新羅、卵生、脱解王、瓠公、 阿達羅王、細鳥女

March 2016 編集されました カテゴリ: 倭国・倭人

image新羅、卵生、脱解王、瓠公、 阿達羅王、細鳥女

脱解王(在位西暦五七~七九)新羅の第四代の王 『三国史記』の最初は新羅本紀。その第一巻に出てくる出色の王だ。と…

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コメント

  • 新羅は成立過程が分からない国だが弁韓を母体とした国だから、日本的な要素を多分に持っていた。中華的父系制が失われて庶民は姓を持たず、王族は近親婚で血統を守り、時に王族の女が女帝になる。衣服も倭と似ていた。元漢人だから父祖の言葉はシナ語族的なSVO言語の筈だが、新羅語を元祖とする今日の朝鮮・韓国語が日本語と同じSOV言語なのは、倭人語の文法を取り入れたからだと考えられる。現代韓国語は弁韓語彙の中華訛りを基礎に、新羅の半島統一以後韓・濊の言葉と混合し進化し、現代日本語とはかなり違っているということだろう
  • 魏志に、倭人は骨を炙って割目の形で吉凶を占う。その方法は中国の作法に似ている(令亀法)と書かれ、殷の習俗を受け継いでいたらしい。
    卑弥呼の墓に奴婢百余人を殉葬したが、東夷でこの習俗を持っていたのは扶余だけだった様に書かれている。殷では王の墓に多数の人間を殉葬したことが知られている。殷では女性の発言力が強く、婦好という女傑を生んだが、男女の区別がない倭人の特徴と似ている。魏志に記す倭と、殷の共通点で、扶余には無いものがあるから、倭人は扶余を通して殷の習俗・宗教を学んだのではなさそうだ。倭人は海の交易者であり、殷人は商人の元祖だから、宝貝の交易で両者が密接な関係を持ったと推測される
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