未定義の論題

07/14編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

コメント

  • 九州には壱岐の島がある。対馬と並んで、対馬海流上の島々の一つだ。その島に訪れた人は気づくであろう。「上る」「下る」といった言葉が、日常的に用いられている。対馬海流の方向、西から東へ、それが「下る」であり、東から西へ、が「上る」だ。海流の「向き」がこの地理的動詞を決定しているのである。
     この点、古事記にも、同じ用法がある。上巻の大国主神の節の「6、須勢理毘売の嫉妬」の段に、
     「出雲より倭国に上り坐さむとして」(岩波、日本古典文学大系、一〇三ぺージ)

    とある。「倭国」は「チクシのくに」であり、ここでは大国主神は「出雲から胸形の沖津宮へ行き、多紀理毘売命に会う、という一段だから、この「上る」は、先の壱岐島の場合と同じく、対馬海流の「向き」をもとにした「上る」の用法である。
     したがってこの「倭国」は「チクシのくに」であり、あの後漢の光武帝の金印(いわゆる「志賀島出土」とされたもの)の文字「委(=倭)」が「ヤマト」ではなく、「チクシ」を指す
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