多臣族の船木直、水軍、神功皇后

March 2016 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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天鳥船 出雲国譲り神話において、武甕槌神の副神として出雲に降下し、 事代主神を徴すときの使者として派遣される。…

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コメント

  • 道照(道昭)
    遣唐使として入唐し、我が国に初めて法相宗を伝えたとされる。舒明天皇元年(629)河内国丹比郡に生まれた。姓は船連氏。
    『続日本紀』によると、白雉4年(653)勅命により入唐し、玄奘三蔵に教えを受けて帰朝。本邦法相宗の初伝といわれ、天智天皇元年(668)より元興寺東南隅に禅院を建てて住んでいたが、後に諸国を周遊し、井戸を造り橋を架けるなど社会事業をした。文武天皇4年(700)に没し、我が国初の火葬となった。
    (修験道辞典を改変)

    これによると、道照は遣唐使として訪唐し、あの三蔵法師に会って、戻って来たあと、
    そのままこの久山の白山に留まった事になります。
    難波と言う人が僧侶の道場を建てて、道照に帰依しました。
    道照は唐で学んだばかりの法相宗の教えを説いて、多くの僧が集いました。
    そんな最中に斉明天皇の崩御の知らせが飛び込んで、その法要をしました。
  • 古事記下巻一仁徳天皇の条 枯野船
     この御世に、寸(トノキ、ウキ、トキ)河の西の方に、一高樹あり。その樹の影、旦日に当れば、淡道島に逮び、夕日に当れば、高安山を越えき。けれこの樹を切りて、船に作れるに、いと捷く行く船なりけり。時にその船に号づけて枯野といふ。かれこの船を以ちて、旦夕に淡道島の寒泉を酌みて、大御水献る。この船破壊れたるもちて、塩に焼き、その焼け遺りの木を取りて、琴に作るに、その音七里に響む。

    高石市取石に式内小社の等乃伎神社が鎮座しています。和泉国大鳥郡富木村でした。ここにはJR阪和線富木駅があります。ここからは夏至の日に高安山頂から日が昇ります。また、冬至の日に高安山頂から日が昇る位置に坐摩神社が鎮座していました。 双方とも太陽祭祀の場だったのでしょう。
     高安山は信貴山の南端に辺り、八尾の東にあたります。八尾は物部氏の河内での拠点で、恩智神社や天照大神高御座神社(岩戸神社)が古社として著明です。
     南西へどんどん行きますと、関空を経由して、淡路島の由良に至ります。由良湊神社が鎮座しています。少し南へ行くと生石鼻と呼ばれる岬があり、ここには天日矛を祭神とする出石神社が鎮座しています。 由良の北の洲本には物部と言う地名が残っています。古事記の応神紀の最後に突然、天日槍の来訪譚と天日槍から息長帯比売までの系譜が記されています。
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