阿波の穴吹町、伊射奈美神社、

April 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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伊射奈美神社(イザナミジンジャ) 国生み神話の女神をまつる神社です。 イザナミを社名とする式内社は、阿波国のみ…

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コメント

  • October 2019 編集されました
    阿波の春日

    「阿波風土記」には「阿波国は上古粟、長の両国に別たれ、長国の屯倉は那賀郡宮倉邑に設かれ、粟国の屯倉は麻植郡森藤村字春日免に設かれしにはあらざるしや、成務天皇の御宇粟長両国合して阿波国となりしならん」と書かれています

    日本書紀 安寧天皇の御巻に云、二年五月丙午朔甲寅置阿波国春日部屯倉云云、この屯倉何所ともしるべからずといへど、板野郡に春日といふ地ありて、そこに春日明神を祀れり、又社のあたりに楠の木のめくり十二三間許なる大木あり
    これ若屯倉ありし所なりしを春日部といふによりて、春日明神を祭りたるならむか、其のほとり拠もなけれど、古き楠木か これかれあれど、かかる大木は此の御国うちにあることなし、いかさまにもゆゑある古き地なるべし、また此のあたりの地名を春日といふも、春日明神の坐すにとりていひ出し地名にもあらで、ふるくよりいへる地名なるべし、八幡宮本紀に云、御産所の側に生茂れる楠あり、其の下に産湯をめさせ給ふ、しかるに其の大木に繁茂し、枝葉ことにうるはし、後人これを名付けて湯蓋の森と云(此の楠今にあり其の周七囲余)云云。

  • 日本書紀に景行天皇の「春日穴咋邑」と書かれた所に鎮座する神社。
    式内社 大和國添上郡 穴吹神社

    御祭神 天太玉命(伊栗大神) 高皇産靈神(穴栗大神)
    青和幣 白和幣
    「穴吹」「穴次」と神社の名を書くものがあるが、春日大社の記録に平安時代にこの地から穴栗・井栗の神が春日大社に勧請されたという記述がある他、境内に残る江戸期の社号も「穴栗四社大明神」「穴栗社」とあり、古くから「穴栗」は古くから伝わる名称であり、現在も地元では「穴栗神社」と呼んでいる。

    奈良市にある。
    JR桜井線の京終駅と帯解駅の中間あたり。
    169号線の東に境内がある。

    参道入口は東側。
    真新しい鳥居の奥、畑の中に、こんもりと杜(もり)がある。
    参道に「妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む」
    と刻まれた万葉歌碑がある。ただし伊久里の杜の万葉和歌については
    大和説の他に、越中説、越後説などがあり定かではないらしい。

    創祀年代は不詳。

    式内社・穴吹神社に比定されている古社。「穴吹」というのは延喜式の誤写で、
    本来は「穴咋」が正しいようで、

    当地は、『日本書紀』景行天皇紀に「春日穴咋邑」とある地。
    彦狭嶋王の墓所があるとされ、当社はその霊を祀った神社と思われる。

    四棟並んだ本殿は、伊栗社、穴栗社、青榊社、辛榊社と呼ばれており
    春日大社境内にも祀られている神々。春日大社の境外末社であった当社から、十二世紀に勧請されたものらしい。

    参道や境内に境内社の小祠が3つ。『式内社調査報告』によると、厳島、稲荷、神武天皇社。
    鳥居付きの小祠が稲荷社だろうか。

    http://www.genbu.net/data/yamato/anaguri_title.htm
  •  『播磨国風土記』によりますと、仁徳天皇の皇子である履中天皇が天皇になる前に阿波の和名佐に来ています。シジミを食べたようです。
     『出雲風土記』に、阿波枳閇委奈佐比古命の名がでてきます。阿波から来たそうです。

     丹後と阿波、天村雲神は丹後一宮の籠神社に伝わっている国宝の『海部氏系図』に、始祖の火明命の孫として天村雲神が出ています。この神を祭る神社がやはり阿波にあります。天村雲神伊自波夜比賣神社と言う神社です。別の名を天五多底命と言います。この名前は素盞嗚尊の御子神で植樹の神である五十猛神を思わせます。素盞嗚尊

    が八咫大蛇の尻尾から取りだした剣を天叢雲剣と言いますが、この剣を御子神と見てもいいのでしょう。五十猛神は紀の国の国魂です。大宜都比賣が阿波の国魂であるようにです。
  • 積石墓の多い地域

    長崎県対馬 山口県児島 愛媛県津島町高田 香川県石清尾山塊 徳島県吉野川流域 和歌山県 長野県 山梨県

    原初期の古墳
     岡山市総社市 宮山墳丘墓    徳島県鳴門市 萩原一号墳
     兵庫県揖保郡 養久山一号墳   奈良市桜井市 纏向石塚

     鳴門市 定水明神社
     東かがわ市 水主神社
     東かがわ市大内町丹生 艪掛神社  大内は比売の御殿 丹生は辰砂
  • October 2019 編集されました
    春日、穴栗神社(伊久理の杜:いくりのもり)
    奈良市横井一丁目六七七番地
    御祭神 伊栗(いぐり)社   (太玉命:ふとだまのみこと)
        穴栗(あなぐり)社  (高御産霊尊:たかみぬすびのみこと)
        青榊(あおさかき)社 (青和幣:あおにぎて)
        辛榊(からさかき)社 (白和幣:しろにぎて)

     この神社の鎮座する地は、古く「日本書紀」景行天皇(第十二代)の条に、「春日穴咋邑」と出ているところです。神社の名を穴吹・穴次と書くものもありますが、春日大社の記録によると、平安時代に、この地から穴栗・井栗の神が春日大社に勧請(分霊)されたと書かれています。境内にある元禄四(一六九一)年建立の社号標石にも「穴栗四社大明神』とあり、穴栗は古くからの呼び名です。
     現在、穴栗神社は、横井東町の氏子がお祀りしています。
      「萬葉集」に
      妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む
    -高安 王-(巻一七-三九五二)
    と詠まれている「伊久里の杜』は、井栗の神を祀っていた、この地です。
     歌は、天平十八(七四六)年八月七日に、越中守大伴家持の館での宴の場で、玄勝というお坊さんが伝誦したものです。作者の高安 王(大原高安)は、天武天皇の皇子長親王の孫にあたり、奈良の都の人です。
     「恋しい人の家に通っていく伊久里の杜に咲く藤の花よ、まためぐってくる春にも、いつもこのように眺めていたいものだ」と詠んでいる作者は、藤の花の咲くころ、このあたりを通って、恋しい人のもとを訪ねたのでしょう。
     境内の萬葉歌碑は、平成十年五月に、平城萬葉教室と横井東町自治会の協力によって建立されました。
    「伊久里の杜」萬葉歌碑建立実行委員会
    -境内案内-




    比田井の県道近くに遠目にも古墳かと見える彦狭嶋王の墳墓という伝承のある王塚がある。『日本書紀』の景行天皇55年2月の条に「彦狭嶋王を以って、東山道の都督(かみ)を拝(ま)け給ふ。是、豊城命の孫なり」の記事が見える。豊城命は豊城入彦のことで、上毛野(かみつけぬ・群馬)下毛野(しもつけぬ)君の始祖であるそうな。孫の彦狭嶋王が春日の穴咋邑(あなくいむら)に到り病に臥(ふ)して亡くなった。東国の百姓、この王が来なかったことを悲しんで、ひそかに王の亡きがらを盗んで上野国(かみつけののくに)に葬ったそうな。春日穴咋邑は今の奈良市古市町で猿田彦を祀る穴栗神社の一帯がその伝承地でもあるが、旧望月町では春日地区一帯に比定する考えが有力である。
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