香色謎は茨田郡出自である。
現在の意賀美(おかみ)神社の地(大阪府枚方市枚方上之町1-12)は元の須加神社(素戔嗚尊)の地で、意賀美神社は近くの伊加賀村宮山に鎮座していたが、明治時代に宮山から現在地に遷座して素戔嗚尊を合祀した。当社は万年寺山に鎮座している。

万年寺山古墳
1904年に発見されました。主体部は粘土槨で青銅鏡8面と鉄刀が出土しました。築造年代は4世紀中頃で、伊香色雄の没年は4世紀前半ですから伊香色雄の墳墓かもしれませんね。枚方市史によると、「意賀美神社は9代開化天皇の頃、当地の豪族伊香我色雄命が淀川の水害排除と舟の航行安全を祈願して、その邸内に創建したのが始まり」とあり、淀川の水神(竜神)を祀ったのが最初と考えられる。

近江の伊香郷
伊香の名を持つ物部氏と近江の伊香は関係あるという説があります。枚方の伊香郷との関係はある。
吉田東伍氏は、伊香の地名を現在枚方の意賀美神社のある河内国茨田郡伊香郷に由来する、物部氏の勢力扶植の結果と見ました。
また、太田亮氏も本来は物部氏の同族だったものが、中臣氏へ変化したものとしているそうです。

古墳は古墳時代前期から累々と築かれており、縄文、弥生時代に比して古墳時代に人口が急増したようである。古墳築造にはそれなりの人材が必要であり、伊香郡にも石作神社(石棺製作)、玉作神社(勾玉製作)、丹生神社(土器製作)などそれぞれの製作担当の元祖を祀ったと思われる神社が散見する。

関連する氏族は、伊香連と伊香具神社、石作部と石作神社、玉作部と玉作神社(当郡大字唐川・横山で弥生中期からの玉作工房跡・子持勾玉が発掘されている)、また佐味神社は『新撰姓氏録』右京皇別上の佐味朝臣に関わるものであろう。比賣多神社は比売陀君の奉斎になるものである。この氏族は『古事記』開化天皇及び履中天皇段にその名が記載されているにもかかわらず、平安初期の『新撰姓氏録』には全く見えない点で注意を要する。

近江の長浜市に石作玉作神社がある。伊香郡の式内社である石作神社と玉作神社を延宝五年(1472)に合祀したもの。千田集落の南に古字石作があり、石作神社の旧地とされる小丘があり、紅梅の老樹があったと言う。ここから勾玉、管玉、砥石などが発見されたと言う。 石作神社は石作部の祀る神社であって、祭神を祖神の天火明命としている。玉作神社は玉作部に関わる神社であり、玉祖命を祀ったのである。別名を天明玉命や玉屋命と言う。 

伊香具神社と意美志留命
672年に伊香姓を賜姓した近江、伊香氏の元祖は、臣知人(おみしるひとのみこと・意美志留)といいます。この筋が伊香具神社社家となります。
近江國伊香郡 伊香具神社 名神大
御祭神 伊香津臣命
滋賀県長浜市(旧木之本町)にある。参道は100m以上あるかもしれない。
鳥居左右に三輪鳥居のように脇鳥居が付いている。境内の案内では「伊香式鳥居」というらしい。
左右の境内社は、天表春神社(天表春命)と天下春神社(天下春命)。
創祀年代は不明。社伝によれば天武天皇白鳳10年以前であるという。
創立以来、現在地に鎮座し、遷座等の記録は残っていない。
社名の「伊香具」は、「いかぐ」「いかご」とも呼ばれているようだ。
祭神は伊香津臣命。天児屋根命の五世孫(あるいは六代孫)である。
伊香郡に居住した伊香連の祖神であり、伊香連は藤原氏と同祖という。
香具山の中腹に、奥ノ宮があり、天児屋根命を祀っているらしい。

枚方の伊香郷と意賀美神社

伊香色謎は北河内茨田郡で生まれたと考えられる。その名は、かつての伊加賀村、現在の枚方市伊加賀の名を負うものである。和名抄は河内国茨田郡に「伊香郷」を記し、「以加古」と読むと注記をほどこしている

意賀美神社は、元は現在地から約100m南の旧伊加賀村字宮山に鎮座していた。創建の年代は不詳であるが、開化天皇の時代には饒速日命の五世の子孫で物部氏の遠祖である伊香色男の邸宅がこの地にあり、その敷地内に鎮座していたという。祭神の高龗神は水神であり、淀川の鎮守として創建されたものとみられる。延喜式神名帳では小社に列している。旧伊加賀村の氏神として、明治5年(1872年)に村社に列格した。
現鎮座地の万年寺山にあったのは須加神社であった。須加神社は元は牛頭天王社(祇園社)と称し、貞観14年(872年)、流行していた悪疫の終息祈願のため、当地にあった長松山万年寺の開祖・聖宝が牛頭天王を勧請して創建された。
日吉神社は岡村の鎮守神で、元は山王大権現と称していた。創建の年代は不詳であるが、一説には淀川の洪水で流れついた日吉大社の神体を祀ったのに始まるとも、最澄(伝教大師)が平安京の裏鬼門に当たるこの地に阿弥陀仏と日吉大神を祀ったのに始まるとも伝わる。
明治42年(1909年)10月14日、須加神社と日吉神社は意賀美神社に合祀された。境内が狭いため、翌10月15日、万年寺山の元の須加神社境内に遷座した。