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推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位し(592年)、持統天皇が藤原宮へ 遷都するまで(694年)までの約10…
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現在の弘福寺(もと川原寺)の前は、広い公園になっています。川原宮は、板蓋宮が焼失した後、一年余り斉明天皇の仮宮となりました。
中大兄皇子(天智天皇)称制の時に、母の斉明天皇の葬儀を川原宮で執り行いました
四大寺のひとつであった川原寺は、創建の時期も事情もはっきりせず謎の大寺と云われています。また、平城京遷都の時に、ほかの三大寺(飛鳥寺・薬師寺・大官大寺)は都に移りましたが、川原寺は明日香に残りました。
川原寺式と呼ばれる「複弁蓮華文」軒先瓦の文様は、この後の軒先丸瓦の主流文様となりました。後の瓦に多大な影響をもたらしたのですから、川原寺の立つ位置は大きかったのです。それなのに、遷都の時に、明日香に残されたのでした。