仲哀天皇、允恭天皇

仲哀天皇
『古事記』では「御陵は河内の恵賀の長江にあり」とある

恵我」の地名 「恵我(えが)」は、「会賀・餌香・恵賀・衛我」とも書かれて、古代の河川名・ 地名などとして書物に出てくる
古事記での所在地名 が「河内恵賀之長江」で、 允恭天皇陵の「河内之恵賀長枝」と同じ地域と考えられる

允恭天皇の恵我長野北陵に治定されている宮内庁陵墓

第19代・允恭天皇は仁徳天皇と磐之媛命<(いわのひめのみこと)の間に生まれた第4子である。同母兄に第17代・履中天皇>、第18代・反正天皇がいる。兄の反正天皇が治世5年で崩御した。2年間、大王位は空位が続いたが、妃の忍坂大中姫(おしさかのおおなかつのひめ)の強い要請を受け即位した。西暦412年のこととされている。