石上神社

December 2018 編集されました カテゴリ: 神社
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 石上神宮は古代の豪族物部氏の武器庫であったという。境内には本殿がない特異な神社である。現在の本殿は1913年…

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コメント

  • 『物部氏口伝抄』と『石上布留神宮略抄』
    天智七年盗難事件
    朱鳥元年六月、皇居より尾州熱田の御社に奉還し給ひ・・・、
    草薙剣を熱田神宮に送り遣わされた朱鳥元年六月十日の、その夜に、石上神宮の神主が『日の谷』に出雲建雄神が降臨する霊夢を見たことになっています
  • 備前で奉っていたのは、『布都斯御魂』
    素盞嗚尊が、八岐大蛇を斬った剣です。
    またの名を『蛇の麁正・蛇の韓鋤・天羽羽斬』

    仁徳天皇の五十六年十月に物部首市川臣が大和に遷座されたとありました。

    石上布留高庭の地底は磐石で以って境とし石窟を作り、その中に布都御魂、布都斯魂、布留御魂を共に蔵して斎き祀った。その上に高地を築いて斎庭をつくり高庭の地と謂った、とあります。明治に発掘されたのですが、そのとき全部を発掘したのかどうか判りません
  • 天理市田井庄の八剣神社(八岐大蛇が水雷神となって出雲建雄神(草薙剣荒魂)に従いともに、日の谷の八箇石に降臨した神)は、都祁の村公(ムラキミ)が神殿を造って祀りはじめたとあります。
  • 大阪唯一の八劔神社
    大阪市城東区鴫野東に鎮座

    由緒は『応永の始め、鴫野村の住民某がある夜夢を見た。その夢枕に一人の老翁が現れ「吾はこれ熱田の神なり。跡をこの地に、垂れんと欲す。明日汝等出でて吾を淀川の河辺に迎うべし」と告げたので、翌日村人十数人を呼んでことの次第を語ったところ、自分も同じ夢を見たと云う者が十人余に及んだ。そこで一同は各々衣服を改めて河辺に出迎えると、果たして一ぴきの小蛇が河中に現れ、まっすぐこちらに向かって来て、やがて岸に上がった。その様の悠々泰然たるを見て、村人は畏敬にうたれ、一同相従って行くと、小蛇は川を越え、堤を経て鴫野村に入った。そして、小蛇がとどまった所を見て、村人たちはそこに小さな祠を建ててこれを祀った。時に応永三年(一三九六年)九月二十二日のことである。以来、今日に至る。』
    祭神は、速素盞烏尊です。熱田の神を素盞嗚尊と認識
  • 神武天皇がタカクラジから奉られた剣(フツノミタマ)
    【佐士布都神(サジフツノカミ)】記
    【甕布都神(ミカフツノカミ)】記
    【布都御魂(フツノミタマ)】記
    【平國之剣(クニムケノツルギ)】紀の本文

    スサノオがヤマタノオロチを退治した剣(フツシミタマ)
    【十握剣(トツカノツルギ)】記・紀の本文
    【蛇之麁正(オロチノアラマサ)】紀の一書
    【蛇の韓鋤(オロチノカラサヒ)】紀の一書
    【天蠅斫の剣(アマノハバキリノツルギ)】紀の一書

    草薙の剣
    スサノオがヤマタノオロチの尾から発見した剣
    【都牟羽之大刀(ツムハノタチ)】という標記が古事記にある剣、
    いつも上空に雲が集まっているので【天叢雲之剣(アメノムラクモノツルギ)】の別名がある剣
    ヤマトタケルが東方征討に出かけるとき叔母のヤマトヒメから授かり、以後、タケルの冒険で重要な役割を果たす剣
    天智天皇7年に僧道行が新羅に盗んでいこうとして果たせなかった剣
    朱鳥元年に天武天皇がタタリをおそれて熱田神宮に返還した剣

    イザナギがカグツチを斬殺した剣
     【十握剣(トツカノツルギ)】
     【天之尾羽々張(アマノヲハバリ)】
     【伊都之尾羽張(イツノヲハバリ)】


    建速須佐之男命は、櫛名田比売の姿形を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、八俣遠呂智を退治する。そして八俣遠呂智の尾から出てきた草那芸之大刀(くさなぎのたち、紀・草薙剣)を天照御大神に献上し、それが古代天皇の権威たる三種の神器の一つとなる(現在は、愛知県名古屋市の熱田神宮の御神体となっている。)。その後、櫛から元に戻した櫛名田比売を妻として、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県安来市)へ行きそこに留まった。
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