物部氏の系譜

December 2018 編集されました カテゴリ: 古代氏族
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  • 現在の大阪府交野(かたの)市と枚方(ひらかた)市で天野川が流れており、伊香色雄の子・多弁宿禰(たべのすくね)が天野川流域を開拓し、淀川と天野川の合流する地域を支配した。一族は肩野物部(かたのもののべ、交野市と枚方市)となった。
     肩野物部の神社は大阪府交野市私市(きさいち)に鎮座の磐船神社で、祭神は饒速日命、ご神体は饒速日の乗ってきた磐船です。磐船神社については、2013年1月14日(月)投稿の「磐船神社」をご覧ください。

     伊香色雄は肩野物部の祖で、天野川の南方の伊香賀(枚方市伊加賀)に住み、その地域を支配した。邸宅内に高龗神(たかおかみのかみ、水神・竜神)を祀った。系図を見ると伊香色雄は素戔嗚の8代目で、9代開化天皇と10代崇神天皇に仕えました。

    素戔嗚―饒速日―宇摩志麻治―彦湯支―出石心―大矢口宿禰―大綜麻杵―伊香色雄

     現在の意賀美(おかみ)神社の地(大阪府枚方市枚方上之町1-12)は元の須加神社(素戔嗚尊)の地で、意賀美神社は近くの伊加賀村宮山に鎮座していたが、明治時代に宮山から現在地に遷座して素戔嗚尊を合祀した。当社は万年寺山に鎮座しており、万年寺山古墳も1904年に発見されました。主体部は粘土槨で青銅鏡8面と鉄刀が出土しました。築造年代は4世紀中頃で、伊香色雄の没年は4世紀前半ですから伊香色雄の墳墓かもしれませんね。
     枚方市史によると、「意賀美神社は9代開化天皇の頃、当地の豪族伊香我色雄命が淀川の水害排除と舟の航行安全を祈願して、その邸内に創建したのが始まり」とあり、淀川の水神(竜神)を祀ったのが最初と考えられる。
     伊香色雄の邸宅は、意賀美神社の元の鎮座地伊加賀村宮山(100m南)にあったと考えられます。
  • May 2016 編集されました
    河内物部

    ウマシマジー味饒田命ー大彌命ー大木食命ー鬱色雄命ー武建大尼命ー建 胆心大彌命ー物部建諸隅命

    1代
    宇摩志麻治命(うまちまち)

    2代
    味饒田命(うましにぎた) 阿刀連
    彦湯支命(ひこゆき) 綏靖 :足尼・食国の政を申す大夫

    3代
    大禰命(おおね)   安寧 :侍臣 
    出雲醜大臣命(いずものしこおおみ)懿徳 :食国の政を申す大夫・大臣
    出石心大臣命(いづしごころおおみ)孝昭、大臣

    4代
    大木食命(おおきけ) 三河国造  
    六見宿禰命(むつみのすくね) 小治田連 孝安 :足尼・宿禰
    三見宿禰命(みつみのすくね) 漆部連 孝安 :足尼・宿禰
    大水口宿禰命(おおみなくちのすくね)穂積臣、采女臣 孝霊 :宿禰
    大矢口宿禰命(おおやくちのすくね)
     
    5代
    欝色雄命(うつしこお)   孝元 :大臣
    欝色謎命(うつしこめ)   孝元天皇の皇后
    大綜杵命(おおへそき)   孝元 :大禰、開化 :大臣
    大峯大尼命(おおみねのおおね)  開化 :大尼

    6代
    武建大尼命(たけたつおおね)   開化 :大尼
    伊香色謎命(いかがしこめ)   孝元天皇の妃、開化天皇の皇后
    伊香色雄命(いかがしこお)  開化・崇神 :大臣

    7代
    建胆心大禰命(たけいこころおおね)   崇神 :大禰
    多弁宿禰命(たべのすくね) 宇治部連、交野連 崇神 :宿禰
    安毛建美命(やすけたけみ) 六人部連 崇神 :侍臣
    大新河命(おおにいかわ)   垂仁 :大臣・大連
    十市根命(とおちね)   垂仁 :大夫・大連
    建新川命(たけにいかわ) 倭志紀縣主 垂仁 :侍臣
    大咩布命(おおめふ) 若湯坐連


    建新川命 (たけにいかわのみこと)
    大閉蘇杵の孫。大宅首の祖という(『録』左京神別上、右京神別上)。

    『旧』天孫本紀に、宇摩志麻治命七世の孫で、十千根らの弟とある。伊香色雄の子。
    垂仁天皇の時代、侍臣として仕え、志紀県主らの祖という。伊香色雄の妻に「倭の志紀彦」の娘がいるので、おそらくは彼女が母であろう。
  • May 2016 編集されました
    武諸隅連
    物部武諸隅連。矢田部造の遠祖。
    崇神六十年七月十四日、天皇の「武日照命(穂日命の子・建比良鳥命のこと)が天から持ってきた神宝が出雲の大神宮にある。それが見たい」との詔により、出雲に遣わされる。
    出雲臣の祖・振根は筑紫に行っていて留守だったため、その弟の飯入根が神宝を差し出したという。
    別名を大母隅。(『紀』)
    『旧』天孫本紀にも同様の記載があり、復命したのちに大連になり、神宮(石上)を奉斎することになったとある。
    ただし、大母隅は彼の弟で、別人。
    物部胆咋宿禰の娘・清媛を妻として、多遅麻らを生むという。


    8代
    物部 武諸隅連公(たけもろずみ) 矢田部造 崇神 :大連
    物部 大小市連公(おおおち) 小市直 成務 :侍臣
    物部 大小木連公(おおおき) 佐夜部直、久奴直 成務 :侍臣
    物部 大母隅連公(おおもろずみ) 矢集連 成務 :侍臣
    物部 胆咋宿禰(いくいのすくね)   成務 :大臣
    物部 止志奈連公(としな) 杭田連 成務 :侍臣
    物部 片堅石連公(かたがたし) 駿河国造 成務 :侍臣
    物部 印岐美連公(いきみ) 志紀縣主、遠江国造、久努直、佐夜直 成務 :侍臣
    物部 金弓連公(かなゆみ) 田井連、佐比連、 成務 :侍臣
    9
    物部 多遲麻連公(たじま)   景行 :大連 
    物部 五十琴宿禰連公(いことのすくね)   神功 :大連・宿禰 
    物部 五十琴媛命(いことひめ)   景行天皇の妃
    物部 五十琴彦連公(いことひこ)    
    物部 竺志連公(つくし) 奄智蘊連 景行 :侍臣
    物部 竹古連公(たけこ) 藤原恒見君、長田川合君、三川蘊連 景行 :侍臣
    物部 椋垣連公(くらがき) 城の蘊連、比尼蘊連 景行 :侍臣
    10
    物部 印葉連公(いには)   応神 :大連 
    物部 山無媛連公(やまなしひめ)   応神天皇の妃
    物部 伊与連公(いよ)   仁徳 :侍臣
    物部 小神連公(おかみ)   仁徳 :侍臣
    物部 大別連公(おおわけ) 矢田部連 仁徳 :侍臣 
    物部 伊呂弗連公(いこふつ)   履中・反正 :大連 
    物部 麦入宿禰連公(むぎりのすくね)   允恭 :大連・宿禰 
    物部 石持連公(いわもち) 佐為連  
    物部 目古連公(めこ) 田井連  
    物部 牧古連公(まきこ) 佐比佐連  
    11
    物部 真椋連公(まくら) 巫部連、文島連、須佐連  
    物部 布都久留連公(ふつくる)   雄略 :大連
    物部 目大連公(め)   清寧 :大連
    物部 鍛冶師連公(かぬち) 鏡作小軽馬連  
    物部 竺志連公(つくし) 新家連  
    物部 大前宿禰連公(おおまえのすくね) 氷連 安康 :大連・宿禰
    物部 小前宿禰連公(おまえのすくね) 田部連 顕宗 :大連・大宿禰
    物部 御辞連公(みこと) 佐為連  
    物部 石持連公(いわもち) 刑部垣連、刑部造  
    12
    物部 木蓮子連公(いたび)   仁賢 :大連 
    物部 小事連公(おごと) 志陀連、柴垣連、田井連  
    物部 多波連公(たは) 依網連  
    物部 荒山連公(あらやま)   宣化 :大連
    物部 麻作連公(まさ) 借馬連、笶原連  
    13
    物部 麻佐良連公(まさら)   武烈 :大連 
    物部 目連公(め)   継体 :大連
    物部 長目連公(おさめ) 軽馬連  
    物部 金連公(かね) 借馬連、野間連  
    物部 呉足尼連公(くれのすくね) 依羅連 欽明 :宿尼
    物部 建彦連公(たけひこ)高橋連、立野連、都刀連、横広連、勇井連、伊勢荒比田連、小田連  
    物部 尾輿連公(おこし)   欽明 :大連
    物部 奈洗連公(なせ)    
    14 代
    物部 麁鹿火連公(あらかい)   安閑 :大連 
    物部 押甲連公(おしかい)   宣化 :大連
    物部 老古連公(おゆこ) 神野入州連  
    物部 金連公(かね) 野間連、借馬連  
    物部 三楯連公(みたて) 鳥部連  
    物部 臣竹連公(おみたけ) 肩野連、宇遅部連  
    物部 倭古連公(やまとこ) 流羅田部連  
    物部 塩古連公(しおこ) 葛野韓国連  
    物部 金古連公(かねこ) 三嶋韓国連  
    物部 阿遲古連公(あじこ) 水間君  
    物部 大市御狩連公(おおちのみかり)   敏達 :大連
    物部 守屋大連(もりや)
    別名・弓削大連   用明 :大連
    物部 今木金弓若子連公(いまきのかなゆみのわくご) 今木連  
    物部連公 布都姫夫人(ふつひめおおとじ)
    御井夫人・石上夫人   崇峻天皇の夫人
    物部 石上贄古連公(いそのかみのにえこ)   推古 :大連
    物部 麻伊古連公(まいこ) 屋形連  
    物部 多和髪連公(たわかみ)    
    15 代
    物部 石弓若子連公(いわゆみのわくご) 今木連  
    物部 毛等若子連公(もとのわくご) 屋形連  
    物部 奈西連公(なせ) 葛野連  
    物部 大人連公(うし)    
    物部 目連公(め) 大真連 欽明 :大連
    物部 雄君連公(おきみ)   天武 :大紫冠の位
    物部 鎌束連公(かまつか)    
    物部 長兄若子連公(ながえのわくご)    
    物部 大吉若子連公(おおよしのわくご)    
    物部 鎌姫大刀自連公(かまひめおおとじ)   推古 :参政
    物部 恵佐古連公(えさこ)   推古 :大連
    16 代
    物部 耳連公(みみ) 今木連  
    物部 馬古連公(うまこ)   孝徳 :大華上の位
    物部 忍勝連公(おしかつ)    
    物部 金弓連公(かなゆみ) 今木連  
    物部 荒猪連公(あらい) 榎井臣 孝徳 :大華上の位
    物部 弓梓連公(あづさ) 榎井臣  
    物部 加佐夫連公(かさふ) 榎井臣  
    物部 多都彦連公(たつひこ) 榎井臣 天智 :大連
    17 代
    物部連公 麻侶(まろ)
  • May 2016 編集されました
    饒速日命━宇摩志麻治命━彦湯支命━意富祢命━出石心大臣命━大矢口宿禰(兄弟に大水口宿禰)━━大綜杵命(兄弟、欝色謎は孝元天皇妃)ー伊香色雄(伊香色謎は開化天皇妃、崇神天皇の母)ー大新河━武諸隅

    開化天皇の第二子。母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。異父兄に彦太忍信命(磐之媛の祖)。異母弟に彦坐王(神功皇后の祖)。
  • May 2016 編集されました
    大綜杵命は、『日本書紀』に崇神天皇の母・伊香色謎の父で、物部氏の祖としてみえる人物です。
    『姓氏録』の左京神別や右京神別にもその名がみえ、大宅首の始祖・建新川命の祖父であるといいます。
    『旧事本紀』天孫本紀には、宇摩志麻治命の五世孫で、開化朝の大臣。高屋阿波良姫との間に伊香色謎命や伊香色雄命を儲けたとされます。


    新川神社の歴史 鷹の羽違い
      日本三代実録 と申します国史に「清和天皇(56代)の貞観九年(西暦867)二月二十七日丁酉、越中国正五位大新川神に従四位下を授く」とあり、新川郡の郡名は御祭神である「大新川命」の御神名から起こったと伝承され、永年人々の崇敬を受けて参りました。
     その昔、本社神域は現在の場所より約2キロ北東方向の北陸街道(現在の国道41号線)の沿道である五本榎(ごほんえのき)辺りの 志摩の郷(嶋)八嶋野 に鎮座したしておりました。

    富山市の新川神社
    大己貴命・白山比咩命・天照皇大神・菅原道真公を主祭神とし、琴比羅神・建御名方命を合せ祀る。大己貴命を「大新川命」、白山比咩命を「大新川姫命」と称して尊崇されており、『国史大系』では新川郡の地名は大新川命に因むものとしている。

    天孫本紀系譜には、彦湯支命が淡海川枯姫を妻として「一男(出石心のこと)」 を生み、出石心が新河小楯姫を妻として大水口・大矢口兄弟を生んだと記されて、この系譜からは大祢・内色許男の二代が欠落しています。
    大水口・大矢口という形の名前の対応は、上古の同母兄弟の名づけ方に頻出する傾向であったこと、大水口宿祢は『書紀』崇神段 に見えており、大矢口宿祢のほうは崇神朝の出雲討伐に参加し西伯耆や因幡にも後裔を残したことで、ともに崇神朝という同時代人であった
    淡海川枯姫が生んだのは「一男(出石心のこと)」と「天孫本紀」に見えること、があげられる。

    建新川命の娘(大矢刀自)が蘇我石川宿祢と羽田八代宿祢(両者が応神紀に見える) の母となったという所伝も中田憲信編『皇胤志』に見えており、これに拠る場合には、建新川命は垂仁・景行朝頃の人となります。「天孫本紀」には、建新川命は「倭ノ志紀県主等祖」と記されますが、志紀県主の祖は大売布命だとして「押小路家譜」は具体的に歴代の名を伝えます。
     一方、大新河命と大売布命と後裔氏族が共通しており(先に記した本文参照)、両者は同人か親子かとみられます。大売布命は『高橋氏文』に見えて景行朝の人と分かり、大新河命のほうは大矢口宿祢に引っ張り上げられて崇神朝の人になると、両者の関係が親子になります。大売布命の母親は、その後裔に志紀県主が出ることから、倭志紀彦の娘の真鳥姫とするのが妥当とみられます。

    なお、「天孫本紀」には、伊香色雄命が山代県主祖長溝の娘・真木姫を妻として二児(建胆心大祢、多弁宿祢)、同じく長溝の娘・荒姫を妻として二男(安毛建美、大新河)、その妹の玉手姫を妻として二男(十市根・建新川)を生んだとあります。
    この辺の記事でも真木姫と荒姫とが重複する可能性があり、おそらくは長溝の二人の娘を妻として四男(建胆心大祢、多弁宿祢、安毛建美、十市根)を生んだとするほうが原型に近いのでしょう。
  • May 2016 編集されました
    近江の式内社を見ると、甲賀郡に川枯神社・水口神社・矢川神社があり、野洲郡に上新川神社(三上山の西北麓近辺)と下新川神社がありますから、物部氏族の近江所縁が顕著です。伊香色雄命の母とされる高屋阿波良姫についても、太田亮博士は近江国神崎郡高屋郷かとみており、「伊香」が近江国伊香郡だとすると、これも妥当ででしょう。そうすると、系譜不明な高屋阿波良姫も、新河小楯姫と同様に三上祝一族であった可能性が高まります(異母妹か従姉妹くらいか)。
     伊香色雄が妻としたと記される山代県主は、後に山背国造となる山城南部の古豪族で、三上祝の同族です。物部氏族の妻妾ばかりではなく、垂仁天皇や彦坐王の諸妃を出したと伝えます。

    安毛建美命
    「天孫本紀物部系譜」には、伊香色雄の子で、六人部連祖とすることには疑問があるか?
    http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/monobekz/monobek1.htm

    六人部連のなかでも、最も著姓である山城国乙訓郡の向日神社(向日市向日町北山) 奉斎の六人部連は海神族系の尾張氏族とするのが妥当である。物部の職掌には「水取」もあり、これが「モヒトリ、モトリ」と訓まれたから、安毛建美命は物部 氏族の水取連の祖であり、真年も水取連・舂米連の祖だと記す。舂米連は、河内北部の茨田・交野両郡にまたがる茨田屯倉に関して定められたと仁徳紀にいう舂 米部を管掌したが、物部氏族には珍しく、北九州にもあり、筑前国糟屋評造の郡領として史料に見える。茨田屯倉の淀川対岸となる摂津国島下郡穂積郷には舂米 寺(『日本霊異記』上巻)もあり、舂米部の分布(河内のほか、美濃国本巣郡、周防国玖珂郡、筑前国志摩郡。因幡にも現若桜町舂米)などの事情も併せて、舂米連は穂積臣や矢田部造に近縁とみられる。

     そうすると安毛建美命の系譜は、「天孫本紀」にいう伊香色雄の子ではなく、穂積系の末盧国造祖・矢田稲吉命の子弟という可能性がある。同書で は、大新河命の同母兄とするから、大新河命に相当する大矢口宿祢の兄の同母兄の大水口宿祢が安毛建美に当たるとすれば、上記の諸事情がすべて符合する。
  • 高屋連とは、新撰姓氏禄に
    「河内国神別(天神) 高屋連 饒速日命十世孫伊己止足尼(イコトノスクネ)大連之後也」
    とある物部氏系氏族で、正史上では、続日本紀・文武天皇慶雲元年(704)6月11日条にある、
    「河内国古市郡の人、高屋連薬女が男の三つ子を生んだので、絁二疋・真綿二屯・麻布四端を賜った」
    が初見。その後の史料にも古市郡高屋連○○との氏名を散見することから当地に居住していたことは確かで、各地の地方官として活躍した氏族という。

    なお、高屋連の直接の祖神・イコトノスクネが祭神ともいう。
    イコトノスクネについて、先代旧事本紀(9世紀後半・物部氏系史書)には、
    「物部五十琴宿禰連(モノノベイコトノスクネノムラジ) (9世の孫)胆咋宿禰の子。この連公は、神功皇后摂政の御代、はじめ大連となり、ついで宿禰となって石上神社をお祀りした」
    とある。ニギハヤヒ・イコトノスクネいずれにしろ、物部氏の祖神を祀ることでは同じといえる。
  • 水分とは「鉱石を冶金すること」を指す。
    水分神、それは特定の時期に一斉に現れて、天之水分・国之水分という職掌名はあっても固体の神名は封じられた神でした。
    水分神は地元の縄文神だったものが、大和王権が新規開発した水銀や銅などの金属生産の現場担当になったものだ
  • 見田・大沢古墳群(みた・おおさわこふんぐん)
    見田・大沢古墳群
    宇陀市菟田野見田・大沢
    古墳時代初頭
    概要 古墳時代前期の古墳群で4基の方墳と1基の前方後円墳で構成されている。古墳の発生期に近い時期のものとされ、それは墳丘規模や割竹形木棺(わりたけがたもくかん)を納めた大規模な墓壙(ぼこう)、仿製四獣鏡(ぼうせいしじゅうきょう)・鉄剣・玉類の出土などからも明らかである。大和盆地東南地域で前方後円墳を主体とした大型古墳が築造されはじめる時代に、宇陀地域においてこのような古墳群が形成されていたということは古墳の発生を考える上でもきわめて価値の高いものと評価できる
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