葛城氏、蘇我氏

April 2015 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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剣根命。 高皇産霊尊の5世孫または天押立命の4世孫という。神武天皇2年に初めて葛城国造とされた。初代倭国造とさ…

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コメント

  • 剣根は娘・加奈知比咩命、孫娘・葛城避比売命をそれぞれ尾張氏の当主である天忍男命と天戸目命に嫁がせ、神武に積極的に貢献した高倉下(亦の名、天香語山命)を先祖に持つ尾張との閨閥作りに努め、併せてヤマトでの影響力の拡大を目指したと考えられます。

    次の世代の「加豆良支根命(カツラギネ)」でも変わることがなく、妹の「葛城尾治置姫命(カツラギオワリオキヒメ)」も建額耳命(建額赤命?)に嫁ぎ、彼の孫である「伊牟久足尼(イムクスクネ)」の姉妹の一人「鸇姫(ワシヒメ)」は開化帝の妃となって建豊波豆羅和気王を生み、もう一人が「建諸隅命(タケモロスミ)」の妻になったと系譜は伝えている。

    建豊波豆羅和気王という王子は系譜上「依羅阿比古(ヨサミアビコ)の祖とされる人物であり、建(武)諸隅命は先代旧事本紀が矢田部造の祖で崇神六十年の秋『武日照命が天より将ち来たれる神宝が出雲大神の宮に納められているらしいが、見てみたい』との帝の希望を叶えるため、出雲への使者となった武人です(大依羅神社は建豊波豆羅和気王が祭神とする)。

  • 「建豊波豆羅和気王(タケトヨハズラワケ)」


    名前も「建豊」を単なる美称とすれば「波豆羅和気、ハズラワケ」ではなく、本当は「カズラワケ」?

    大依羅神社の主祭神である建豊波豆羅和気王(武豊葉列別命・武歯頬命)について。
    第9代開化天皇の第4皇子で、皇后ではなく、皇妃であるワシヒメという人との子。
    皇后である伊香色謎命(いかがしこめのみこと)の子は崇神天皇なので、崇神天皇の弟ということになります。
    また、
    道守臣(ちもりのおみ)、
    忍海部造(おしぬみべのみやつこ)、
    御名部造(みなべのみやつこ)、
    稲羽忍海部(いなばのおしぬみべ)、
    丹波之竹野別(たにはのたかののわけ)、
    依羅吾彦(よさみのあびこ)等の祖という。

  • 開化天皇とワシ比売の系統

    ワシ比売
    ・葛城之垂見宿禰の娘
    ・開化天皇の四人目の妻

    建豊波豆羅和気王
    ・開化天皇と鸇比売の子
    ・道守臣、忍海部造、御名部造、稲羽忍海部、丹波之竹野別、依網之阿毘古らの祖
  • 南淵請安(みなぶちのしょうあん)

    飛鳥時代の僧で、遣隋使として隋に渡った人物です。小野妹子に従い、後の政府を動かす主要人物となる、高向玄理(たかむこのくろまろ)や僧旻(そうみん)らとともに、隋の滅亡・唐の建国を見守り、32年後に日本へ帰国しました

    608年(推古天皇16年)、遣隋使小野妹子に従い高向玄理、僧旻ら8人の留学生、留学僧の一人として隋へ留学する。32年間、隋の滅亡(618年)から唐の建国の過程を見聞して、640年(舒明天皇12年)に高向玄理とともに帰国。隋・唐の進んだ学問知識を日本に伝えた。
    中大兄皇子と中臣鎌子は請安の塾に通う道すがら蘇我氏打倒の計画を練ったと伝えられる。請安が伝えた知識が大化の改新に与えた影響は大きいが、彼自身は新政府に加わっておらず、これ以前に死去したものと思われる。

    Wikipedia「南淵請安」より
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