阿自岐神社、阿知吉師、和邇吉師

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コメント

  • 河内では5世紀の頃から馬の牧があって、渡来人によって飼育されていた。
     馬史(うまのふひと)・馬首(うまのおびと)は、百済・加耶系の漢氏(あやし)の氏族である。
     馬毘登(うまひと;馬史)国人(くにひと)も、百済系漢氏の一族で、奈良時代の官吏であった。『続日本紀』天平神護元(764)年12月5日、一族44人とともに武生連(たけふのむらじ)に改氏姓した。そこには河内国古市郡の人、正六位上馬毘登益人も含まれている。
     国人は、河内国伎人郷(くれのごう)に本貫があり、天平勝宝8(756)年に詠んだ歌が『万葉集』にみえる。
      「にほ鳥の 息長川は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽(ことつ)きめやも」 
     (巻第20-4458、右一首 歌宴の主人、散位寮散位馬史国)
     「息長川の水は絶えてしまおうとも、君に語らう言葉が尽きる事がありましょうか。いついつまでも末永く貴方とお付き合いが続きますように」
     鳰鳥(にほとり)は、カイツブリともいう。水中に潜って息が長く続くのでオキナガにかけたもの。
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