真清田神社、天香山、高倉下

May 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

image真清田神社、天香山、高倉下

神社神明細帳によれば 当社の創建は崇神天皇の御代のこととされるが、当社の社記によれば、神武天皇33年3月3日、…

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コメント

  • 「阿波国風土記逸文 アマノモト山」。
    阿波国ノ風土記ノゴトクハ、ソラヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波国ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、ソノ山クダケテ、大和国ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申。
  • 宮簀媛命は松炬島で日本武尊と初めて顔合わせします。
    この時点で彼女はまだ独身。
    父親は初代の尾張国造とされる乎止與命(おとよのみこと)で、母親は真敷刀俾命(ましきとべのみこと)とされます。
    乎止與命は熱田神宮摂社の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)の御祭神で真敷刀俾命は下知我麻神社の御祭神となります。そして真敷刀俾命は尾張大印岐(おわりのおおいみき)の娘でした。

    尾張国一宮の真清田神社社伝に

    高尾張邑 から尾張に移住したのは 天火明命の子である天香山命とされますが、乎止與命以前の系図は後になって接合されたものと思われ、乎止與命の時代近辺に移住したと想定されます。

    天香山坐櫛真智命 神社
    あまのかぐやまにいますくしまちのみこと神社
    鎮座地 奈良県橿原市南浦町608
    ご祭神 櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)

    本来、櫛眞知命とするのが正しいと考えられているようで元の名は大麻等乃知神で占いの神)卜事占兆をつかさどる神

    『書紀』に一書として、天火明命の子で、尾張連らの遠祖とある。
    『旧事』天香久山、天香語山、天香山、などと書かれる。 
    母は天道日女で、物部氏の祖・宇摩志麻治は異母弟にあたる。異母妹・穂屋姫を妻として、天村雲を生んだとある。
  • 真清田神社には伝正徹筆による由緒・「古縁起」(真清田神社縁起)が伝わっています。

    正徹(歌人で東福寺の僧)がこの由緒を書いたのは応永25年(1418年)のことらしいのですが、本当かどうかは不明です。

    「古縁起」によれば、崇神天皇の夢によって国之常立神を勧請し祭神としたそうです。
    祭神を天火明命とするのは、江戸時代の吉見幸和(神道家)が「宗廟社稷問答」、「大日本史」などで唱えた説です。また「真清」は真清鏡(ますのかがみ)に由来するとの説から鏡作に関係し、天火明命後裔の鏡作氏と関係が想定されます。岐阜県の各務原(かがみはら、一宮市の北東に位置する)の地名も、銅鏡などを作る鏡作部の存在と関わってきます。さらに尾張には尾張氏を祀る神社が多いことから明治政府は祭神を天火明命とすることで公式に認めました。

    鏡作坐天照御魂神社

    鎮座地が田原本町で秦氏の拠点である。いずれにしても、祭神が正式に天火明命となったのは明治以降という。
  • November 2016 編集されました
    真清田神社の北側に酒見御厨とあります。
    ここは倭姫命(第11代垂仁天皇の第4皇女)が伊勢に入る前に天照大神を奉じて立ち寄った場所(元伊勢)で、中島宮とされています。現在は酒見神社(鎮座地は一宮市今伊勢町本神戸字宮山1476で、主祭神は天照皇大御神)が鎮座しています。平安時代に記述された「太神宮諸雑事記」に、尾張国造により、中嶋郡が中嶋神戸として、伊勢神宮領として寄進されたという内容の記述がある。中嶋神戸は、今伊勢町本神戸と推測される。

    「太神宮諸雑事記第一」の記述内容は、「次尾張国中嶋郡一宿御坐、国造進中嶋神戸」となっています。倭姫命が立ち寄った地が、尾張国造により伊勢神宮に寄進され神領となったのです。時代を考えると、ここに記載された尾張国造は初代尾張国造とされる乎止與命(おとよのみこと)となりそうです。
    倭姫命は日本武尊の叔母。
  • November 2016 編集されました
    大和から美濃への移住

    垂仁天皇の時代に尾張大海媛(崇神天皇の妃。別名の葛城高名姫は葛城高尾張に由来?)が生んだ皇子八坂入彦を奉じて美濃に入ったとする説がある。
    岐阜県可児市久々利にある景行天皇の泳宮(くくりぐう)近くに八坂入彦陵があります。「日本書記」によれば、景行天皇が美濃に行幸し、八坂入彦の娘八坂入媛を娶ったとあります。大高は尾張氏の祖である宮簀媛の居住地であり、尾張氏はその後熱田に移って定着したとするものです。

    八坂入彦
    記・紀にみえる崇神(すじん)天皇の皇子。母は尾張大海媛(おわりのおおしあまひめ)。「日本書紀」によれば,景行天皇4年美濃(みの)行幸のおり,天皇は八坂入彦の娘の弟媛(おとひめ)を妃にしようとしたが,弟媛は辞退し,姉の八坂入媛(やさかのいりひめ)を推した。八坂入彦皇子ともいい,「古事記」では八坂之入日子命としるされる。
  • November 2016 編集されました
    小針は、尾張名称発源の地と言い伝えられている。小牧市小針辺り。

    江戸時代に尾張藩が編纂した『尾張符誌』によれば、小針村は、古くは尾張村であって、尾張の名称はこの地から起こったとしている。 『尾張志』によれば、 小針は、古代には「小冶田」、「小墾」、「尾冶」とも書いたという。 小針の中心に「尾張神社」があるが、この周辺には、古墳時代を中心とする遺物散布地が濃密に分布していて、小針には、早くから大規模な集落が営まれていたと考えられる。また、かつて土器田・鏡田・一色畑・政所などの地名が存在しており、古代社会の存在を物語るものと言われている
  • 猿投神社の創建は仲哀天皇元年で、天皇の勅願により現在の地に祀られました。猿投山の東峰には東宮、西峰に西宮が鎮座しており、本社、東宮、西宮の三社で猿投三社大明神と称されています。と言う

  • November 2016 編集されました
    阿豆良神社(あずらじんじゃ)
    創建時期は垂仁天皇57年(28年)とされ、とても古い神社です。
    鎮座地は一宮市あずら1-7-19。
    祭神の天甕津媛命は出雲風土記などに記載されている出雲神話の神という。

    社伝によると、以下の話が伝わっている。
    垂仁天皇の皇子品津別皇子7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。
    建岡君は美濃国花鹿山(現岐阜県揖斐郡揖斐川町の花長上神社)に登り、榊の枝で縵を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。

    「古事記」に
    品津別皇子が物を言わないのは出雲大神の祟りとしています。祟りを鎮めるため天皇が皇子を曙立王、菟上王とともに出雲に遣わし、大神を拝させると皇子は話せるようになりました。その帰り、皇子は肥長比売(ひながひめ)と同衾したのですが、この比売が蛇体であったため、畏れて逃げたとされます。彼女の名前にも蛇が表現されています。すなわち出雲・肥川(斐川)の長(ナーガ=蛇)である比売となります。

    阿豆良神社には倭姫命が配祀され、摂社に一宮社(火明命を祀る)、二宮社(大荒田命を祀る)、津島社(素盞嗚尊を祀る)、国府宮社(大國魂命を祀る)などがあります。配祀されている倭姫命は、既に書いたように垂仁天皇の14年に天照大神を奉じ伊勢へと向かう途中、尾張の地(中島宮)に立ち寄っています。中島宮の比定地は一宮市今伊勢町本神戸字宮山1476に鎮座する酒見神社
  • November 2016 編集されました
    尾張大國霊神社の平成祭礼データ

    天背男命(尾張族の祖先)の子孫である中島直(後に久田氏、野々部氏を称して明治維新まで奉仕しました)をして奉仕せしめられたという。…中略…神職には古くから尾張族の遠祖、天背男命の子孫が代々奉仕して来ました。

    尾張大國霊神社に鎮座する神様の実体は天津甕星のようです。丹陽町多加木に降臨した真清田大神は天火明命ではなく、天津甕星か?
  • 真清田大神は天津甕星の説

    出典
    http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/category41-1.html

    松炬島であった星崎に鎮座する星宮社の祭神が天津甕星。
    そして、松炬島は熱田神宮の元々宮であると書いています。
    酔石亭主が尾張氏の最重要拠点と考える松炬島のみならず、真清田神社が鎮座する一宮市、尾張大國霊神社が鎮座する稲沢市まで天火明命ではなく、天津甕星が祀られている。。。。

    尾張氏の支配地域とされる一宮市から稲沢市国府宮にかけての一帯は、当初、尾張氏の支配領域ではなかったことになります。尾張氏が勢力を増して尾張国全域を自分の統制下に置いた結果、これら神社が尾張氏系と見做されるようになったと言うのが実情ではないでしょうか?それは尾張氏の本貫地ともされる東谷山周辺も同様と思われます
  • November 2016 編集されました
    大和国十市郡飫富郷にいた多氏が三輪氏と共に尾張に移住

    三輪山の太陽信仰と太氏
    古代には三輪山頂上に日向神社(現・高宮神社)が鎮座しており、社名からも太陽祭祀に関係があるとされています。そして、多氏が祀る多神社は奈良県磯城郡田原本町に鎮座し、その鎮座位置が三輪山山頂の真西となり、三輪山の春分、秋分の日の出を拝することができます。

    三輪山を祭祀する一族三輪氏と多氏は、太陽信仰を通じて密接な関係があった。

    尾張国一宮の真清田神社は本殿真裏の現・三明神社鎮座地が三輪山の大神神社と同じ大物主神(或いは大国主命)を祀っており、その場所が原初の真清田神社でした。ここが尾張国一宮で、尾張国二宮は既に推測したように名神大社八座の一つである大神社を当てます。そして尾張国三宮は熱田神宮に擬せられていた一宮市の大神神社が該当するとすれば、尾張国の上位三神社は三輪氏と多氏が祀る大和系勢力の社で、全て一宮市に鎮座することになってしまいます。

    「真清探當證」によれば、履中天皇の第1皇子である市辺押磐皇子が殺害されてから、その子の億計王(後の仁賢天皇)と弘計王(後の顕宗天皇)は、丹波を経由して真清田神社に到着し、二人の皇子の護衛は、毛受や馬引、守基などに陣取ったそうです

    油田の由来
    口碑によればこの地にむかし真清田大神が降臨し、後年現在の地に遷座したと言う。当地の所在は、町名町界の変更がなされるまでは、大和町妙興寺字油田十三番地として親しまれた。
    真清田神社の桃花祭に、妙興寺より一馬を引く由縁がそこにあると伝えられる。
    油田の地名の起りは明らかでないが、その土地を燈明料所として真清田神社に寄進し、年貢の一部が納入されたことに由来するものと思われる。
    しかし、町名町界の変更によりこの地も平成十五年五月からは、多加木ニ丁目十七番九に改められた。

    解説石板によれば、昔、大和町妙興寺字油田に真清田大神が降臨し、後年現在の真清田神社社地に遷座したため、真清田神社の桃花祭に妙興寺より一馬を引くこととなったようです。となると、一宮市大和町馬引の馬引は真清田大神の遷座に由来するものと考えられます。
    「真清探當證」には、履中天皇の第1皇子である市辺押磐皇子が殺害されてから、その子の億計王(後の仁賢天皇)と弘計王(後の顕宗天皇)は、丹波を経由して真清田神社に到着したとあります。億計王が来たという真清田神社は油田からはそれほど遠くありません。
  • November 2016 編集されました
    履中天皇の第1皇子である市辺押磐皇子と三輪君

    「日本書紀」によれば、市辺押磐皇子の同母弟である御馬皇子(みまのみこ)が身の危険を察知して、親交のある三輪君身狭(みわのきみむさ)のところに逃げようとしたところ、三輪の磐井で待ち伏せしていた雄略天皇の軍に捕らえられ処刑されています。

    真清田神社の境内社・八龍神社に関して、「真清探桃集」には、祭神が鎮座する際、八頭八龍の大龍が下ったと記されています。ちょっと怪しい場所の一宮市泉2丁目に鎮座する花岡神社は、大正9年10月広畑町の八ツ白社・八ツ白龍神(現・泉3丁目12番13号)を勧請したのが始まりとされ、御祭神は白龍 ・黒龍の二神で、億計王と弘計王が卯つ木塚(同じ泉3丁目12番13号)に身を隠したことに由来するとのことです
  • November 2016 編集されました
    熱田大神とは、誰か?、その荒魂を祀る一之御前社

    「熱田神宮御遷宮宮記」に、所謂一之御前社は実に日本武命荒魂之霊也とある。

    熱田神宮拝殿左手には北に向かい真っ直ぐ延びる小道があります。そこの案内板の記載内容の概要は以下の通り。

    この小径を進みますと「一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)」にお参りできます。ご祭神は、ご本宮にお鎮まりになる熱田大神の「荒魂(あらみたま)」です。…中略…ご参拝に際しての注意事項 これより先は熱田神宮における最も神聖な場所です。

    熱田神宮の尾張氏側は極秘に一之御前神社を創建し、草薙神剣の荒魂を自ら祀ることにしました。
    このことは絶対の秘密であるがゆえに、何と2012年の12月まで一之御前神社は禁足地とされていた。
    もちろんこの場所に神社があることは、隠しても隠しきれません。よって瑞穂区に一之御前神社の分霊が勧請されました。詳細は以下を参照ください。
    http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=9143

    一之御前神社(愛知県名古屋市熱田区):熱田神宮摂社
    ご祭神 日本武尊/倭健命(やまとたける)
    大伴武日命(おおとものたけひ)
    ご祭神について 日本武尊:難局打開、武運/武徳長久の神
    大伴武日命:日本武尊の東征に吉備武彦と共に参加、大伴氏の祖神とされる天忍日命の後裔とされる

    永禄7年(1564年)、尾張高田城主の村瀬浄心が、熱田神宮摂社の一之御前神社より御分霊を勧請したことに始まるとされるが、ご祭神が異なるため、その経緯がどういう変遷を得たのかは謎となる。ただし、「熱田神宮御遷宮宮記」に、所謂一之御前社は実に日本武命荒魂之霊也とある。
    所在地 (〒467-0879)愛知県名古屋市瑞穂区平郷町5-13
  • 犬山の荒田を開拓したのが大県神社に祀られた大荒田命です。ここが尾張二の宮。
    尾張一宮(真清田神社)と尾張三の宮(熱田神宮)と異なる勢力らしい。

    犬山の大県神社の近くには4世紀後半の青塚古墳がある。
    これは4世紀前半に遡る可能性があり、奈良の桜井茶臼山の祭祀に似ているとか、4世紀後半のは和邇氏の東大寺山古墳と同じような鰭付円筒埴輪を使っているようです。
  • August 2017 編集されました
    「弥彦神社」別名「伊夜日子神社」
    主祭神・天香山命

    新潟県弥彦山(西蒲原郡弥彦村)に本社
    「いやひこじんじゃ」ですが、「弥彦」「彌彦」と書く場合には、「やひこ」と読んでもよいそうであります。
    弥彦・彌彦・伊夜日子・伊夜比古・伊夜彦等々あります。
    御神廟
    奥の宮。弥彦山頂に鎮座する。
    天香山命と妃神熟穂屋姫命の神廟とされる。

    本社・彌彦神社と、各地の同系神社
    彌彦神社  新潟県西蒲原郡弥彦村
    祭神  天香山命(あめのかごやまのみこと)
    創建  不詳
    延喜式・名神大社 越後国一の宮
    ※祭神は、「大屋彦命・大彦命」とする説もある。

    伊夜日子神社  北海道札幌市中央区
    祭神  天香具山命(天照皇大神の曾孫神)
    本社は越後国一宮・彌彦神社。

    伊夜彦神社  長野県塩尻市宗賀
    祭神  天香護山命  

    伊夜比メ神社  石川県七尾市能登向田町
    祭神  大屋津媛命
    天照大神・豊受大神・応神天皇・神功皇后
    イザナミノ命・菊理媛命
    ※大屋津媛命は、弥彦神(天香具山命)の妻に当たる。

    奈良県の「天香山神社」(あめのかぐやまじんじゃ)自体、
    この「天香山神社」の祭神は、「櫛真智命」(くしまちのみこと)
  • 弥彦神社の摂社

    妻戸神社 (つまどじんじゃ)
    祭神:熟穂屋姫命 (うましほやひめのみこと) - 天香山命の妃神。
    鎮座地:長岡市寺泊野積(境外社、位置)
    神廟:御神廟(弥彦山頂)

    武呉神社 (たけくれじんじゃ)
    祭神:天五田根命 (あめのいつたねのみこと) - 第1嗣(天香山命の後継第1代)。
    鎮座地:本社境内(位置)
    神廟:本社境内

    船山神社
    祭神:天忍人命 (あめのおしひとのみこと) - 第2嗣(後継第2代)。
    鎮座地:新潟市西蒲区福井(境外社、位置)
    神廟:鎮座地に同じ

    草薙神社
    祭神:天戸国命 (あめのとくにのみこと) - 第3嗣(後継第3代)。
    鎮座地:本社境内
    神廟:弥彦公園内の御殿山(位置)

    今山神社
    祭神:建筒草命 (たけつつくさじんじゃ) - 第4嗣(後継第4代)。
    鎮座地:本社境内
    神廟:新潟市西蒲区樋曽(位置)

    勝神社 (すぐるじんじゃ)
    祭神:建田背命 (たけたせのみこと) - 第5嗣(後継第5代)。
    鎮座地:本社境内
    神廟:弥彦公園内の御殿山

    乙子神社 (おとごじんじゃ)
    祭神:建諸隅命 (たけもろずみのみこと) - 第6嗣(後継第6代)。
    鎮座地:本社境内
    神廟:本社境内 - 旧本殿近くの椎の神木西脇に鎮座。

    桜井神社
    祭神:天香山命
    鎮座地:弥彦村麓字小桜(境外社、位置) - 弥彦神社の旧跡と伝える。
  • August 2017 編集されました
    「 天香語山命(あめのかごやまのみこと)
    異味穂屋姫命を妻とし一男を生む。
    孫子 天叢雲命なり。此命 
    阿俾良依姫(あいらいひめ)を妻とし、
    二男一女を生む 」
    『 旧事紀 』

    天村雲命
    『海部系図』によれば、始祖彦火明命の御子の天香語山命が穂屋姫命を娶り天村雲命を生む。彦火明命の孫にあたる天村雲命の亦名を天五十楯天香語山命と云う。
    彦火明命 丹後國與謝郡 籠神社に祀られる。
    天忍人命 伊豫國伊豫郡 高忍日賣神社、大和國葛下郡 蟹守神社に祀られる
    天忍男命 山城國久世郡 水主神社に祀られる。
    天五田根命とも呼ばれ、田村神社に祀られる。
    土神葛木剣根命のむすめが天忍男命(天村雲命の孫)と婚姻して、澳津世襲命(尾張連祖)が生まれる。

    天隠山命は高倉下命とも言われ、神武天皇御東征の砌霊剣を奉って偉功を立て、後御子天五田根命と共に紀伊国より讃岐に渡らせられ山河を以って国郡の境界を分つなど開拓水利の基を定められた。

    式内社 
    阿波國麻殖郡 天村雲神伊自波夜比賣神社二座(論社)
    天村雲(あめのむらくも)神社
    鎮座地  徳島県吉野川市山川町村雲133
    御祭神  天村雲命  伊志波夜比女(いしはやひめ)命 『徳島県神社誌』
    創祀年代不明。
    社伝に「 往古忌部の氏人が創始した 」とある忌部神社の摂社。
    ( 「村雲家」は、忌部神社の神官家の一つ )
    全国3132座ある式内社で、「天村雲」を冠する唯一の神社である。

    伊志(自)波夜比賣は、
    「 建御名方命の孫にあたる出速雄命(いずはやおのみこと)の女であり、天村雲命の妃である 」
    『 大日本史神衹志 』
    「 信濃諏訪系に 建御名方命の御子 出速雄命の女に 出速姫(いずはやひめ)命 あるは、伊自波夜比賣(いじはやひめ)神に由あり 」
    『 大日本地名辞書 』
    「 天香語山命(あめのかごやまのみこと)異味穂屋姫命を妻とし一男を生む。孫子 天叢雲命なり。此命 阿俾良依姫(あいらいひめ)を妻とし、二男一女を生む 」
    『 旧事紀 』
    「 貞観14年 (872年)伊良比咩(いらひめ)に従五位下を授く 」
    『 三代実録 』
    「 此伊良比咩は恐らくは即ち 伊自波夜比賣 ならんか 」
    『 阿波志 』

    とあり、上記のように一説では建御名方命の孫で、天村雲命の妃 である。
    天村雲命は、別名を「天五多底命(あめのいだてのみこと)」という。
  • 基本はスサノオの直系であることを何とかして隠すことです。
    オオトシを天火明にして日向族の系図に取り入れたのはいいのですが、天火明と結婚した妃の本当の名前を入れてしまっては、オオトシが天火明であるとばれてしまいますよね。だからカグヨヒメ(香用姫)とは書けなかったわけです。
    そこで『先代旧事本紀』では天道日女という別名を当てました。


    スサノオの直系であることを隠すと同時に、記紀編纂者がもう一つ隠さなければならない系図がありました。
    それがナガスネヒコ一族の血統です。

    天香山がミカシキヤヒメの娘ホヤヒメ(穂屋姫)と結婚した

    なぜ穂屋姫がミカシキヤヒメの娘であることがわかるかというと、『先代旧事本紀』に天香山は異母妹と結婚したとあるからです。「異母妹」だけでは、穂屋姫の母親が誰であるかわかりませんよね。
    ところが、新潟の弥彦神社に行けば、穂屋姫が誰の娘であるかわかるようになっているんですね。

    弥彦神社の主祭神は天香山です。
    ところが摂社を見て歩くと、そこに天香山の妃神を祀った神社があることに気がつきます。
    妃神の名前は、熱穂屋姫と書いて、ウマシホヤヒメとなっています。「熱」と書いて「ウマシ」とは、食べ物を火で熱すると美味くなるから「うまし」と読ませるんでしょうか。
    それはともかく、ウマシと聞けば、ウマシマヂですよね。つまりウマシホヤヒメは、ウマシマヂの妹か姉であることが推察されるわけです。
    父は天火明ことオオトシ。母はミカシキヤヒメ。
    まさに天香山の異母妹になるわけですね。

    わざと「ウマシ」という文字を外して、穂屋姫と書いたか
  • 妹穂屋姫命、母佐手依姫命亦名・・・」 > の、佐手依姫とは対馬のことでしょうか。 > 天道日女などもあり、対馬を強く連想させます
  • スサノオ ─ 饒速日命 ─ 宇麻志麻治命(母長髄彦〔大国主神〕妹御炊屋姫。妹穂屋姫[母同。天香語山命妻])─ 味饒田命(弟彦湯支命)─神日子命 ─ 麻佐良命 ─ 久尼牟古命 ─ 大由乃支命 ─ 大阿刀足尼


    ─ 建諸隅命(母節名草姫。由碁理。弟大海姫命、弟◇[磯城島祖])

    ─ 倭得玉彦命(母: 葛城諸見己姫。日本得魂命、市大稲日命。妹大倭姫命[母同。「古事記」は竹野姫を丹波の大縣主由碁理の娘とす。しかし母は葛城氏で、出身地は大和葛城。天豊姫命、臺與、竹野姫命。開化妃])

    ─ 弟彦命(妹日女命、弟玉勝山代根古命[水主、雀部、軽部、蘇宜部、三富部の祖]、弟若都保命[五百木部祖]、弟置部与曽命[子に大原足尼命…筑紫豊国造]、弟彦与曽命─大八崎命…斐陀国造)

    山背根子(やましろねこ)は、山城国久世郡水主村(みずし)現在の城陽市久世にある、水主神社(みずし)」に祀られている。この神社の祭神は、始祖「彦天火明(ほあかり)」から九世孫の「山背大国魂命」となっており、その「山背大国魂命(やましろおおくにみたま)」は、「玉勝山背根子(たまかつやましろねこ)」のことで、この地域の祖としている。
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