播磨の伊達神、伊楯氏

December 2018 編集されました カテゴリ: 播磨
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播磨国の因達の里に祀られたイダテの神を奉じた人々は、伊豆を経て遠く陸奥に移っているが、この伊楯氏は物部氏の一員…

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  • 出雲の「韓国伊大氏神社」
    『延書式』延長五年(927)神名帳の出雲国意宇郡の条に、 韓国伊大氏社の分布をみると
     玉作湯神社  同社坐韓国伊太氏神社
     揖夜神社   同社坐韓国伊大氏神社
     佐久多神社  同社坐韓国伊大氏神社

    出雲郡条にも、
     阿須伎神社  同社神韓国伊太氏神社
     出雲神社   同社神韓国伊大氏神社
     曽枳能夜神社 同社神韓国伊大氏奉神社


    しかし、『出雲国風土記』天平五年(733)には、韓国伊大氏神社という名称の神社はいまだ成立していなかったという。

    千家俊信によれば、伊大(太)氏は五十猛が転託したものであり、韓国とあるのは五十猛神がスサノオ神に伴われて朝鮮半島を経由して日本へ渡ってきたことによるということになると述べている。

    また、「伊大氏」「伊太代」は、「射楯」「兵主」と考えることができ戦いの関係する神、射楯神は『播磨国風土記』の因達里に記載がみられる「伊太氏之神」で、神功皇后が韓国平定をおこなったさいにその御船の上に鎮座したのが伊太氏之神であるという。

    上田正昭氏によると
    「韓国伊大氏神社」は、渡来してきたひとではなく在来の人が祀っていたという。
  • 揖夜神社
    「事代主命(ことしろぬしのみこと)」を祀る社があります。この事代主命とは、一般的に「恵比寿さま」と呼ばれる神様で、商売繁盛などのご利益で信仰される神様です。
    地元に残る伝説で、事代主命はある女神様に内緒で妻問いに通っていたという伝説があるそうです。その女神様とは誰の事でしょうか?この神社に祀られている伊弉冉命か、本殿の横に祀られている三穂津姫がいらっしゃいますが、三穂津姫は事代主命の母とされる神様です。

  • 出雲國意宇郡 揖夜神社

    御祭神
    伊弉冉命 大己貴命 少彦名命 事代主命
    配祀
    武御名方命 経津主命

    境内 式内社
    出雲國意宇郡 同社坐韓國伊太氐神社
    韓國伊太氐神社 素盞嗚命 五十猛命

    境外関連 式内社
    出雲國意宇郡 市原神社 境外末社市原神社
    東出雲、揖屋駅裏にある。
    当日は近くの婦人会の方々が境内の掃除(奉仕)をしていた。
    神職の方を探したが、見つからず、時間もなく、
    朱印と境外末社の市原神社はあきらめる。

    意宇六社の一社。意宇六社とは、
    神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社。
  • 出雲國意宇郡 佐久多神社 来待本宮境外末社

    御祭神
    天照大神 素盞男之神
    忍穂耳命 天之穂日之命 天津日子根之命 活津日子根命 熊野久須毘命
    多紀理毘賣命 市寸島比賣命 多岐都比賣命

    合祀 式内社 出雲國意宇郡 同社坐韓國伊太弖神社
    五十猛命
    来待駅の南、宍道町にある。
    来待神社から東へ続く道路を500m程。
    道路脇に鳥居があり、参道が南へ続く。
    境内には拝殿などは無く、本殿のみ。

    創祀年代は不詳。
    十羅刹様とも佐久多大明神とも日御碕大明神とも呼ばれた神社。
    式内社・佐久多神社の論社であり、
    式内社・同社坐韓國伊太弖神社を合祀していると考えられている。

    明治になって、無格社・日御崎神社となり、
    明治四十一年四月十二日、来待本宮に合祀。
    昭和二年十二月二十七日、住民の願いにより、来待本宮の御旅所として復興。
    昭和三十二年十月十六日、御神霊を戻して、来待本宮境外末社となった。

    ただし、現在、社殿の額には佐久多神社とある。
  • 来待本宮 きまちもとみや
    [島根旅行] 島根県松江市宍道町上来待1346

    松江市宍道町にある。来待神社の東約1Km。
    田根公民館のある辺りで、道路から300m程入った南の丘。

    丘の斜面にあるが、境内には土俵もある。経験的に、土俵のある神社は信仰が篤い、と思う。

    当社の正式名は「本宮神社」。ただし、鳥居扁額には「来待本宮」とある。

    後奈良天皇の天文年中の勧請。明治五年二月二十八日、村社に列した神社。

    明治四十一年四月十二日、上来待佐久良(佐倉)に鎮座の佐久多神社、同社坐韓國伊太弖神社、中佐久良に鎮座の神戸神社を合祀。

    ただし現在、佐久多神社、同社坐韓國伊太弖神社は境外末社として旧社地に遷っている。

    『神国島根』に、佐久多神社・同社坐韓國伊太弖神社と神戸神社を合祀し、「西社共式内社なり」とある。

    社殿には、宝珠紋と矢紋が付けられている。『神国島根』には、神紋は「宝珠の玉」とある。
  • 式内社 出雲國出雲郡 阿湏伎神社
    旧郷社

    御祭神 阿遲須伎高日子根命
    配祀
    五十猛命 天稚彦命 素盞嗚命 下照姫命 猿田彦命
    伊邪那岐命 天夷鳥命 稻背脛命 事代主命 天穗日命

    合祀 式内社
    出雲國出雲郡 同社神韓國伊大弖神社 五十猛命
    出雲國出雲郡 同社天若日子神社 天稚彦命
    出雲國出雲郡 同社湏佐袁神社 素盞嗚命
    出雲國出雲郡 同社神魂意保刀自神社 大刀自神
    出雲國出雲郡 同社神阿湏伎神社 祭神不詳
    出雲國出雲郡 同社神伊佐那伎神社 伊邪那岐命
    出雲國出雲郡 同社神阿麻能比奈等理神社 天夷鳥命
    出雲國出雲郡 同社神伊佐我神社 伊佐我命
    出雲國出雲郡 同社阿遲湏伎神社 阿遲須伎高日子根命
    出雲國出雲郡 同社天若日子神社 天若日子命
    出雲市(旧平田市)から出雲大社へ向かう431号線の途中にある。

    創祀年代は不詳。 元、出雲大社の摂社。出雲国風土記に「阿受伎社」とある神社。

    戦国時代末期の謡曲「大社」では、出雲大社に五人の王子あり、その第一が当社の神で、山王権現であると。


    出雲郡の神社数は、『出雲国風土記』によれば、122ヶ所となっています。そうだとすれば、その中で「阿受伎社・阿受枳社」の名の付く神社数が39社も占めるとなると、これはただ事ではないと考えなければなりません。
    ただ事とは、「出雲大神の何らかの形での眷属神」であるという考え方であって、ただ事で無いとは、「それだけでは済まされないのではないか」ということです。

    『以下28の阿受支社、および神祇官登載11の阿受支社のうち本社を除く10社、計38社は出雲大社境内に移されたともいうが、明らかでない。』・・・とされています。確かに現在、『阿須伎神社』(本社)を除いて、「阿受伎社・阿受枳社」とされる神社は、出雲郡にほとんど見当たりません。出雲大社境内に移されたのか、あるいは本社に合祀されたのか、まさしくなぜ消されたのかが問題となります
  • アジスキタカヒコネはオオクニヌシの子神とされていますから、確かに「阿受伎社・阿受枳社」に祀られているアジスキタカヒコネは、出雲大神の眷属神ということになりますが、、、
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