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但馬国朝来郡の粟鹿神社の社家には、粟鹿大名神元記という文書が残っております。 和銅元年に粟鹿神社祭主の神部直根…
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和銅元年八月に但馬国粟鹿神社の神主(祭主)神部根が勘注上申した案文の写しでは、粟鹿神主は古代神部氏が奉斎していたことが知られ、系図を見ると素戔鳴尊より五世に大国主命がみえ、さらに太田々弥古命に連なっており、また、太田々弥古命の子太多彦命の子孫の速日・高日兄弟が神部直の姓を賜り、速日の子忍が但馬国造となり併せて粟鹿大神祭主となったと記されているという。そうすると粟鹿神社の神主神部氏は、大三輪氏と同族であり、出雲神族ということにもなるわけである。祭神は彦火々出見尊、あるいは日子坐王とされているが、摂社をみると厳島神社の市杵嶋姫命・床浦神社の大己貴命・天満宮の菅原道真など出雲神族系の神が多く、猿田彦神社の猿田彦神もクナトノ大神が猿田彦に代えられてしまったのであろう