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太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり、その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれている。山とい…
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主祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)とあって、古代史の世界ではあまり聞きなれない神様だ。知恵や占いの神ということである。ほかに大国主命や少彦名命も祭神になっている。ということは、出雲系だ。(拙本にも書いたけれども、東日本には出雲系の神社がじつに多い。)
創建は1700年前の崇神天皇の時代と伝えている
,天香山の社の中の土を取りて、天平瓮八十枚を造り、併せて厳瓮を造りて、天神地祇を敬い祭れ 「日本書紀」神武、即位前紀
これは忍坂邑に大室を作って「宴饗」を催す直前の「戌午年九月」条にある文言なのですが、天神の訓(おしえ)通りに祭りごとを行った神武が無敵の活躍をしたのは言うまでもありません。皇祖アマテラスそして初代大王の何れとも強い縁で結ばれた霊山香久山、その北麓の一角に天香久山神社が鎮まっています。社の正式な名称は「天香山坐櫛真智命神社」といい祭神は櫛真神であるとされています(「延喜式」神名帳によれば京中坐神三座の一柱として久慈真智神、クシマチノミコト[大和国十市郡に天香久山坐櫛真命神あり、の註]が上げられている)。「クシマ」あるいは「クシマチ」とは一体誰の事を指しているのか?神話伝承の流れからは、当然、この社には知恵の神様である思兼神が丁重に祀られていなければならないはず…。或いは、アマテラスの為に日矛を鍛えた天津麻羅や石凝姥が祀られていても不思議ではありません。「クシ」という言葉の音からは直ぐに「久斯神」が思い起こされます。角鹿から戻った品陀和気命(応神帝)を迎えて喜んだ母親の息長帯日売命(神功皇后)は歌を詠んで歓待します。
香具山は 畝傍雄々しと 高山波 雲根火雄男志等
耳成と 相争ひき 耳梨与 相諍競伎
神代より かくにあるらし 神代従 如此尓有良之
いにしへも しかにあれこそ 古昔母 然尓有許曾
うつせみも つまを 争ふらしき 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
反歌
香具山と 耳梨山と あひし時 高山与 耳梨山与 相之時
立ちて見に来し 印南国原 立見尓来之 伊奈美国波良
反歌
わだつみの 豊旗雲に 入り日指し 渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之
今夜の月夜 さやけかりこそ 今夜乃月夜 清明己曽
この和歌の後に、「万葉集」には、次の補注を付す。
右一首歌今案不似反歌也。但舊本以此歌載於反歌。故今猶載此次。
亦紀曰、天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子。
つまり、『中大兄三山歌一首』の反歌に、『わだつみの豊旗雲に入り日指し』和歌はそぐわない。しかし、古本がそういうふうに載せているから、そのまま掲載しておくと言う
御祭神は「天香具山命(あめのかぐやまのみこと)」で
別名「高倉下命(たかくらじのみこと)」である。
「大和三山では、香久山だけが「天」の字を冠することからも、天から降って来た山との伝承が、飛鳥時代には広く浸透していたのでしょう。聖なる山として特別な思いを持って接しられてきました。」とある。
越後の弥彦山も一面平野の中に天から降って来たかの如くに存在している山である。
又、「物部氏の祖神である饒速日(ニギハヤヒノ)命の子で尾張連らの祖天香具山命(彌彦神社の御祭神)の割註に天降の名手、栗彦命のまたの名が高倉下命であるとしている。」又、
「天照大御神と高木神が建御雷(タケミカヅチノ)神を呼んで葦原中国(あしはらなかつくに)が騒々しいので、行って征伐して来いと言いますと、建御雷神(タケミカヅチノカミ)は、私が行かなくても、その国を平らげることのできる横刀を降ろせばよろしいですと言いました。その刀の名は、佐士布都(さしふつ)神、甕布都(みかふつ)神またの名、布都御魂(フツミタマ)といいます。そこで、高倉下が高倉の頂上に穴をあけて、そこから刀を落としました。翌朝、天つ神の御子に献れ」という夢を見ました。翌日、自分の倉を見たら、夢の通り刀がありました。翌朝、庫を見ますと、剣は庫の床に逆さまに刺さっていました」
この剣を神武天皇にお渡しすると天皇以下全軍が目覚め、息を吹き返すというのである。
という事からすると、香具山自体が天から降って来るのと同じように、剣も天から降ってくるのであるから、高い所から倉に下る、あるいは高木神(高皇産巣日神・タカミムスビノカミ)の命で下る言葉どおりの神という事になる。そして丹生都比売が「赤く塗れば勝てる」と知らせたように「剣を渡して勝利した」とiという。ー
楢(なら)の木の三つの葉と五つのドングリの計八つを表します。
根っこも、やはり三本足です。
罔象女神(みつはのめのかみ)とは「三つ波」という意味と、もう一つ「三つ葉」という意味もあります。
天香具山神社
御祭神は櫛真命神(くしまちのみことのかみ)
元の名が、大麻等地神と書かれています。
占いの神ということなので、おそらく、弓削連(ゆげのむらじ)の祖の倭古連(やまとこのむらじ)の娘の阿佐姫(あさひめ)を思いだす
鳥居に「天香山神社」と書かれていた
馬で乗り入ることも、魚や鳥を捕ることも、竹など木を切ることも禁止と書かれている
「御祭神 櫛真神 元名 大麻等地神」と、記されていた
また、「櫛は奇(不思議) 真は兆占の古語……」と添えられている
櫛は奇(くし)で、真は兆(まち)
つまり、「くしまち」と読むのだろう
櫛真(くしま)ではなく、元名の大麻等(おほまと)
『日本書紀』の、「天の岩屋」のところに出てくる
稚日女尊(わかひるめのみこと)が機織りしているとき、素戔鳴尊(すさおのみこと)が悪さをして、驚いた稚日女尊が死んで、天照大神が「天の岩屋」に閉じこもる
天照大神に出てきてもらうために、思兼神がアイデアを出す
……太玉命(ふとだまのみこと)は、天香山(あまのかぐやま)の沢山の榊(さかき)を堀り、上の枝には……下の枝には青や白の麻のぬさをかけて、皆でご祈祷(きとう)をした。
……そこで石凝姥(いしこどめ)を工(たくみ)として、天香山(あまのかぐやま)の金(かね)を採って、日矛(ひほこ)を造らせた。また鹿の皮を丸剥ぎにして、フイゴを造った。これを用いて造らせた神は紀伊国においでになる日前神(ひのくまのかみ)である
ニギハヤヒは尾張氏の祖神で、物部氏とは無関係なのだ。
物部神社の主祭神もニギハヤヒではなく、ウマシマジである