菊理媛

November 2015 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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菊理媛 伊邪那美神は、火の神迦具土神を生み神去って黄泉国に行ったが、 そのため黄泉大神ともいわれている。 追っ…

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  • 福岡県田川郡香春町大字香春733(豊前国田川郡)に「辛国息長大姫大目命神社(からくにおきながおおひめおおめのみことじんじゃ)」

    香春(かわら)神社と呼ばれ、神社由緒ではこの神社の創建年代は不詳、祭神は神社由緒によると『第一座 辛国息長大姫大目命で神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給うた。第二座 忍骨命(おしほねのみこと)でこの命は天津日大御神(天照大神?)の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。第三座 豊比売命(とよひめのみこと)豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ、各々三神三峰に鎭座し、香春三所大明神と称し崇め奉りしなり。神社は前記三柱の神を奉斎せる宮祠にして、遠く崇神天皇の御宇に創立せられ、各神霊を香春岳頂上三ケ所に奉祀せしが、元明天皇の和銅二年に、一之岳の南麓に一社を築き、三神を合祀し香春宮と尊称せらる』とあります。辛国とは韓国、息長は息が長いということで、ふいごの風がよく通るといわれ息長は「風の神」という説があり。大姫は神と人との間を取り持つ巫女的な存在であり大目は、たんに大きな目という意味ではなく、大目は「だいまなこ」と呼ばれ「だいまなこ」は「一つ目」、いわゆる金属技術者を指す「目一つの神」であるそうです。
  • 気比神宮現人神社(角鹿神社)気比大神=五十狭沙別命(いさざわけの・みこと)=ツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等)を祭る

    豊前国香春町現人神社ツヌガアラシトを祭る

    気多神社但馬国気多郡、越中国射水郡 、越後国頸城郡(居多神社)、加賀国江沼郡(気多御子神社)、三代実録掲社として越前 国、飛騨国(気多若宮神社)が鎮座している。主に日本海を中心に分布白山菊理姫(新羅系山岳大地母)を祭る
  • 剣珠

    「日本書紀」仲哀天皇2年(193)の条に、「神功皇后が関門海峡長門豊浦の津に泊まり海中より如意珠(こころままのたま)を得らると見ゆるも是なり」とあり、剣の形の現れたることから、剣珠と称された現存する日本最高最古の如意宝珠です。八幡大神(應神天皇)・神功皇后に戦勝を授け、高野山を鳴動させた神通の霊宝として著名です。

    −日本第壱如意寳珠 神通の霊宝《劔珠》について−

     能「西宮」に謡われる廣田神社秘蔵の霊宝《劔珠》は、『日本書紀』仲哀天皇二年の条に 神功皇后が豊浦(とゆら)の津にて海中より得られ給うたと記された〈如意珠〉が、今に伝えられたものです。
     水晶の玉中に劔の顕れたる如意宝珠にして、この宝珠を得られてからの神功皇后は連戦連勝にて、本邦建国の海外大遠征の切にも皇后並びに胎中天皇(大神天皇= 八幡大神)の玉体を奉護し、大勝利を得て無事御凱旋を果たさせたる神通の霊宝として尊崇されました。
     古く『万葉集』に「玉映やす武庫の~」と《劔珠》に因んだ枕詞が読み込まれ、後白河天皇編の 『梁塵秘抄』の今様には「濱の南宮(廣田神社境外摂社)は如意や宝珠の玉を持ち~」と謡われています。
     『元亨釈書』は甲山神呪寺の開基如意尼の伝に、『類従既験抄』は藤原冬嗣 の娘に関連の記事に、 『二十二社本縁』は廣田社の条に、各々海中より得たる《如意宝珠= 劔珠》の件を記録し、五山 文学の雄僧絶海中津は著書『蕉堅稿』の中で「所 劔珠者絶世之奇観也」と、同じく鎌倉時代の著名な禅僧義堂周信もその書『空華集』に所載の漢詩に「霊光夜射九重天」「竜女神珠不直銭」と称賛しています。
     このように世に知れ渡り、謡曲「劔珠」「西宮」の題材ともなった霊宝《劔珠》は、一向宗徒により隠蔽されたこともありましたが、本願寺僧侶の良心によって還納されました。その節には後奈良天皇の聖旨を煩わし、わざわざ朝廷より包装用の金襴の御袋が附せられ、尋常に有らざる御扱いでした。慶安年中(1648~1651)には盗賊の盗むところとなりましたが、毎夜鳴動することを恐れた盗賊により高野山の千手院谷に捨てられ、山谷振動することを怪しんだ寺僧によって発見され返還されたこともありました。

    《劔珠》はいつの時代からか廣田本社に秘蔵されておりますが、中世以前には廣田神社の別宮の浜南宮(現西宮戎神社神域)の根本社である南宮(廣田神社境外摂社)の本殿に祀られており、 その社殿床下には火災等の非常の災難から奉護する為、井戸の設けが有りました。 此の神井は、前出の『梁塵秘抄』に「南宮の宮には泉出でて垂井の御前は潤ふらん~」と謡われ、灘の酒造りを支える世に有名な「宮水」の起源ともなっています。
  • 大歳神【オオトシノカミ】とは
    先に書いたように、"年"を司る神であり転じて穀物、特に稲(田)の神とされる。
    「素戔嗚尊【スサノオノミコト】」と「神大市比賣【オオイチヒメ】」の子供。
    妹神はお稲荷さんで有名な稲荷大明神、「宇迦之御魂神【ウカノミタマノミコト】」
    妹神を祀ってる大きな社は、伏見や豊川、最上などあるのに対し
    兄神が大々的に祀られている社のなんて少ない事よ・・・
    神戸市内でも、兄の名が付いた宮なのに妹が祀られているとか、その心境や複雑だ・・・
    まぁ、兄神の子供は沢山居るので、重要な神であることは間違いないのだが
  • 道照(道昭)
    遣唐使として入唐し、我が国に初めて法相宗を伝えたとされる。舒明天皇元年(629)河内国丹比郡に生まれた。姓は船連氏。
    『続日本紀』によると、白雉4年(653)勅命により入唐し、玄奘三蔵に教えを受けて帰朝。本邦法相宗の初伝といわれ、天智天皇元年(668)より元興寺東南隅に禅院を建てて住んでいたが、後に諸国を周遊し、井戸を造り橋を架けるなど社会事業をした。文武天皇4年(700)に没し、我が国初の火葬となった。
    (修験道辞典を改変)

    これによると、道照は遣唐使として訪唐し、あの三蔵法師に会って、戻って来たあと、
    そのままこの久山の白山に留まった事になります。
    難波と言う人が僧侶の道場を建てて、道照に帰依しました。
    道照は唐で学んだばかりの法相宗の教えを説いて、多くの僧が集いました。
    そんな最中に斉明天皇の崩御の知らせが飛び込んで、その法要をしました。
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