高松の積石塚古墳、双方中円墳、方格規矩四神鏡、行花文精白鏡

December 2018 編集されました カテゴリ: 讃岐・阿波・伊予
image高松の積石塚古墳、双方中円墳、方格規矩四神鏡、行花文精白鏡

全国に積石塚古墳は1500基ほど確認されているが、その中心的なものとしてはここに取り上げる石清尾山古墳群(いわ…

Read the full story here


タグ付けされた:

コメント

  • 奈良の柳本の櫛山古墳 積石塚古墳

    前方部の幅は70mで、三段築成の墳丘です。後円部中央には主軸を南北に向ける全長7.1m、幅1.4mの竪穴式石室があり、その周囲を楕円形埴輪が巡っていたようです。石室内には長持形石棺の蓋石と底石の一部が残っていたと言います。出土の際、石棺の下半分が石室の床面を掘って埋められていました。

    櫛山古墳の副葬品には管玉、車輪石、石釧、滑石製合子、鉄鏃などが挙げられますが、特に車輪石と石釧が多かったそうです。造り出し部の平坦面では、白礫を大量に敷き詰めた施設が検出されており、何かの祭祀遺構ではないかと伝えられます

    伊射奈岐神社の近くに専行院というお寺があります。その専行院(柳本町)境内の石棺仏こそが、櫛山古墳出土の長持形石棺ではないかと言われています。
  •   王巍氏は次のように述べている。
     「前方後円墳は日本独特の墳墓であり、その特異な形、巨大さ、神秘性を含む埴輪及びさまざまな副葬品は日本古代文化の最も特色あるものと言えよう」。

     小林行雄氏も、その著「古墳時代の研究」で次のように述べている。
     「前方後円墳のような異色ある墳形は、かえって日本以外にその源流を求めることが困難である」。
     高橋克壽氏も、今のところ前方後円形の系譜を直接大陸に求めることは難しいと記す(「埴輪と古墳の祭り」、『古代史の論点5 神と祭り』一九九九年、小学館)。
  • 箸墓以前にもホケノ山や石塚など全長100m前後の大きい墓があ
  • 箸墓以前にもホケノ山や石塚など全長100m前後の大きい墓がある。 倭人伝には邪馬台国には魏や高句麗や韓国にも無い巨大な墓についての記載はない。 むしろ巨大古墳こそが畿内が邪馬台国でない証拠だ。 「大作冢徑百餘歩」 「大作冢」といっても大きい墓を作ったと言う意味ではなく、大いに墓を作ったと言う意味だ。 大いにとは、民衆がこぞって墓作りに参加したと言う事だ。 徑百餘歩は一般には一歩が140cm程度と言うことになっているが、短里75mの300分の1であれば25cm位になっ て100歩は25m位になる。(短里の項参照) 当時の中国の墓のサイズがどの程度であったかを見れば25mでも十分大きい墓である。ちなみに諸葛孔明の墓は径 20mである。
コメントするにはサインインまたは登録して下さい。