ウエツフミ、上記、ウガヤフキアエズ王朝

1837年(天保8年)に豊後国(現在の大分県)で発見された。『上紀』、『上津文』、『上つ文』、『ウエツフミ』とも書き、『大友文献』、『大友文書』などともいう。神代文字の一種である豊国文字で記されている。

『上記』の序文には、1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂したとあるが、一般に史実とはみなされていない。

現存する『上記』の写本には、宗像本系と大友本系との2つの系列がある。

1.宗像本とは、豊後国大野郡土師村(現在の大分県豊後大野市大野地区)の宗像家に伝えられていた古文書を、国学者幸松葉枝尺(さちまつ はえさか)が筆写したものである。

2.大友本とは、豊後国海部郡臼杵福良村(現在の大分県臼杵市福良)の旧家大友家に伝わっていた写本である

 大分県には『上つ記』(大分県立図書館蔵)という神代文字で書かれた古文書が存在している。『上つ記』というのは、天保2年(1831年)、豊後国大分郡大分町に住む国学者である幸松葉枝尺(さきまつはえさか)により、旧家から発見された古文書で、全文記号のような奇妙な文字、いわゆる「神代文字」というもので綴られていた。時代は鎌倉、編纂者は豊後大友家初代能直となっている。「神代文字」で書かれた古文書の「新治の記」、「高千穂の大宮司の伝書」、「日向国主元雄の伝書」を基本に各地の古文書を総合したものである。「山人族」の研究で著名な三角寛博士の研究によると、『上つ記』の神代文字は「豊国文字」といわれるもので、古来よりサンカと呼ばれる独特の社会を形成し山々を渡り歩く民、山人族のあいだで用いられていたものであるということが判明した。また、さらに驚くべきことに、ウエツフミの編纂者である大友能直が「豊国文字」でかかれた古文書を奪うべく1600人もの山人族を虐殺したという言い伝えを得ることもできたのだ。つまり、元々は山人族の伝承であるということなのである。この古文書に書かれている内容と巨石の文字を照らし合わせてみると、実に驚くべき一致を見た。『古事記』では、神武天皇が初代天皇ということになっているが、『上つ記』によると神武天皇以前に72代にものぼるウガヤフキアエズ朝というものが存在したとのこと

竹内文献・ウエツフミ
竹内文書より()内のカタカナはウエツフミより

55代から68代までは『ウエツフミ』では原本が散逸してしまい本文が存在していない。
1代 武鵜草葺不合身光天津日嗣天日天皇
2代 日高日子身光天日天皇軽島彦尊(カルシマヒコ)
3代 真白玉輝彦天日天皇(マシラタママカガヒコ)
4代 玉噛尊天津日嗣天日天皇(タマカミヒコ)
5代 天地明成赤珠彦天日身光天皇(アメツチアカリナスアカタマヒコ)

6代 石鉾歯並執楯天皇天日天皇身光天皇(イワホコハナメトリタチ)
7代 櫛豊媛尊天日身光媛天皇(クシトヨヒメ)
8代 光徹笑勢媛天皇天日身光媛天皇(ヒカリトオルワラワセヒメ)
9代 千種媛天皇天日身光媛天皇(チグサヒメ)
10代 千足媛天皇天日身光万国棟梁天皇(チタラシヒメ)

11代 禍斬剱彦天皇天日身光万国棟梁天皇(マガキルツルギヒコ)
12代 弥広殿作天皇天日身光天皇(ヤヒロトノツクリヒコ)
13代 豊明圀押彦天皇天日身光天皇(トヨアカリクニオシヒコ)
14代 火之進奇猿媛天皇天日身光天皇(ホノスセリクシマシラヒメ)
15代 臼杵天皇天日身光天皇(ウスキネヒコ)
16代 産門真幸天皇天日身光天皇(ウブドマサキ)
17代 表照明媛天皇天日身光天皇(ウワテルアカリヒメ)
18代 依細里媛天皇天日身光天皇(ヨザミサトヒメ)
19代 少名形男彦天皇天日身光天皇(スクナガタオ)
20代 天津明少名大汝彦天皇天日身光天皇(アマツミノリスクナオオナヒコ)
21代 天饒明立天皇天日身光天皇(アメニギシアカリタチ)
22代 天押開神魂彦天皇天日身光天皇(アメオシヒラキカムタマヒコ)
23代 天饒国饒狭真都国足天皇天日身光天皇(アメニギシクニニギシサマツクニタラシ)
24代 天饒国饒黒浜彦天皇天日身光天皇(クロハマヒコ)
25代 富秋足中置天皇天日身光天皇(トミアキタラシナカオキ)
26代 種浙彦天皇天日身光天皇(タネカシヒコ)
27代 建玉天皇天日身光天皇(タケタマヒコ)
28代 天之海童楽之雄天皇天日身光天皇(アメノイソリヱラギノオ)
29代 神豊実媛天皇天日身光天皇(カムトヨミヒメ)
30代 円脊之男天皇天日身光天皇(マロセノオ)

31代 橘媛天皇天日身光天皇(タチバナヒメ)
32代 花撰媛天皇天日身光天皇(ハナヨリヒメ)
33代 清之宮媛天皇天日身光天皇(スガノミヤヒメ)
34代 八千尾亀之男天皇天日身光天皇(ヤチオカメオノオ)
35代 花媛天皇天日身光天皇(ハナヒメ)

36代 若照彦天皇天日身光天皇(ワカテルヒコ)
37代 松照彦天皇 天日身光天皇(マツテルヒコ)
38代 天津太詞子天皇天日身光天皇(アマツフトノリトヒコ)
39代 神足伊足彦天皇天日身光天皇(カムタラシイタラシヒコ)
40代 神楯媛天皇天日身光天皇(カムタテヒメ)

41代 神楯広幡八十足彦天皇天日身光天皇(カムタテヒロハタヤソタラシヒコ)
42代 鶴舞媛天皇天日身光天皇(ツルマヰヒメ)
43代 豊足大御中天皇天日身光天皇(トヨタラシオオミナカ)
44代 大炊気吹天皇天日身光天皇(オオカシキイブキ)
45代 空津争鳥天皇天日嗣天皇(ソラツアラソヰカラスタケ)
46代 鳥言足清男天皇天日嗣天皇(カラスコトタリスガオ)
47代 大庭足媛天皇天日嗣天皇(オオニワタラシヒメ)
48代 豊津神足別天皇天日嗣天皇(トヨツカムタラシワケ)
49代 豊足彦天皇天日嗣天皇(トヨタラシヒコ)
50代 神足別国押之女天皇天日嗣天皇(カムタラシワケクニオシヒメ)

51代 国押別神足日天皇天日嗣天皇(クニオシワケカムタラシ)
52代 天津紅之枝玉天皇天日嗣天皇(アマツホノヱタマヒコ)
53代 天開明知国束天皇天日嗣天皇(アメヒラキアカリシリクニツカ)
54代 高天原輝徹国知天皇天日嗣天皇(タカマノハラカカリトオルクニシリ)
55代 天津玉柏彦天皇天日嗣天皇(【欠落】アマツタマカシハヒコ?)
56代 天津成瀬男天皇天日嗣天皇(【欠落】アマツナルセノヲ?)
57代 天津照雄之男天皇天日嗣天皇(【欠落】アマツテルヲノヲ?)
58代 御中主幸玉天皇天日嗣天皇(【欠落】ミナカヌシサキタマ?)
59代 天地明玉主照天皇 天日嗣天皇(【欠落】アメツチアカルタマヌシテル?)
60代 天照櫛豊媛天皇天日嗣天皇(【欠落】アマテラスクシトヨヒメ?)

61代 豊足日明媛天皇天日嗣天皇(【欠落】トヨタラシヒノアカルヒメ?)
62代 天豊足別彦天皇天日嗣天皇(【欠落】アマツトヨタラシワケヒコ?)
63代 事代国守高彦尊天皇天日嗣天皇(【欠落】コトシロクニモリタカヒコ?)
64代 豊日豊足彦天皇天日嗣天皇(【欠落】トヨヒトヨタラシヒコ?)
65代 勝勝雄之男天皇天日嗣天皇(【欠落】カチカツヲノヲ?)
66代 豊柏木幸手男彦天皇天日嗣天皇(【欠落】トヨカシハギサチテヲヒコ?)
67代 春建日媛天皇天日嗣天皇(【欠落】ハルタケヒヒメ?)
68代 天津日高日子宗像彦天皇天日嗣天皇(【欠落】ムナカタヒコ?)
69代 神足別豊耡天皇天日嗣天皇(カムタラシワケトヨスキ)
70代 神心伝物部建天皇天日嗣天皇(カムコロヅテモノベタケ)
71代 天照国照日子百日臼杵天皇天日嗣天皇(アマテルクニテルヒコモモカヒウスキ)
72代 彦五瀬天皇天日嗣天皇(オオワダツヒコイツセ)

神倭朝・1代 狭野尊天日嗣天皇(73代 カムヤマトイワレヒコ、幼名ヒタカサヌ)
74代 神大倭大磐余彦火々出見命 (『ウエツフミ』にだけ記述がある、幼名カムヌナガワミミ)

山陵

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