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古代の天皇の都には、「磐余」をその名前に冠したものが多い。第17代履中天皇の磐余稚桜宮(わかざくらのみや)、第…
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蝮部臣(たじひべ)は継体天王の孫上殖葉王を祖とする氏族(記紀)に関連し、仁多郡大領・秋鹿郡少領を出していますし、島根郡の主政にもみえます。
河内国の丹比氏(大国主の子火明命を祖とする・播磨風土記)とも関連する氏族で、出雲に大きな分布をみることができるでしょう。
継体後裔丹比真人氏と密接な関係があるのでした。なにもない越前と出雲を比べるとはるかに
出雲の方に継体天王の影があるのです。
意宇郡舎人郷(日置臣志毘が住んでいた前述)に建造された教昊寺は、上蝮首押猪の祖父である教昊僧が造った寺(風土記)であり、風土記編纂時の天平五年(733)頃の当主祖父が教昊僧であることから、早い段階から仏教が伝わつて寺が建造され、出雲国が仏教先進国であるともいえるでしょう。 この寺創建時の瓦は上淀廃寺式といわれる瓦様式です。
http://members.jcom.home.ne.jp/3366537101/sub7.htm
貴船神社--祭神:タカオカミ神・継体天皇
本殿右手、疎林のなかの小道を突き当たり、石段を登った上に鎮座する。石段下には「史跡 継体天皇樟葉宮跡伝承地」との石碑が立つ。
貴船神社は、古くから楠葉の氏神として祀られていた神社で水神(竜神)・タカオカミを祀る
昔は旱天時の雨乞い祈願が盛んで霊験あらたかだったという。因みにタカオカミのオカミとは、水を司る龍を意味する古語。
創建年次は不明。大阪府指定史蹟(昭和34年
継体合祀について、由緒によれば、
「人皇第26代継体天皇が越前高向より還御、ご即位の大典を挙げ給ひし処で、在処わずか5年にして都を山城筒城に遷された。その宮跡を永遠に記念せんがために、交野天神社創始以前からの氏神・貴船神社タカオカミをこの地に遷し、継体天皇をあわせ祀り奉る」
とある。
樟葉宮址
継体天皇(6世紀初頭)とは、25代・武烈天皇崩御後、後嗣がなかったため越前三国(福井県)から入って皇位についた天皇。応神天皇5代の孫というが真偽不明。
当時の政治状況から直接大和に入れず“河内国交野郡葛葉の宮”(日本書紀)で即位、5年後に綴喜(京田辺市付近)から弟国(長岡京市付近)へと移り、20年後に大和へ入ったという。これらの経緯から、継体をもって新王朝創始とする説もある。
その葛葉時代の宮が当地だというが、藁葺き掘立柱を主体とする当時の建物跡など発掘不能のため確証はない。ただ、その陵墓を今城塚古墳(高槻市)とする説が大勢であることからみて、この辺りを根拠としていたのは確実らしい