越の奴奈川姫、市入命

March 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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式内社 越後國頸城郡 奴奈川神社 奴奈川姫は、諏訪大社の祭神である建御名方の母親である。建沼河命の孫の大臣命が…

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  • 県社 舟津神社(ふなつ)
    福井県今立郡舟津村上鯖江区

    祭神 大彦命  孝元天皇  素佐鳴雄命
    相殿 大山御板神社  祭神 猿田彦命

    由緒

    祭神大彦命、孝元天皇の皇子に座し、崇神天皇の十年(前87)九月丙戍遡り甲午勅を奉じて、北陸道に下向し給い百姓を鎮撫して功あり。
     成務天皇四年(134)九月十日、命五世の孫入命に詔して高志舟津郷に勅祭したまい、土地の郷名により社郷を船津神社と称す。 この社の位置、往古は今の大門の先東の田の中に勧請せしを、寛保二年(1742)七月今の社地にかえし、旧社地を墾田となす。(境外所有地これなり)
     今、田地の中に一塚を存し、上に禿倉を立て古宮と称せり。 又、相殿大山御板(おおやまみいた)神社祭神猿田彦大神は大彦命進軍の節、神勅ありて大山の峰に楯を三方に建て社形としてここに猿田彦大神を祭り、副将軍忍男彦を神主に定む。 社司橋本家の祖先すなわちこれなり。
     然るにこの社、寛仁二年(1018)兵火にかかりしを以て、船津神社に合祀す。
    明治八年(1875)五月五日県社に列せられ、同十四年四月福井県において境内へ禁制札建設せらるる。

    「舟津社記」に
     玉野淸水(瓜生)、天管江(五郎丸)、長泉池(長泉寺)、許佐羅江(定次)、黒久淸水(上鯖江)、天照江(西鯖江)、坪我淸水(柳原)
    となっている。 

    三太山

    御板山、遇山、王山とも称し、いま山野域は上野ヶ原という。神社の背後にあり。 東西六十間、南北九百三十間、太平記に上杉、畠山配流の時、上野ヶ原を過ぎてとあるは此処にして、中世以降戦場となり又著名の歌枕となれり。

    口碑伝説

     当社の祭神大彦命、勅命を受けて越の国に来たり給うや。 角鹿津(敦賀)より御旗を掲げ八田(今、丹羽郡にあり)を経て舟場より東に渡らんとし、航路あやうかりしかば、棹を投じて神に祈り給い(棹谷は丹羽郡にあり)。塩垂が老翁の教えによりて深江の地に向かい給い、和那美川にて安伊奴彦の嚮導を得て、遂に深江の国に着し給えり。 ここに山あり、命登臨し給うときにまた塩垂の老翁にめぐりあい給う、故にこの山を逢山という。

     老翁、命に教えて曰く、国の元凶名は石熊国樫又山襲要鬼ことごとく族を集め、命を討ち奉らんと計る宜しく之が備をなしたまうべしと。
     命問いたまはく。 汝は誰ぞや、答えて曰く。 吾は猿田彦なり、汝命の忠誠を嘉みし此処に来たり斯く教うるなり。 命、我言を信じたまいて吾を此処に奉りたまいなば、剱に血塗らずして元凶たちまち滅び国平らかならんと告げ、たちまち失せたり。
     命その教えに従い、三枚の盾を用いて逢山の峰に御社形を造り、国向の印璽(いんじ)を神宝となし、猿田彦神を鎮め斎き奉りたまう。

     すなわち当社の相殿なる式内大山御板神社なり(延喜式神名帳・大山御板神社)。 十一年九月、賊ことごとく族を挙げて来り迫る皇軍利あらず、命帯せ給える御剱を投げ三太神を祈りたまえば、大空より佐波矢落ち来り賊の魁師を刺せり。 命更に残党を誅し更に進発したまうときに中臣の氏人歌いて曰く
  • 大彦を祀る神社
    道神社 富山県高岡市五十里字沼田3721
    道神社 富山県射水市作道1846
    鵜坂神社 富山県富山市婦中町鵜坂212
    船江太神宮 新潟県新潟市中央区古町通一番町500
    三宅神社 新潟県長岡市妙見町215
    小布勢神社 新潟県三条市大字上保内丙1288
    大神社 新潟県糸魚川市大字平字森本1345
    舟津神社 福井県鯖江市舟津町1-3-5
    大津神社 岐阜県飛騨市神岡町船津1823-2
  • 式内社 越後國蒲原郡 船江神社

    御祭神
    天照大神 豊受大神
    猿田彦大神 大彦命
    新潟市新潟市古町通にある。昭和大橋の北、白山神社の前の一角にある。

    地図や資料には、「船江大神宮」とあったが、拝殿の額には、「船江太神宮」と書かれていた。ただし、正式名は、「神明宮」で、新潟総鎮守のようだ。

    船江神社と神明宮が、安政5年(1858)に合体した神社。両社とも、寛永15年(1638)以前には1Kmほど北の寄居町周辺にあった。

    船江神社は、式内社の論社で、建立は崇神天皇10年6月。昔、一艘の変わった形の舟が流れ着き、中に白髪の老人。村の守護のために来た猿田彦大神と名乗った、その老人が乗っていた
    その「舟を得た」ことから船得郷となり、船江と変化した。

    ちかくにある白山神社が、かなり立派。以前は、7000戸の産土社であったが、明治5年に、白山神社にその地位が移った。
  • 式内社 越後國頸城郡 奴奈川神社
    御祭神 奴奈川比賣命 伊佐奈伎命 大己貴命
    (明治44年までは、奴奈川比賣命のかわりに菊理比賣命だった)

    能生駅の北東、8号線の側にある。尾山(権現山)の山麓に鎮座。
    社伝によると、
    崇神天皇の御宇十一年十一月、あるいは文武天皇大宝二年の創立。

    当初は奴奈川神社と称したが、元正天皇の御宇僧泰澄が当社を崇敬し、仏像を安置して社号に白山権現と改めた。
    式内社・奴奈川神社であるとして、明治四十四年に、祭神・菊理比賣命を奴奈川比賣命に変更した。境内の秋葉神社は、天保十三年に再建された薬師堂。
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