元伊勢、皇大神社、豊受大神宮

May 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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元伊勢に祀られた主な神 内宮 天照皇大神 外宮 豊受大神 外宮相殿 日子番能邇邇芸尊 天児屋根命 天太玉命 内…

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コメント

  • 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は天照大神の荒魂

    撞賢木厳之御魂天疎向津媛は、『日本書紀』の神功皇后摂政前紀において仲哀天皇が熊襲征伐をしようとした際に現れた神ですが、通説では、その後神功皇后が難波に向かう際に現れた天照大神の荒魂のこととされております。

    『神道五部書』の『倭姫命世紀』の伊勢荒祭宮の項や『大和志料』の語る広瀬神社の項における荒祭神社が、荒祭宮の祭神を「皇大神宮荒魂」なり「天照大神の荒魂」であるとした上で、「瀬織津比咩神」と同体であることを記していことが最大の根拠でもありました。
     瀬織津姫は天照大神の荒魂であるから、その天照大神の荒魂と同じとされている撞賢木厳之御魂天疎向津媛も当然瀬織津姫のことである、という

    大和さんは明記しているのはあくまで「撞賢木厳之御魂天疎向津媛は広田神社の祭神ではない」という

     岩波書店版の『日本書紀』は、「天疎向津媛」について頭注で「~天照大神の荒魂と同じか~」と「か」を付しながら鈴木重胤の説を引いているわけですが、小学館版の頭注は「天照大神の荒魂をさす」と鈴木重胤の説を全面的に受け入れております。
     大和さんによれば、鈴木重胤は国学を政治利用していた国士で、長州藩士などのいわゆる「勤皇」の志士に影響を与え、文久三(1863)年に反勤皇派によって自宅で斬殺された人物なのだそうです。

    『紀』が伊勢の神として「撞賢木厳之御魂天疎向津媛」という“天照大神ではない”神名を書いているので、根拠もないのに荒魂説を主張し、広田神社の祭神に仕立てたのだそうです。
    大和さんが掲げる「荒魂説に根拠がない」理由は以下のとおりです。
    ―引用:『日本神話論』―
    一、『紀』の神功皇后摂政前紀は、「伊勢国の百伝ふ渡逢県の拆鈴五十鈴宮に所居す神」と、明記しており、伊勢神宮の所在地の神であり、どこにも摂津国の広田神社との関係は記していない。
    二、神功皇后紀の摂政元年二月条に、「『我が荒魂をば、皇后に近くべからず。当に御心を広田国に居らしむべし』と、天照大神が言ったとあるので、勤王の国士を認ずる鈴木重胤は、伊勢神宮の祭神は「天照大神」という神名以外はないという先入観で、同じ神宮皇后紀に載る伊勢神宮の祭神の「荒魂」に、強引に結び付けたのである。「荒魂」の「荒」を『「遥」に后ひ居たまふ義』などと書いて、まったく意味が違う言葉を無理に結び付けており、説得力がない。
    三、広田神社は『延喜式』「神名帳」に載る「名神大社」で、西宮市大社町に鎮座する。『住吉大社神代記』には、「広田社の御祭の時の神宴歌」として、「墨江に筏浮かべて渡りませ住吉の夫」とあり、伊勢神宮ではなく住吉神社にかかわる神社である。神功皇后摂政前紀の新羅遠征伝承に、住吉神が登場しているから、住吉神に関係がある広田神社の神が、伊勢神宮の神の荒魂になったのであって、「荒魂」は伊勢に鎮座する「撞賢木厳之御魂天疎向津媛」ではない。
    四、神功皇后摂政前紀はこの記事に続けて、「尾田の吾田節の淡郡に居す神」を書いているが、この「淡郡」は志摩国であることからも、その前に書かれている神が伊勢の神であることはあきらかである。
    五、決定的なのは「神風の伊勢国の百伝ふ渡逢県の拆鈴五十鈴宮に所居す神」と伊勢神宮の祭神であることを明記している事実である。この事実を無視して摂津国の生田(ママ:広田か?)神社の祭神にするのは、暴論である。

    しかし、同場面にて神名を尋ねられた神、すなわち「底筒男・中筒男・上筒男の三柱―いわゆる住吉神―」は、ひとまず「天照大神の御心なり」と語っております。私などはこれをもって荒魂とみるべきかとも思うのですが、『日本書紀』において名を顕された神には天疎向津媛と住吉神以外にも、「尾田の吾田節の淡郡にいる神」がおり、「天事代虚事代玉籤入彦厳事代主神」もおります。

    中世における瀬織津姫を荒魂とみる概念
     ただ、これを『真福寺善本叢刊 第6巻( 臨川書店 )両部神道集( 国文学研究資料館/編)』所載のそれで確認してみたところ、たしかにその旨は翻刻されているのですが、底本現物の写真をみると、当該部分は欄外に補記されたものでありました。一旦成書となった後に何者かが補記したことは間違いありません。
     
    その『天地霊覚秘書』にせよ『倭姫命世紀』にせよ、「瀬織津姫」が「八十枉日神」であり「天照大神の荒魂―皇大神宮荒魂―」であるということは書いてあっても、それが「撞賢木厳之御魂天疎向津媛」のことだとはどこにも書いていないのです。
    ―『倭姫命世紀』より―
    荒祭宮一座 皇大神宮荒魂。伊邪那岐大神所生神。名八十枉日神也
       一名瀬織津比咩神是也。御形鎮座。
     
     なにしろ、撞賢木厳之御魂天疎向津媛が瀬織津姫であるためには、まず撞賢木厳之御魂天疎向津媛が天照大神の荒魂でなければなりません。
     また、広田神社の祭神が撞賢木厳之御魂天疎向津媛であるためにも、その前提として撞賢木厳之御魂天疎向津媛が天照大神の荒魂でなければなりません。
     しかし、現在のところそれを裏付ける文久二(1862)年以前の情報を私は知りません。どうやら大和岩雄さんの論を受け入れるしかなさそうです。
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