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脱解王(在位西暦五七~七九)新羅の第四代の王 『三国史記』の最初は新羅本紀。その第一巻に出てくる出色の王だ。と…
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コメント
卑弥呼の墓に奴婢百余人を殉葬したが、東夷でこの習俗を持っていたのは扶余だけだった様に書かれている。殷では王の墓に多数の人間を殉葬したことが知られている。殷では女性の発言力が強く、婦好という女傑を生んだが、男女の区別がない倭人の特徴と似ている。魏志に記す倭と、殷の共通点で、扶余には無いものがあるから、倭人は扶余を通して殷の習俗・宗教を学んだのではなさそうだ。倭人は海の交易者であり、殷人は商人の元祖だから、宝貝の交易で両者が密接な関係を持ったと推測される