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全国に積石塚古墳は1500基ほど確認されているが、その中心的なものとしてはここに取り上げる石清尾山古墳群(いわ…
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http://www.pref.kagawa.jp/maibun/kannkoubutu2014/takamatutyausuyama/26tyausuyama5.pdf
前方部の幅は70mで、三段築成の墳丘です。後円部中央には主軸を南北に向ける全長7.1m、幅1.4mの竪穴式石室があり、その周囲を楕円形埴輪が巡っていたようです。石室内には長持形石棺の蓋石と底石の一部が残っていたと言います。出土の際、石棺の下半分が石室の床面を掘って埋められていました。
櫛山古墳の副葬品には管玉、車輪石、石釧、滑石製合子、鉄鏃などが挙げられますが、特に車輪石と石釧が多かったそうです。造り出し部の平坦面では、白礫を大量に敷き詰めた施設が検出されており、何かの祭祀遺構ではないかと伝えられます
伊射奈岐神社の近くに専行院というお寺があります。その専行院(柳本町)境内の石棺仏こそが、櫛山古墳出土の長持形石棺ではないかと言われています。
「前方後円墳は日本独特の墳墓であり、その特異な形、巨大さ、神秘性を含む埴輪及びさまざまな副葬品は日本古代文化の最も特色あるものと言えよう」。
小林行雄氏も、その著「古墳時代の研究」で次のように述べている。
「前方後円墳のような異色ある墳形は、かえって日本以外にその源流を求めることが困難である」。
高橋克壽氏も、今のところ前方後円形の系譜を直接大陸に求めることは難しいと記す(「埴輪と古墳の祭り」、『古代史の論点5 神と祭り』一九九九年、小学館)。