日向

11/06編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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景行天皇と日向 (日高正晴 著 西都原古代文化を探る 東アジアの視点から  みやざき文庫22 鉱脈社 2003…

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コメント

  • 宮崎県西都市にある国指定特別史跡の西都原古墳群には、陵墓参考地として特別扱いされている、異常に接近した巨大古墳男狭穂塚(おさほづか)と女狭穂塚(めさほづか)とがあります。
    この2陵が陵墓参考地に指定された理由は、神話に登場する、初代神武天皇の曽祖父ニニギノミコトと、曽祖母コノハナサクヤヒメの陵墓と言い伝えられていたからです。

    なお、宮内庁は、男狭穂塚を、ニニギの墓、可愛(えの)山陵の参考地と指定すると同時に、薩摩川内市の神亀山上の新田神社を可愛山陵に指定しています。

    ところで、男狭穂塚と女狭穂塚とは、考古学的には、5世紀の倭王讃にあたる仁徳天皇の陵と同時期に築造されたと見なされています。

    初代神武天皇の陵が、江戸時代には見る影もなかったことを思えば、その神武天皇の曽祖父と曾祖母に当たる神話の登場人物の墓が立派過ぎるのは怪しいはずです。

    この件に関連して、注目すべきことは、『釈日本紀』の引く『伊予国風土記』(逸文)に、時代の前後関係を否定する、次のような記事があることです。

    「御島(今治市大三島町)にいらっしゃる神の御名は大山積神、またの名は和多志の大神である。この神は仁徳天皇の御世に顕現された。この神は百済の国から渡っておいでになり、摂津国の御島においでになった」という記述があります(「天璽瑞宝」による)。
    コノハナサクヤヒメの父の大山積神が仁徳天皇の時代に出現したことにするのであれば、
    男狭穂塚・女狭穂塚が仁徳天皇陵と同時代に作られたとしてもおかしくありません。
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