大水上神社、讃岐二宮

大水上神社(おおみなかみじんじゃ)は、香川県三豊市にある神社である。式内社で、旧社格は県社。讃岐国二宮とされる。

コメント

  • November 2018 編集されました
    tokyoblogは言いました:

    大水上神社(おおみなかみじんじゃ)は、香川県三豊市にある神社である。式内社で、旧社格は県社。讃岐国二宮とされる。

    大水上大明神
    保牟多別命
    宗像大神
    大水上大明神は大山積命とされているが、諸説あり



    うなぎ淵(竜王淵)
    雨乞神事遺跡
    昔から旱ばつ時、参籠潔斎の上淵の水を桶でかいだす神事が行われた。黒白の鰻がすみ、黒鰻が姿を見せると雨、白鰻がでれば日照りが続き蟹が出ると、大風が吹くといわれていた。
    明治・昭和初期斎行の折、降雨の恵みがあり、感謝祭が執行された。
    このうなぎ淵は滝の宮神社ともされているようで、祭神は滝田比古命、滝田比売命。

    古くは三嶋龍神と称されたといいます。
  • 創建時期は不詳。

    宮川の最奥部に位置する当社は、農耕に使われた川の水の水源に神を祀ったものと考えられます。社名の水上も水源を意味していると思われます。

    貞観7年に正五位下、同17年に正五位上を授かります。(三代実録)

    社伝によれば、後に正一位まで昇ったとされます。

    讃岐綾氏の祖、武殻王の崇敬篤く、隣の多度郡を社領として給したとされます。

    また空海が入唐の際に詣でたとか、源平両家から願を受けたとも伝わります。

    天正年中、長宗我部元親に大破され、後小松・称光・後花園各天皇の勅書を失ったとのこと。

    その後京極氏に社領を寄進され、現社殿に復したようです。

    明治5年郷社、昭和8年県社列格。
  • 中世までの史料はなく、近世には諸説が提示されました。

    「所祭一座道主貴比女命 天照太神荒魂の神」(生駒記)

    「古傳に云ふ。道主貴比女神を主と爲せり。是れ則ち天照太神の荒魂なり…今ある所は…中央は則ち正八幡祠。左は則ち大水上にして、國常立尊を主と爲す。右は則ち宗像の三嶋龍神を主と爲す」(全讃史)

    「祭神大水上神、八幡宮、宗像明神…古史成文ニ大山積神亦名云大水上神トアリ、大水上神社ハ此神ヲ祭レルニヤ」(西讃府志)

    「祭神 八幡大神大水上明神宗像大明神…當社啓祀未詳祭神道主貴比女を祭る天照大神荒魂の神也といふ」(讃岐國名勝圖繪)

    「祭神區々なり、先高皇産霊尊一座とす、又ハ國象女命とす…かかうて相殿には宗像大神、また八幡大神も座ますといへり…又古史成文に故其大山積神亦名大水上神…と有りてそこの傳に、此神社を引けり、されば祭神はただちに、此大水上神ならむか」(讃岐國官社考證)

    大水上神の説として、国常立尊、高皇産霊尊、罔象女命、そして大山積神があげられています。

    「宗像の三嶋龍神」については、先述の通り境内のうなぎ淵がかつて三嶋龍神と称されたとも伝えられていますが、宗像神や大山祇神とは関係あるのかどうか。
  • 讃岐の少彦名
    香川県観音寺市流岡町(ながれおかちょう)の加麻良(かまら)神社の伝承は少彦名とスサノオとの関連を示す上で興味深い。それは、「昔、神田村羽方( は かた)二の宮大水上(おおみなかみ)神社に少彦名が来たりて夜毎に泣き叫ぶ、大水上神は木桝(ます)に命(みこと)を乗せて川に流すと、神室山の中腹に着き泣き止む、云々」

    加麻良神社
    神社誌料には、山の名を御神室と云う、大己貴神・少彦名神、 四国御経営の時、此の山に御座まりまして、「地方 を御治め在らせられし御霊跡なり」とある。
    古老の伝説口碑に伝うるところ「昔、神田村羽方二の宮大水 上神社に少彦名命が来たりて夜毎に泣き叫ぶ、大水上神 は木桝に命を乗せて川に流すと、神室山の中腹(この下、石宮) に着き泣き止む、土地の人たち、光明を放つこと不思議に思 い近寄る人に、のり玉うは「我を大己貴の神の鎮まる此山に 祭れ、然れば夜泣きをぞ守給うと」依て祠を厳樫の本に 建奉りしなり、此の神の流れつきし所を御神室と言う、 又此処の古石祠を石宮と稱す。流岡の地はこの事に由来する、 大己貴神と少彦名神は協力してこの四国を拓き、農工商 すべての産業開発と、方除治病(夜泣き)造酒、製薬、 交通、航海安全、縁結び等世の中の幸福を増進すること を叶られました。人間生活の守護神であらせられます。
  • 讃岐国刈田郡の延喜式内小社の加麻良神社であるが、ここより南2kmの加茂神社も論社である。
     加麻良神社は子供の守護神として、夜泣きを止めるとして篤く崇敬されてきた。伝説に依れば、神代の昔二宮村の氏神(大水上神社)の許に少彦名命が来て毎夜泣き叫ぶこと甚だしく、大水上神は木桝を作りて少彦名命を乗せて水に流した。流れ着いたのが加麻良神社の現在の鎮座地と言う。時の人、この神を祀ろうと言い、流岡の地名はこれによると言う。本殿の横に少彦名神の漂着した岩がある。往古はこの山は島であったのだろう。
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