温祚百済、沸流百済、朱蒙の子 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

December 2018 編集されました カテゴリ: 韓半島
温祚百済、沸流百済、朱蒙の子 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

北扶余より難を逃れて卒本扶余に至る。扶余王に嗣子がなく、三人の娘しかいなかった。朱蒙を観て、常人ではないと感知し、次女を朱蒙の妻とした。間もなく扶余王が崩じ、朱蒙が嗣位した。二人の子が生まれた。長男は沸流、次男は温祚という(あるいは朱蒙は卒本に至って越郡の娘を娶り、二子が生まれたと言う)。…

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コメント

  • 沸流、温祚は瑠璃明王に殺されることを恐れ、韓民族が住む南の地に逃れます。扶余も高句麗も百済もツングース族です。温祚百済(山彦)は馬韓との戦いに勝って、馬韓の地を侵略します。沸流百済(海彦)は移った先が、倭と呼ばれた沿岸部や島々の塩田であったために細々と生き延びることになりますが、仇台百済となってからは勢いを増し、広開土王による遠征などで高句麗に滅ぼされた温祚百済にバトンを渡されることとなります。
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