双方中円墳

December 2018 編集されました カテゴリ: 讃岐・阿波・伊予
image双方中円墳

名前 都道府県 紹介文 鏡塚古墳 香川 全長約70mの双方中円墳。 墳丘は積み石によって2段に築か … 櫛…

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  • 香川県高松市の石清尾山(232メートル)周辺の古墳群にある「稲荷山北端1号墳」について、高松市文化財課は双方中円墳だと確認し、2015年11月13日、発表しました。同形の古墳が確認されたのは、国内4例目。石清尾山周辺だけで3例目。11月21日に現地説明会が開催されます。読売新聞が報じています。

    2014年10月、市は「前方後円墳の可能性が高い」と発表していましたが、今回新たに方墳の一部と見られる石積みが見つかったため修正しました。

    双方中円墳は、中央部の円墳に紐づくように、左右に方墳系の長細い形が付いている古墳で、極めて珍しいもの。それが、高松市周辺に集中して発見されています。

    稲荷山北端1号墳は古墳時代前期(3-4世紀)のものと見られますが、讃岐、古代からやはり特徴的だったようです。
  • 讃岐の積石塚古墳

    讃岐には積石塚と確認できるものが50基あり、消滅はしているが文献などで存在が確認できる  ものの24基を加えれば74基に達する。墳形の内訳は、前方後円墳22基、円墳23基、双方中円墳  2基、方墳4基のほか、墳形不明23基

     讃岐における積石塚前方後円墳の分布について、東限は津田湾沿いにある「うのべ山古墳」という津田古墳群のなかで最古のもの(現、さぬき市)。西限は大麻山の中腹にある野田院古墳である(現、善通寺市)。
     当時には讃岐、阿波などと律令制による国域が設定されておらず、境界意識もなかったわけであるから、隣の徳島県(阿波)にも積石塚前方後円墳がある
     「萩原1号墓」(全長27m)と「萩原2号墓」(全長25m)は、吉野川下流域の北岸にあって、阿讃山脈の東端が南にくだる尾根筋にある(現、徳島県鳴門市大麻町)。墳形は径20m前後の円墳に長辺がそれぞれ5mと9mの長方形の突出部が付いたもの。築造時期は3世紀初頭で古墳時代より古いので、前方後円墳の「祖型」と位置づけられる。(弥生時代の墳丘墓に対する用語として「墓」を用い「墳」を用いない)。
     くわえて2基の埋葬施設は「石囲い木槨」と呼ばれ、墓壙の内部で棺を置く場所が石積みと木槨(木の枠)とで丁寧に整えられていた。吉備の楯築墳丘墓に似た造りで、この後に大和・纒向にある「ホケノ山古墳」に引き継がれた構造として注目される。
  • 古墳時代にこの墓形式が存在する地域は、香川県から徳島県の一部の地域と長野県、山梨県の甲府盆地北縁など一部の地域に顕著に見られる。また、長崎県の対馬、山口県の見島、そのほか、宮崎・愛知・静岡・群馬県などにもみられる。 なかでも長野市大室古墳群、香川県高松市石清尾山古墳群、山口県萩市見島ジーコンボ古墳群などが著名である。

    香川・徳島のものは古墳時代前期(3~4世紀)を中心とし、香川石清尾山古墳群では積石塚の前方後円墳9基、双方中円墳1基、円墳30数基がある。 長野・山梨のものは中期後半から後期(5~6世紀)にかけて形成された群集墳にみられる。 約500基からなる長野市松代町に所在する大室古墳群は、日本最大の積石塚古墳群で、大部分が積石塚であり、埋葬施設の多くが横穴式石室である。


    長野県史跡である積石塚古墳群の八丁鎧塚古墳(長野県須坂市大字八町)は、第1号から第5号まである。出土品として鏡・碧玉製勾玉(へきぎょくせいまがたま)・貝釧(かいくしろ)などがあるが、その出土鏡によって、これまでは6世紀以降の築造とされてきたが、5世紀代に溯るものと改められた。
    ウィキペディアより
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