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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと) 新任の出雲国造が天皇に対して奏上する寿詞。 出雲国造は都…
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始 祖 天穂日命
第 2世 武夷鳥命(たけひなどり)
第 3世 伊佐我命
第 4世 津狭命
第 5世 櫛瓺前命(くしみかさき)
第 6世 櫛月命
第 7世 櫛瓺鳥海命(くしみかとりみ)
第 8世 櫛田命
第 9世 知理命
第10世 世毛呂須命
第11世 阿多命 別名 出雲振根
第12世 氏祖命(おほし)—初代出雲国造 別名 鵜濡渟(宇迦都久怒)
第13世 襲髄命(そつね)—野見宿禰・・・相撲の元祖
第14世 來日田維命(きひたすみ) 別名 岐比佐都美
第15世 三島足奴命(みしまそまぬ)
第16世 意宇足奴命(おうそまぬ) 別命:游宇宿禰
第17世 国造出雲臣宮向 出雲姓を賜わる
第18世 国造出雲臣布奈
第19世 国造出雲臣布禰
第20世 国造出雲臣意波久
第21世 国造出雲臣美許
第22世 国造出雲臣叡屋
第23世 国造出雲臣帯許
第24世 国造出雲臣千国
第25世 国造出雲臣兼連
第26世 国造出雲臣果安 松江市大庭町より杵築の地(出雲大社のある地域)に移る
第27世 国造出雲臣広島 出雲風土記
斎木雲州著『出雲と蘇我王国』
出雲神族の末裔の富當雄氏の子が著者
出雲は、西出雲の王と東出雲の王が交代で、主王(オオナムチという役職名)と副王(スクナヒコという役職名)を決めており八代目のオオナムチが、「大国主命」で、スクナヒコが「事代主命」(正しくは八重波津身)であったそうです。
11世の出雲振根は神門臣の人物、飯入根は弟ではなく向家の人物、甘美韓日狹(うましからひさ)と子の鸕濡渟(うかづくぬ)は天穂日命の子孫とある。
出雲振根は崇神天皇の時代の話ではなく、垂仁天皇の時代、物部十千根(とおちね)を将軍とする物部軍に討死にしてしまいその時、西出雲も東出雲も滅ぼされてしまったといいます。
しかし、斎木雲州著『出雲と蘇我王国』によれば、出雲振根は、西出雲の王家ー神門臣家であり、さらには。野見宿禰と淤宇宿禰は、東出雲の王家ー向家(富家)の先祖だそうです。
つまりは、この系譜は少なくとも3家(神門臣家・向家・天穂日命家)習合した系譜であるということです。
祭神の山代彦命が向家の先祖の豪族で、山代二子塚古墳は、山代彦命の古墳であるという。
向山1号墳のある向山 北側に山代神社があり、南側に向山古墳群があります。
出雲国造は、出雲国庁のあった松江市東部に居て
出雲大社のできる前、往古より、出雲族は、出雲大社ではなく、熊野大社を奉斎していたといいます。
出雲風土記(733年)の楯縫郡(たてぬいぐん)に
楯縫(たてぬい)の地名由来として、神魂命が 大国主命が住む天日栖宮の建設を命令し
天御鳥命(あめのみとりのみこと)を「楯部」として遣されたとのことが書かれています。それで、今(奈良時代)に至るまで、楯や桙を造っていると書かれています。
健部郷(たてるべごう)。
ー前略ー 後に改めて健部と名づけたわけは、纏向檜代宮御宇天皇(景行天皇)がおっしゃられたことには、
「わたしの御子、倭健(やまとたける)命の御名を忘れまい」と健部をお定めになった。
そのとき神門臣古禰(かんどのおみ こみ)を健部とお定めになった。
健部臣たちが古から今までずっとここに住んでいる。だから、健部という。”
解説 出雲風土記 島根県古代文化センター[編 ]今井出版
大物主が祀られたのは桜井市の三輪山、大神神社
阿遅須岐高孫根神は葛城の高鴨神社
事代主神は橿原市の河俣神社
とそれぞれ比定されているが、飛鳥に祀られたという賀夜奈流美神の社だけがどこなのか、わからないのである。かやなるみ神については、男神とみる説、事代主神の妹の高照姫神とする説がある。
奧飛鳥の栢森には賀夜奈留美神社がある。ここは石上神社宮司であった富岡鉄斎が復興したという。飛鳥ではかやなるみを祭神とする神社は、栢森と鳥形山の麓の飛鳥坐(あすかにいます)神社の二箇所のみといい、飛鳥坐神社では、かやなるみ神は飛鳥神奈備三日女神と表記されているという。
栢森は飛鳥の最も南に位置しており、当時の都のあった場所からは見えないので、神奈備とするには離れすぎているとする説もある。今でも栢森はほとんど人が歩いておらず、清らかに飛鳥川が流れゆき、四季の自然が美しい地である。
「日本紀略」によれば、八二九年、飛鳥神奈備山の社は、神託により鳥形山山麓の飛鳥坐(あすかにいます)神社に遷坐したとある。どこから遷座したかについても、雷丘から、甘樫丘、栢森、ミハ山、と諸説あって判然としない。栢森の伝承によれば、社殿は鳥形山に遷っても、かやなるみ神の神霊は、旧社地の栢森になおとどまったとされる。
飛鳥神奈備を巡っては従来、甘樫丘、雷丘が有力であったらしいが、近年になってミハ山説が注目されているという。