メスリ山古墳 四世紀の大王墓か

December 2018 編集されました カテゴリ: 出土品/交易
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桜井市の南部地域は、古代には磐余(いわれ)と呼ばれていた。そこに築かれているメスリ山古墳は、墳長224mを誇る…

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コメント

  • 奈良盆地東南部の前期古墳のうち、全長200㍍以上の巨大前方後円墳は全部で6基ある。箸墓古墳以下の4基が初瀬川以北の大和(おおやまと)古墳群中に存在するのに対し、桜井茶臼山古墳、メスリ山古墳の2基はやや離れて初瀬川南岸の丘陵縁辺に造営されている
    纒向古墳群には全長278mの箸墓古墳がある。柳本古墳群には、全長300mほどの渋谷向山古墳(景行天皇陵)と全長約240mの行燈山古墳(崇神天皇陵)が存在する。さらに大和古墳群には、全長約220mの西殿塚古墳がある。

    茶臼山古墳の竪穴式石室内は真っ赤な水銀朱で彩られ、81面分以上の銅鏡片が見つかっている。6基のうち桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳以外は宮内庁から陵墓指定されているため、調査はできない

    メスリ山古墳には、古墳時代の一つの特徴である自然石を徐々に内側に持ち送り、天井部を持つ合掌式の竪穴式石室を持ち、内部には遺骸がないが、武器ばかりが埋納された、格納庫・遺品庫であったと考えられている。
  • 茶臼山・メスリ山古墳双方とも大王墓から除外する研究者がいるが、その理由として、両古墳の前方部が撥形でなく柄鏡形であること、周濠を巡らさないこと、古墳群を構成しないで独立していること、などを上げている。

    茶臼山・メスリ山古墳の被葬者として、安倍氏の祖先との伝承がある“オホヒコ”と“タケヌナカハワケ”が候補としてあげられている
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