四道将軍 吉備津彦

December 2018 編集されました カテゴリ: 吉備
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四道将軍派遣  古事記と日本書紀には他称の記述のそういが見られる。 大和王朝建国過程の各地の豪族平定譚が記され…

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コメント

  • 遣わされた地域に四道将軍が比定できる古墳がある。
    吉備津彦の命 中山茶臼山古墳
    大彦の命   川柳将軍塚古墳、御墓山古墳
    丹波道主の命 黒部銚子山古墳、 細野銚子山古墳
    武渟川別の命 会津大塚山古墳

    吉備津彦
    考霊天皇の皇子であり、陵墓要覧には中山茶臼山古墳となっている。
    吉備津彦は倭迹迹日百襲姫とはきょうだいである
    特殊器台形埴輪片(箸墓古墳と共通)が出土しており、築造時期が前Ⅰ期の後よりと推定される。『日本古墳大辞典』

    吉備津神社の社伝によれば、大吉備津彦の命は、吉備の中山のふもとに、「茅葺(かやぶき)の宮」をつくって住み、この御殿で、吉備の統治にあたったという。
  • ■浦間茶臼山(うらまちゃうすやま)古墳
    岡山市に、「浦間茶臼山古墳」とよばれる古墳がある。
    この古墳について、岡山県教育庁文化財課の宇垣匡雅(うがきただまさ)氏は、つぎのようにのべる。
    「この浦間茶臼山古墳と同様な墳形をとる古墳は箸墓古墳である。この二つの古墳の規模の比較をおこなったのが下記の表であるが、浦間茶臼山古墳は箸墓古墳の墳丘諸元の1/2の数値をとるとみてよく、浦間茶臼山古墳の墳形が箸墓古墳の1/2の相似形をとることは確実である。そして墳丘の平面形だけでなく、立面についてもよく類似を示しており、両者がおなじ企画にもとづいて築かれたものと判断できる。」(「吉備の前期古墳-1 浦間茶臼山古墳の測量調査」[『古代吉備』第9集、1987年刊])

    浦間茶臼山古墳には、堅穴式石槨があり、「竹形木棺を納めていたものと判断してよい」構造になっていた。『魏志倭人伝』の「棺あって槨なし」の記述とあわない。
    この浦間茶臼山古墳からは、また「篦被(のかつぎ)」のある銅鏃が出土している。
    「篦被」のある銅鏃は奈良県のホケノ山古墳がらも出土している。

    「(ホケノ山古墳の)調査段階で問題になりましたのは、図(省略)の上の左側の二本です。銅鏃の下に突起みたいなもの(ホケノ山古墳の)が付いています。ふつう、このタイプの銅鏃が出ますと、前期古墳の中でも前半ではなくて、中ごろから後半だというふうにいわれている銅鏃です。そういう銅鏃が主だっていますから、この墳(ホケノ山古墳)は新しいんじゃないかということが調査中から問題になりました。銅鏃を専門に研究している人、あるいは専門ではなくても、いわば前期古墳に関心のある考古学をやっている人間にとっては、常識的に、このタイプがこんなに古いとき、こんな段階であるのだろうかと。」
  • 『出雲国風土記』
    そこには、オオクニヌシは、・・・『我(あ)が造り坐(ま)して命(うしは)く国は、皇御孫命(すめみまのみこと)、平世(やすくに)と知らせと依さしまつり、但、八雲立つ出雲の国は、我が静まり坐(ま)さむ国と、青垣山廻らし賜ひて、玉と珍(め)で直し賜ひて守りまさむ』

    (現代語の意訳:「私が造り、支配していた国は、天神の子に統治権を譲ろう。ただし、八雲たつ出雲の国だけは自分が鎮座する国として、垣根のように青い山で取り囲み、心霊の宿る玉を置いて(玉を愛する如く、愛し正して)国を守ろう」)・・・と言ったとされています。

    二つの領域があると考えられます。ひとつは、「私が造り、支配していた国」であり、もうひとつは「八雲たつ出雲の国」です。

    「私が造り、支配していた国」こそ、四隅突出型墳丘墓が造られ、今日までも出雲の神々の伝承が語られ、オオクニヌシ等の出雲の神々を主祭神とする神社(気多大社、高瀬神社、出雲大神宮、倭文神社等など)が残る地域ではないでしょうか。
    そして、「八雲たつ出雲の国」とは、今の出雲地方のことではないでしょうか。

    オオクニヌシ(出雲)は、前者を譲り、後者を死守するという選択をしたのです。その意味は、「自分が鎮座する国として、垣根のように青い山で取り囲み、心霊の宿る玉を置いて(玉を愛する如く、愛し正して)国を守ろう」というところで読み取れます。
    崇神天皇は、「四道将軍」を北陸、東海、西海、丹波に送り、『従わない者は、兵を持って討て』と命令したとされています。北陸、丹波における出雲の影響力(支配)が解き離れたからではないでしょうか。そして、将軍の派遣は丹波で止まり、出雲には及んでいない。

    吉備が出雲とくみしている。鉄と建部の伝承によれば、景行天皇の時代に共に東国に向かっている
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