多神社。太氏、多氏

December 2018 編集されました カテゴリ: 神社
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多神社注進状  磯城の地には三輪山の大物主神を祀る三輪氏と、磯城御県坐神社を祀る磯城県主家があった。三輪氏が磯…

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コメント

  • 元文2年(1737年)の『多大明神社記』では現在の四座になっているが、明治時代の『神社明細帳』では本殿の第一社・第四社は摂社の扱いとなっており、主祭神は神八井耳命・神沼河耳命の二座としている。

    社名の通りであれば弥志理都比古(みしりつひこ)を祀る神社ということになるが、これは神八井耳命のこととされる。神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったので、「身を退いた」という意味で「ミシリツヒコ」とも呼ばれる。

    古くは春日宮と称し、現在の社領地は約1万m²余を有するが、『大和志料』によると、天文21年(1552年)、当地の領主・十市遠勝より周囲6町四方の土地(約42万m²)を寄進されたとあり、四方に鳥居があったという。
  • 神武天皇の皇子神八井耳命がこの里に来られ、「我、天神地祇を祀る」という由緒をもつ。
    多神社は『多神宮注進状』に旧名春日宮とあって、元は春日神社と言ったらしい。 
      

    「多神宮注進状」によると、八井耳命これを創斎し、その母族の従兄弟にあたる春日県主遠祖の大日諸命を祭司とし、崇神朝に十市の太郷に神社を建て、此の社の旧名は春日宮といったが、後に多神社という。

    「オホ(多・大・太・意富)」は「イホの臣」の「イホ」であり、「斎き祭る」の意で、これは神八井耳命を指し、そのまま地名・姓になる。

    大日諸 (合江守)。 
    河内の県主。
    オホマ、イトオリ姫 (綏靖天皇のココタヘ) 、ヌナタケ姫 (クシネの妻) の父。  
    ナガスネの反乱の時、大和の層富にタケチノコリと共にナガスネ軍の動きを防ぐ。 
    神武東征軍は、河内草香のアウヱモロの館で戦備を整え、クサエ坂にてナガスネヒコと初戦を交える。 
    オシクモ無き後、層富と河内 (河内の枚岡辺りはオシクモの所領だったらしい) を兼ね治める。 
    ヤマト平定後に春日県主になったらしい。
  • 磐余神社

    創建時期ははっきりしませんが、狭野火火見彦命を祭神とする古社です。
    紀では神武天皇は神日本磐余彦尊(かむ・やまと・いわれひこ)、
    狹野尊(さの)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称されています。
    狹野尊の名前は神武天皇の幼名に因むものです。
    祭神:狭野火火見彦命(神武天皇)


    社殿は鮮やかな朱塗りの春日造、檜皮葺で、木像が祀られています。
    磯城郡田原本町の多坐弥志理比古神社の木像が、本来は磐余神社の神像であったといわれています。弥志理都比古(みしりつひこ)とは神武天皇の息子・神八井耳のことです。
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