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一般/歴史書
147
善通寺市の甕棺、大集落
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January 2019
March 2019 編集されました
カテゴリ:
讃岐・阿波・伊予
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タグ付けされた:
讃岐
コメント
tokyoblog
January 2019
笠置峠(かさぎとうげ)古墳は標高412mの峠の頂にある。全長約45mの前方後円墳で、後円部の直径は約28m、前方部の長さは約17mである。前方部は細長い形で、いわゆる「しゃもじ形」と呼ばれる前方後円墳である。
築造は、3世紀の終わりごろから4世紀前半とされている。後円部の頂部には、竪穴式石槨があり保存展示されている。竪穴式石槨には、くり抜き式木棺が納められていたと考えられている。石槨内には朱がまかれ、鉄製品が出土した。竪穴式石槨は、長さ約4.6m、幅約0.7~0.9m、高さ約0.6mで東西に軸を向けている。
後円部は、葺石で覆われており、基底部には列石がみられる。墳丘は2段築成で、前方部も一部裾部に列石がある。
墳丘上からは、南に宇和盆地が一望でき、西には、佐田岬から九州まで見渡せる。写真は宇和盆地。
笠置峠は、八幡浜市と西予市の境にある峠で、笠置古道は、古くから九州から四国への往来の道として利用されていた。笠置峠古墳の石室の蓋は八幡浜産の青石が使われている。おそらく古道を利用して運ばれてきたのだろう。
笠置峠古墳の後円部は、2段築成であるが、一見すると、1段目の墳丘上に積石で2段目が築かれたようにも見える。一説には、箸墓古墳は後円部頂上部は、全面こぶし大の石で覆われており、積石で築かれているのではないかといわれている。
笠置峠古墳と同時期に造られた古墳に香川県善通寺市の野田院古墳がある。野田院古墳も標高約405mの高地に築かれ、全長約44m、後円部は直径約21m、高さ約2m、前方部は長さ約23mで、細長く先端部がばち型に開く。前方部は盛り土で、後円部は安山岩礫の積石によって築かれている。
後円部が積石と葺石の違いはあるが、平野部を見下ろす高地に築かれていること。後円部は2段築成で、前方部は盛土であること。埋葬施設が東西軸の竪穴式石室であること。など共通点も多い。たまたまか?それとも、何らかのネットワークがあったか?
tokyoblog
January 2019
小森古墳 こもりこふん
所在地:宇和町山田
所有者:西予市
指定年月日:昭和30年12月16日
古くから県内でも古い時期の古墳として知られていた古墳である。
宇和盆地に突き出た比高差約40mの低丘陵頂部(標高257.4m)につくられた古墳で、前方後円墳の可能性が高いと考えられている。松岡文一氏(愛媛大学工学部、愛媛考古学会初代会長)らによる過去の調査では、主軸方向が南北で、全長約61m、前方部長23m、高さ2.5m、後円部長30m、高さ4mをはかるとされ、電気探査で後円部内に石室が存在するとされている。しかし戦後、畑地として開墾され大幅な改変を受け、未発掘のため詳細は明らかにされていない。
墳丘上や周辺からは土器片が採集されており、宇和歴史民俗資料館や宇和考古センター、八幡浜市立図書館などに資料が保管されている。これらの資料を調査した結果、小森古墳は笠置峠古墳に後続する古墳で、古墳時代前期中相ころに位置づけられる(松村さを里2017「小森古墳出土の土師器について」『笠置峠古墳』西予市教育委員会、愛媛大学考古学研究室)。また樋口清之氏(國學院大學名誉教授)が少年時代に銅鏃を採集したとの記録もある(森本六爾1924「伊予出土の銅鏃」『考古学雑誌』14-6)。
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築造は、3世紀の終わりごろから4世紀前半とされている。後円部の頂部には、竪穴式石槨があり保存展示されている。竪穴式石槨には、くり抜き式木棺が納められていたと考えられている。石槨内には朱がまかれ、鉄製品が出土した。竪穴式石槨は、長さ約4.6m、幅約0.7~0.9m、高さ約0.6mで東西に軸を向けている。
後円部は、葺石で覆われており、基底部には列石がみられる。墳丘は2段築成で、前方部も一部裾部に列石がある。
墳丘上からは、南に宇和盆地が一望でき、西には、佐田岬から九州まで見渡せる。写真は宇和盆地。
笠置峠は、八幡浜市と西予市の境にある峠で、笠置古道は、古くから九州から四国への往来の道として利用されていた。笠置峠古墳の石室の蓋は八幡浜産の青石が使われている。おそらく古道を利用して運ばれてきたのだろう。
笠置峠古墳の後円部は、2段築成であるが、一見すると、1段目の墳丘上に積石で2段目が築かれたようにも見える。一説には、箸墓古墳は後円部頂上部は、全面こぶし大の石で覆われており、積石で築かれているのではないかといわれている。
笠置峠古墳と同時期に造られた古墳に香川県善通寺市の野田院古墳がある。野田院古墳も標高約405mの高地に築かれ、全長約44m、後円部は直径約21m、高さ約2m、前方部は長さ約23mで、細長く先端部がばち型に開く。前方部は盛り土で、後円部は安山岩礫の積石によって築かれている。
後円部が積石と葺石の違いはあるが、平野部を見下ろす高地に築かれていること。後円部は2段築成で、前方部は盛土であること。埋葬施設が東西軸の竪穴式石室であること。など共通点も多い。たまたまか?それとも、何らかのネットワークがあったか?
所在地:宇和町山田
所有者:西予市
指定年月日:昭和30年12月16日
古くから県内でも古い時期の古墳として知られていた古墳である。
宇和盆地に突き出た比高差約40mの低丘陵頂部(標高257.4m)につくられた古墳で、前方後円墳の可能性が高いと考えられている。松岡文一氏(愛媛大学工学部、愛媛考古学会初代会長)らによる過去の調査では、主軸方向が南北で、全長約61m、前方部長23m、高さ2.5m、後円部長30m、高さ4mをはかるとされ、電気探査で後円部内に石室が存在するとされている。しかし戦後、畑地として開墾され大幅な改変を受け、未発掘のため詳細は明らかにされていない。
墳丘上や周辺からは土器片が採集されており、宇和歴史民俗資料館や宇和考古センター、八幡浜市立図書館などに資料が保管されている。これらの資料を調査した結果、小森古墳は笠置峠古墳に後続する古墳で、古墳時代前期中相ころに位置づけられる(松村さを里2017「小森古墳出土の土師器について」『笠置峠古墳』西予市教育委員会、愛媛大学考古学研究室)。また樋口清之氏(國學院大學名誉教授)が少年時代に銅鏃を採集したとの記録もある(森本六爾1924「伊予出土の銅鏃」『考古学雑誌』14-6)。