絹、倭文

December 2018 編集されました カテゴリ: 出土品/交易
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平成八年夏、天理市の下池山古墳(三世紀末-四世紀初)から国産の銅鏡を包んだ袋としてブルーの絹織物や柔らかな兎の…

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コメント

  • 倭文は倭の国の文(織物)という意味になります。
    ただ、日本書紀の応神天皇の37年春のところに、日本からの求めに応じて「呉の王は、工女(ヌイメ)の兄媛・弟媛・呉織・穴織の四人の婦女を与えた」という記事が載っています。大阪府池田市に呉服(クレハ)神社があり、「呉織・穴織」の二人が祀られていますから、記事に見られることは実際にあったと思われます。となりますと、「呉織」は、工女の名前ということになります。  このようなことから、元々、絹のことを日本では、「しづまたは、しつ」と読んでいたのではないでしょうか? 」
    日本の絹も中国の絹も同じものであれば、わざわざ、日本の絹織り物のことを「倭文」と漢字で書く必要は無かったでしょう。日本の絹が素晴らしかったので、中国の人は、「倭文」と書き著し、読み方は、日本人が表現している通り、「しとり」と読んだと思われます。
    そこで、絹を作っているところでは、「しつ」「しづ」「しず」の地名が生まれたのでしょう。その例を記しておきます。
    鳥取県には、倭文神社が二ヶ所あります。その一つは、旧の住所で、東伯郡北谷村志津にあります。
     茨城県那珂市静字帝青山に、静神社があります。祭神は、織物の神である建葉槌命となっています。
     滋賀県余呉町と木之本町の境に賤ヶ岳があります。木之本側の麓に、大音の集落があります。ここも絹織物があったのかどうか調べていませんが、絹からお琴の糸が作られています。「賤」は「しず」と読みます。
     このような事から、日本では、古来絹のことを「しつ」と云って居た証拠になるでしょう。
  • 現在の倭文神社の所在地
     ①奈良県北葛城郡当麻町加守 
     ②三重県鈴鹿市加佐登町  
     ③ 富士宮市星山           
    ④ 静岡県田方郡伊豆長岡町江間   
     ⑤ 山梨県韮崎宮久保  
     ⑥ 茨城県那珂郡瓜連町 
     ⑦ 大津市坂本本町  
     ⑧ 伊勢崎市東上宮町380        
    ⑨ 京都府綾部市今田町津ノ上1010 
     ⑩ 京都府与謝郡野田川町三河内   
    ⑪ 兵庫県朝来郡生野町  
     ⑫ 鳥取市東伯郡北谷村志津               
    ⑬ 鳥取県 東伯郡東郷町宮内754 
     ⑭ 鳥取県倉吉市志津 
    ⑮岡山県久米郡倭文中村柚木 
  • 倭文神社 (湯梨浜町) - Wikipedia

    機織に携わった氏族である倭文氏が祖神の建葉槌命を祀ったのが起源とされている。ただし、社伝には下照姫命に関するものが多く、大正時代までは下照姫命が主祭神であると考えられていた。社伝によれば、出雲から渡った下照姫命が現在の湯梨浜町(旧羽合町)宇野に着船し、御冠山に登って現在地に鎮まったという。着船したと伝えられる場所には、下照姫命が化粧を直したという「化粧水」や、腰を掛けたという「お腰掛岩」などが残っている。これについて、『式内社調査報告』では、元々は織物の神である建葉槌命を祀っていたのが、当地で織物が作られなくなったことにより建葉槌命の存在が忘れられ、共に祀られていた下照姫命だけが残ったと記している。
  • 天日鷲神 (アメノヒワシノカミ)
    日本神話に登場する神。『日本書紀』 や 『古語拾遺』 に登場する神。
    阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波の忌部(いんべ)氏の祖神。

    別名は、高魂命または神魂命の裔神の 天日鷲翔矢命(アメノヒワシカケルヤノミコト) や 天加奈止美命 (アメノカナトミノミコト)。

    天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で神々の踊りが始まり、この神(天日鷲神)が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜ばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。という内容である。

    『日本書紀』では天の岩戸の一書に「粟の国の忌部の遠祖 天日鷲命の作る木綿(ゆふ)を用い」とある。

    『古語拾遺』によると、天日鷲神は太玉命 に従う四柱の神のうちの1柱である。
    やはり、天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣(しろにきて)を作ったとされる。そのため、天日鷲神は「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神となる。

    木綿(ゆふ)は今のもめんではなく、穀、楮の繊維を蒸して水にさらし、細かく裂いて糸にしたもの。
    和幣(にぎて)は神(を鎮めるため)に捧げられる麻布や絹布、もしくは織る前の麻や絹、カジノキなどの樹皮からとった繊維のことです。白和幣に対して、麻の緑色のままの繊維は青和幣と呼ぶようです。

    また天日鷲神は一般にお酉(とり)様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されている。
    忌部神社や鷲神社などに祀られている。
    忌部一族は太平洋岸を東に進み、所々に開拓の足跡を残しながら千葉(安房)に上陸。さらに関東平野を北上したようで、埼玉や栃木周辺の多くの神社で祀られています。

    安房神社(千葉県館山市;式内社で名神大社;安房国一宮)についてのWikipedia には:
    『古語遺』によれば、神武天皇元年(皇紀元年、紀元前660年)に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、開拓したとされる。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸、その周辺を安房郡と名附けて天太玉命を祀る社を創建した。


    三木家ご本家の三木信夫氏が、2005年に 林 博章先生と関東の忌部族の足跡をたどられて、その記録を 阿波古事記研究会に残す
    「阿波忌部の関東開拓の足跡を辿るツアー紀行」 三木信夫
    http://park17.wakwak.com/~happyend/namiawa/anonamikaze/awa13/a13_03.html

    その要点を箇条書きにすると:

    千葉県成田市台方の式内社「麻賀多神社」は麻が社紋。

    印旛(いんば)郡栄町の 大鷲神社 天乃日鷲尊を祀り、社殿天井に「金の鷲」が取り付けられている。社伝によると「天乃日鷲尊はその子孫代々麻植の神として神功があり,麻に係りのある当地においても祭神となっております」という。

    『安房志』によると「天日鷲尊の神霊が,天下に異変がある時は,金色の鷲となって現れるので,その霊験を畏敬して小鷹の神と称した」とあり、印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。

    勝浦市浜勝浦の 遠見岬神社 の宮司歴代の墓碑には「勝占忌部」と書かれている、阿波忌部の後裔。

    安房郡白浜町の式内社 下立松原神社 の由緒には 「天富命が天日鷲命の孫由布津主命,その他の神々と当地方開拓に上陸し,のち由布津主命が祖神の天日鷲命を祀った社」 と記されている。

    館山市相浜にある 楫取(かんどり)神社 の祭神は 宇豆彦命(ウズヒコノミコト)で天富命に従ってこの地に渡り,漁業を主として指導したといわれる。
    この楫取名は徳島県の吉野川で使用された川舟である楫取舟と関係すると思われる。

    阿波忌部が上陸した地・館山市布良の 布良崎神社 (祭神:天富命)周辺に「神余」(かなまる)という地名があり,これは安房神社に奉仕する忌部神戸が増えてあふれた人達が新しく開拓したことに由来する。「安房神戸(あわかんべ)」という地名もある。

    館山市大神宮の式内大社 安房神社 は天富命が祖父・天太玉命を祀った神社。
    宮司の安房忌部系図には,天富命の娘の飯長媛(イイナガヒメ)と天日鷲命の孫である由布津主命(ユフツヌシノミコト)とが結婚して,堅田主命(訶多多主命)を生んで安房忌部の祖としている。
    神社境内には「忌部塚」と呼ばれる弥生以前の洞窟遺跡もあり,阿波忌部の先遣隊の塚かもしれない。

    茨城県新治(にいはり)郡新治村の 鷲神社 は社殿が平成7年に焼失したが氏子の寄付により平成11年に社殿を復興。ご神体に徳島の忌部神社から分祀を依頼。鷲神社再建竣工記念碑には「本宮四国徳島市忌部神社」とある。

    結城(ゆうき)市小森の 大桑神社 の社伝には「古代,東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が,稚産霊尊(ワカムスビノミコト)を祭神として,北方の大水河原に創建,この辺り一帯を大桑郷と名付けた」とある。

    ◇栃木県小山市栗宮の式内社 安房神社 の祭神は天太玉命。
    ◇小山市萓橋の 日鷲神社 の祭神は天日鷲命。
    ◇下都賀郡石橋町橋本の 鷲宮神社 は天日鷲命。
  • 養蚕は、弥生時代中ごろには日本に伝わったとされている。吉野ヶ里遺跡(佐賀県)からも、さまざまな織り方の絹織物や、日本茜や貝紫で染色されたものがみつかったことから、このころすでに高い技術があったことがわかる。
     ただし本格的には、1~2世紀ごろに朝鮮半島からもたらされたとされ、帰化人の功満王(こまおう)が、カイコの卵と織物技術を伝えた記録も残されている(『三代実録』195年)。
     604年に聖徳太子が制定したとされる十七条憲法には「春から秋に至るまでは農桑の節なり」と記されており、飛鳥・奈良時代には、日本の各地に養蚕が広まっていた様子がしのばれる。

     日本の養蚕の起源については、「魏志倭人伝」に蚕から糸を紡ぎ絹織物をつくっていたことが書かれており、239年には魏の明帝に卑弥呼が国産の絹を献上したことが記されている。最も古い絹が、弥生時代中期の遺跡から発掘されていることから、弥生時代の中期頃にはすでに北九州において養蚕が行われ、かつ楽浪系の三眠蚕が飼育されていたとみられる。あるいは四眠性の蚕も一部飼育されていたかもしれない。
     平安時代になると、貢調として絹糸布を確保する必要上、蚕糸業を奨励したため、蚕糸業は国内に相当に普及した。『延喜式』(927年撰進)の記載によると、上糸国(近江、阿波、紀伊など)12ヵ国、中糸国(丹後、播磨、讃岐、伊予、土佐、遠江など)25ヵ国、麁糸国(常陸、上野、甲斐、伊豆など)11ヵ国、計48カ国の蚕糸産出国を記している
  • July 2018 編集されました
    物部氏の関係者が西暦九百年頃に編んだと思われる『先代旧事本紀』の中で「また、阿波の忌部の祖の天日鷲神(少彦名命の別名)に木綿を作らせた」(神祇本紀)と云う文言があった。
    その資料は続けて「また倭文部の祖の天羽槌雄神に文布を織らせた」とも記載している。

    倭文連  
    神魂命の子、角凝魂命の男、伊佐布魂命の後なり。
    「新撰姓氏録」摂津国神別[註:伊佐布魂命は高木神と同神と見られる]

    天底立命--天背男命--天日鷲翔矢命--天羽雷命(一云う、武羽槌命)  

    倭文宿禰、美努宿禰、鳥取宿禰らの祖  「斎部宿禰本系帳」
      

    玉祖連 天背男命--櫛明玉命--天湯津彦命………飽速玉命

    三番目に上げた「玉祖連」には天羽雷命の名前が出ていませんが「先代旧事本紀」は「神祇本紀」の中で、

    天太玉命は忌部首らの祖  天明玉命は玉作連らの祖  天櫛玉命は鴨縣主らの祖

    と列記し「玉作り」を職掌とした一族などの祖先がいずれも天津彦根命の別名であること、更には「古語拾遺」も「出雲国忌部の祖、玉作りの祖」が櫛明玉命であり、幾つもの氏族を「天太玉命」が率いて祭祀を掌ると明言していますから天湯津彦命という神様は、天日鷲翔矢命(少彦名命)の息子である天羽雷命の又名であろうと判断できます
    (斎部氏の系譜には天日鷲翔矢命--大麻比古命--由布津主命とある点も参考に成ると思われます)。
  • 長江文明と関わりのある古代巴蜀の開国伝説です。長江の中・上流に位置する四川には太古に蚕叢(さんそう)王伝説(養蚕)→柏灌(はっかん)王伝説(柏樹信仰)→魚鳧(ぎょふ)王伝説(鵜飼)→望帝杜宇(とう)伝説(太陽信仰)→開明王鼈霊(べつれい)伝説(霊亀信仰)そして聖石伝説といった稲作を基礎とした文明が存在しています。この伝説と三星堆遺跡(長江文明)が関わってきます。これらの伝説の内、蚕叢王伝説が字句の通り養蚕と関係します。蚕叢は蚕を集めるという意味です。蚕叢は「縦目」を特徴とする古代蜀人の始祖です。「蜀王本紀」(前漢時代の書:揚雄著)には「蜀の先、王と称するものは蚕叢という」と書かれているそうです。蚕叢は養蚕を発明した人物と伝えられ、馮堅著「続事始」には「民に蚕桑を教えた」と記載されているそうです。このため、「蚕の神」として尊ばれています。さらに、常璩(じょうきょ)著「華陽国志」(東晋時代)に逸話が記載されています。縦目と書きましたが、「有蜀侯蠺叢其目縦始稱王死作石棺石槨国人従之故俗石棺槨為縦目人冢」(蜀侯蚕叢は縦目で、始めて王を称す。王の死に石棺、石槨を作る。国人これに従い、故に石棺・石槨を縦目人塚という」から来ています。蜀の国は現在の四川を中心とした地方を指しますが、四川は古代より「蜀(江)錦」でも知られ、現在も中国における主要な養蚕地帯です。
     以前は、これらの伝説および書籍は荒唐無稽な伝説や神話といった類を集めたもので、正史研究からは無視される存在でしたが、三星堆遺跡の発見により状況が一変してきています
  • 結城市の大桑神社の成立については、古代、東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が、養蚕・農業の神、稚産霊尊(わかむすびのみこと)を祭神として北方の大水河原に創建、この辺り一帯を大桑郷と名付けたことに始まるといいます。日本渡来以来、斎部氏は、忌部氏とも書かれ、大和時代から奈良時代にかけての氏族的職業集団であるとのこと。
    上杉氏と共に斎部氏は養蚕・絹・織物というと秦氏の関連を感じさせます。昔、旅した信州の真田幸村の海野宿でも同じ香りを感じましたっけ。きっと、秦氏ゆかりの地なのでしょう。
    斎部氏ですが、秦氏の中の秦氏「阿波忌部」の直系、茨城の地も古代阿波忌部が開拓した
    古来より中臣氏とともに朝廷における祭祀をあずかっていましたが、中臣氏から藤原氏が出て権力を持つようになると、中臣氏は祭祀に関して独占力を持つようになり、斎部氏(忌部氏)はその圧迫を受けるようになり、没落していったようです。
    「大桑神社の由来については、古代、東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波忌部が、養蚕・農業の神、稚産霊尊(わかむすびのみこと)を祭神として北方の大水河原に創建、この辺り一帯を大桑郷と名付けたことに始まり~」

    「阿波の忌部、結城に下向のとき、此所を御通りありしに大なる桑生して国民蚕をこふ(中略)
    世に蚕をかいはむるこ事、此所より起こる。故に自今日本国中にて結城種を用いて、 他の国の種を不要の故是なり」(大桑神社由来書)
  • 「古語拾遺」
    神武天皇の時にはまだ祭・政が分離せず、「神物・官物」の分別もなかったので、宮の内にクラを建てて一緒に収納し、「斎蔵(いみくら)」と名づけて斎部(忌部)氏に管理させた。
    履中天皇の時になって三韓からの貢献が絶えることなく行われるようになったので、斎蔵の傍に「内蔵」を建ててそれらの官物を収納し、渡来人の阿知使主と百済博士王仁に出納を記録させ、蔵部を定めた。
    雄略天皇の時になると、秦酒公が天皇の寵愛を受け、他氏に従属していた秦氏の民を賜った。そこで、秦酒公は多くの勝部(すぐりべ)を率領して絹を織成・貢進し、「庭中」に充積したので、「宇豆麻佐(うづまさ)」の姓を賜った。これ以降、諸国からの貢調が年ごとに増加したので、蘇我麻智宿禰に【斎蔵・内蔵・大蔵】の三蔵を検校させた。また、秦氏には出納、東・西の文氏には帳簿を勧録させた。これにより、漢氏には内蔵・大蔵の姓を賜ったが、これがいま、秦・漢の二氏が内蔵・大蔵の主鎰・蔵部に任ぜられることの起源である。
    天武天皇の時に八色の姓が定められたが、秦・漢の二氏、文氏らは忌寸を賜姓された。これは、斎部と共に斎蔵の事に関与したからである。いま東・西の文氏が祓太刀を献ることの起源でもある。
  • 天蚕(ヤママユガ)と天蚕絹
     日本原産で山野に生息する天蚕(ヤママユガ)の繭糸は優美な淡緑色を呈する高級な野生絹として珍重されてきました。
     「繊維のダイヤモンド」とも呼ばれ、消費者ニーズが個性化・多様化するなかで「自然の美しさ」と「希少価値」を併せ持った差別化素材として注目されています。
     
    ◎天蚕絹糸の特徴
    ヤママユガの5齢幼虫
     天蚕の繭には淡い緑色がついているのが大きな特徴です。製糸工程や精錬で多少色落ちはするものの、自然美としての光沢や風合いが非常に優れています。

     天蚕繭の生産量は少なく高価であることから、消費者ニーズの個性化や多様化の中で確実な需要を確保するため、糸から織布への加工に至るまで天蚕糸の特徴が発揮出来る工夫がされています。
     
    ◎天蚕絹の特色と期待されること
    <天蚕絹の性質>
    (1) 繊維が太い
    (2) 繊維の断面が扁平で光沢が強い
    (3) 繊維が伸びやすい
    (4) 濡れると縮む
    (5) 繭の色が淡い緑色である
    (6) 染色しにくく、ムラが生じる
    (7) 繭が高価である
    <天蚕絹織物に期待する性質>
    (1) 腰のある繊維
    (2) シャリ感、強い光沢
    (3) ソフトな風合い
    (4) 崇高性
    (5) 緑色の利用
    (6) 本物の自然、天然の意匠
    (7) 高付加価値化
  • 伯耆国一之宮 倭文(しとり)神社がある。
    倭文神社(湯梨浜町)
    倭文氏の祖神 建葉槌命(たけはづちのみこと)を祀っている。 
    建葉槌命は、天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)とも云い、機織りの祖神とされており、倭文(しどり)氏の祖神である。

    建葉槌命は、日本書紀では、葦原中津国平定に従わない星神・香香背男(かかせお)を服させる神として登場してくる神
    だ。

    その神とともに、大国主命の息女、下照姫が祀られている。
    出雲より着船し(羽合町宇野と柏村宇谷の中間の仮屋崎に着き化粧直しに使った水が伝えられているようだ。)倭文神社の社地に住居を定め、亡くなるまで安産の指導や農業開発、医薬の普及にも尽くされたという。
  • 鳥取県東伯郡(とうはくぐん)湯梨浜町(ゆりはまちょう)宮内に鎮座の倭文神社(しとりじんじゃ、伯耆国一宮)の由緒によると、
     「下照姫は大国主命と力を合わせて出雲の国づくりに励んだ。しかし、高天原から天稚彦が遣わされ国譲りを要求したが、天稚彦は下照姫と結婚して帰らなかった。そこで高天原から遣わされたキジを天稚彦が射殺したことが原因で天稚彦は殺されてしまう。
     下照姫は海路で伯耆国宇野にやってきて、当地に住み着き、安産の指導、農業開発、医療普及などに努めた」とある。「倭文神社のHP」
       
  • 伯耆一宮 倭文神社
    主祭神 建葉槌命(たけはづちのみこと) 織物の神
    配神 下照姫命(したてるひめのみこと) 安産の神
    建御名方命(たけみなかたのみこと) 軍神・農耕神・狩猟神・風の神
    事代主命(ことしろぬしのみこと) 海の神・五穀豊穣商売繁盛の神
    天稚彦命 (あめのわかひこのみこと) 穀物の神
    少彦名命(すくなびこなのみこと) 国造りの協力神・酒造の神
    味耜高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと) 農業の神・雷の神・不動産業の神
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