継体天皇

October 2019 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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継体帝の「系譜」を整理してみると、二つの「血筋」が浮かび上がります。先ず一つ目が応神帝の母・息長足姫尊(神功皇…

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コメント

  • October 2019 編集されました
    上宮記の系図、継体は、垂仁天皇の皇子の誉津別命から繋がると主張していたのです。
    上宮記・・・
    凡牟都和希王―若野毛二俣王―太郎子―乎非王―汗斯王―乎富等大公王

    乎非王とは
    父は意富富杼王(おおほどのおおきみ)、母は中斯知命(なかしちのみこと)である。 また、応神天皇の曾孫、忍坂大中姫命の甥、継体天皇の祖父に当たり、同父兄弟には阿居乃王(あけのみこ)や都紀女加(つきめか)が推定されている。牟義都(むげつ)国造伊自牟良君の女 ・久留比売命(くるひめのみこと)を妻とし、汙斯王(彦主人王)を生んだ。
  • 継体天皇ゆかりの史跡

    ① 父方の里 (滋賀県高島市)
     第26代継体天皇は応神天皇5世の子孫であり、父は彦主人王と云われています。450年(日本書紀)、近江国高島郷三尾野(現在の滋賀県高島市)で誕生されました。
     ●田中王塚古墳 (彦主人王の陵墓参考地)
     ●水尾神社 (振媛を祀った神社)
     ●鴨稲荷山古墳 (継体天皇擁立豪族の墓)

    ② 母方の里(福井県坂井市)
     継体天皇の幼い時に父(彦主人王)を亡くされたため、母(振姫)の故郷である越前国高向(現在の福井県坂井市)で育てられ、男大迹王として5世紀末の越前地方を統治したとされています。
     ●高向宮跡・高向神社 (継体天皇生母の出身地)   
     ●六呂瀬山古墳群/松岡古墳群 (振姫の祖先・一族の墓)
     ●姫王の碑 (振姫の亡くなられた地にある碑)

    ③ 潜龍の地(福井県越前市)
     味真野郷(粟田部)(福井県越前市)には、男大迹王(継体天皇)が潜龍されておられた頃の治水事業や神社創建、皇子誕生等の伝承が残されています。
     ●岡太神社 (粟田部・大滝)
     ●謡曲「花匡」の風景 (味真野神社・薄墨桜)
     ●薄墨桜伝承地(粟田部・根尾谷)
     ●目子媛街道 (越前と尾張の道)

    ④ 治水伝説
     男大迹王(継体天皇)の時代は、現在の福井平野は大きな湖や沼があり、そこへ九頭竜川、日野川、足羽川が注いでいたといわれ、男大迹王(継体天皇)が三国に水門を開いて平野の水を海に流すと、広大な福井平野が現れたという伝説が残っています。この功績に感謝して、坂井市三国町の三國神社では継体大王を祀っています。
     ●治水伝説に係る史跡 (足羽神社・三国神社)    
     ●越の三川の今昔 (九頭龍川・足羽川・日野川)

    ⑤ 使者謁見の地(福井県坂井市)
     506年に第25代武烈天皇が後嗣を定めずに崩御されたため、当初、大和朝廷の重臣は丹波国にいた仲哀天皇5世の孫である倭彦王を抜擢したが、迎えの軍勢を恐れて行方不明となったため、次に越前にいた男大迹王にお迎えが出され、王は大和朝廷の情勢を把握されてから翌507年58歳にして河内国樟葉宮において即位され、手白香皇女を皇后とされた。
     ●てんのう堂 (朝廷の使者を迎えたとされる宮跡)  
     ●横山神社 (継体天皇の本拠地?) 
     ●横山古墳群 (継体天皇時代に栄えた豪族の墓)

    ⑥ 皇居の変遷
     継体天皇は樟葉宮にて即位した後、筒城宮、弟国宮と移り最後に磐余玉穂宮に遷宮しました。大和入りまでに20年近くかかったため、「なぜヤマトの地で即位しなかったのか。」、「ヤマトに入るまで20年もかかったのは何故か」ということが謎として議論の対象になってきました。
     ●樟葉宮 (伝承地:交野天満宮)(大阪市枚方市楠葉)  
     ●筒城宮 (伝承地:同志社大学構内)(京都府京田辺町)
     ●弟国宮 (伝承地:乙訓寺)(京都府長岡京市)     
     ●磐余玉穂宮 (伝承地:磐余地方)(奈良県桜井市) 

    ◎関連史跡 ⑦ 磐井の乱(福岡県八女市)
     527年に筑紫君磐井による反乱が勃発、翌528年、物部麁鹿火によって鎮圧されたました。
     ●岩戸山古墳 (筑紫君磐井の墓)           
     ●岩戸山歴史文化交流館 (筑紫君磐井に焦お点)

    ◎関連史跡 ⑧ 2つの古墳 (大阪府茨木市・高槻市 )
     継体天皇は、531年(日本書紀)に崩御されたとされていますが、陵は宮内庁により大阪府茨木市にある三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)に治定されています。しかし、築造時期は5世紀の中頃とみられるため、大阪府高槻市の今城塚古墳が6世紀前半の築造と考えられることから、同古墳を真の継体天皇陵とするのが定説になっています。
     ●太田茶臼山古墳 (宮内庁治定)
     ●今城塚古墳 (国の史跡に指定) 
     ●新池埴輪制作遺跡 (同上両古墳の埴輪を制作)
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