「鴻臚館」とは、平安時代に築かれた外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、そして筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。その中で唯一遺跡が確認されているのが現福岡市中央区にある筑紫の「鴻臚館」なのだ。文献上には持統2年(688)、「筑紫館(つくしのむろつみ)」として初めて現れ、平安時代になって中国風の「鴻臚館」という名に変わった。7世紀後半から11世紀まで約400年の間、遣唐使や新羅の使節団、商客らを迎え入れたとされる。昭和62年(1987)、平和台球場外野席改修の際、遺構の残存が発見され、翌年から発掘調査が始まった。展示館では遺構や大陸外交の歴史、交易品などが見られる。
コメント
鴻臚館の説明書には「鴻臚館は古代における我国の外交施設であり、・・・、7世紀後半から11世紀にかけてこの地にあった」と書かれていて、例によって大和朝廷が設置したものということになっているが、、、、、
科学的な年代測定の結果によればこの施設は400年代から使用されていたことが判明している。『隋書』の記述「都の郊外で隋使裴清を歓待した」はまさにこの場所だったに違いない。