神社の神紋

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  • 阿部神社 安部神社 (大町市)
    阿部神社
    あべじんじゃ
    [長野旅行] 長野県大町市大字平字城浦9700  Zenrin Data Com Maps display !!

    !違い鷹の羽
    御祭神
    安倍貞任 安倍宗任

    長野県大町市にある。
    大糸線・信濃木崎駅の北1.5Kmほどの平に鎮座。
    148号線を北上し、木崎湖入口から西へ入り、
    湖を右に見て北上すると仁科城(森城)趾に仁科神社が鎮座。
    その後方、木崎湖のほとりに当社境内がある。
    現在の地図では木崎湖の西岸だが、昔は西側にも湖が延びており
    木崎湖に半島状に突き出た丘だったようだ。

    鎮座地の字は城浦というが、城の裏ということだろうか。
    仁科城(森城)は平安時代から戦国時代まで当地を治めていた豪族・仁科氏の居城。
    大町市には仁科氏関連の史跡がいくつかある。

    当社には鳥居が存在しておらず、
    参道の奥にひっそりとした境内があるだけ。
    拝殿は入母屋造、本殿は流造。
    社殿の後方に進むと、木立の奥に木崎湖が見える。

    神社庁などの資料によると、当社の社号は「安部神社」。
    ただし、現地の案内には阿部神社とあり、
    祭神は安倍氏で、いろいろと混在しているようだ。

    創祀年代は不詳。
    仁科氏が祖である安倍貞任・安倍宗任兄弟を祀った神社で、
    古くから森集落の氏神として崇敬されてきた。

    前九年の役(1061)で奥州から落ちのびてきた安倍貞任は
    当地にて仁科姓を名乗ったという伝承があり、
    森の城に住んでいた貞任が、ある時、敵に追われて逃げ場を失い
    木崎湖の水中に潜って逃げた。
    ところが、日ごろ城中で可愛がっていた鶏と犬が主人のあとを追って木崎湖に入り
    それが目印となって、貞任が岸へたどり着いた所を捕らえられ殺されたという。
    当地にある「阿倍渡」という地名は、貞任が岸に上がった場所。
    「阿倍渡」周辺では、鶏と犬を祟りがあるとして飼わない風習が残っており
    「トリ」の音を忌んで、当社には鳥居がないそうだ。

    ただし、近年の研究で、
    仁科氏のルーツは安倍貞任ではなく、大彦命を祖とする
    奈良盆地南東部(現桜井市)に本拠をもつ阿倍氏であるとする見方があるらしい。
    大彦命は孝元天皇の第一皇子で、崇神天皇によって北陸道(高志道)に派遣された。
    古代の官道が、当地を通って日本海へ抜けていたのだろう。
    仁科氏は、その塩の道を支配して財を築き、中央文化を移入して多くの文化財を残している。

    社殿の屋根には違い鷹の羽紋が付けられている。
    これは安倍貞任の家紋ではなく、大彦命を祖とする阿部氏の家紋のようだ。
  •  伊勢神宮には古来神紋がなかった。それが明治になって皇室の紋章である十六菊を神紋とした。尾張の 熱田神宮の神紋は桐竹で、古来神衣に用いた図柄から来たという。 上下賀茂神社は、葵の葉を飾って葵祭を行った由緒から葵を神紋とした。三河の賀茂郡から発祥した松平氏は葵を家紋とし、後裔にあたる徳川家康は三つ葉葵を家紋としたのは、賀茂神社との因縁によるものである。そして、久能山・日光その他の東照宮は、いずれも三つ葉葵が神紋である
  • 三足鳥の八咫烏の神紋

    熊野本宮大社
    主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。
    歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。
    三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。
    平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。
    室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。
    明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されました。
    今、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされています。
    平成23年9月、紀伊半島大水害により、当社は再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けました。しかし、平成26年には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至ります。(熊野本宮大社のホームページより)
    熊野本宮大社【県】の神紋(家紋)
  • 奈良県の黒塚古墳
    30面以上の三角縁神獣鏡が出土しています。

    被葬者の頭部に置かれていたのは、13.5cmの画文帯神獣鏡ですね。しかも棺内にあったとは…三角縁神獣鏡は棺外ですから意味深です。大きな三角縁神獣鏡が棺外で、ちいさな画文帯神獣鏡が棺内です。これは大きく扱いが違います。鏡の価値の違いです。

    黒塚古墳の三角縁神獣鏡にはどんな思想があるのでしょう。
    神獣や東王父、西王母、が当時の思想を反映しているのは明らかです。


    これらの鏡の中で、一つ意味のわからない不思議な文様があります。

    クリスマスツリーのような不思議な木(?)でしょうか。奥野正男氏は「笠松形文様」と言われましたが、何でしょうか。この文様は三角縁神獣鏡に限られた文様だそうです。それからして、中国鏡ではないと奥野氏は主張されました。
    この文様は、黒塚古墳出土の鏡の半数近くに刻まれています。
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