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安徽省亳県所在の曹操宗族墓群の中の「元宝坑村一号墓」から、多量の字磚が出土した。 この「元宝坑村一号墓」は一族の曹胤(そういん)の墓と言われ、築造年代は後漢の建寧年間(168~172年)であることが分かっている。
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また、朝鮮半島南部においても近年倭人の墓とされる前方後円墳が発見されており、1600年以上前には朝鮮半島南部も倭人の居住地だったとみられている。
復旦大学の李輝(復旦大学現代人類学教育部重点実験室)のDNA分析により、曹操の子孫を称する曹氏のうち6家族から珍しいO2*-M268型の変異が見つかったということです。合わせて亳州の曹氏宗族墓群のひとつ、元宝坑1号墓の遺骨からも同じくO2*-M268型の変異が見られたそうです。
復旦大学の韓昇(復旦大学歴史系教授、中国魏晋南北朝史学会副会長)が結論するところでは、
1.曹操は曹参の後裔ではない。
2.曹操の子孫が改姓したと伝えられる操姓の人々と曹一族とのあいだには遺伝的には関係がない。
3.現在の夏侯氏と曹操の家族のあいだも遺伝的に一致しない。
ということです。操氏・夏侯氏の話は分かるのですが、「曹操は曹参の後裔ではない」がどこから導き出されたのか、今ひとつ判然としないところです。
曹操の子孫をDNA検査で確認 中国上海の復旦大(共同通信)
復旦大学が取りあげた亳州の元宝坑1号墓ですが、1976年に亳県城の南郊で出土した後漢墓です。出土の墓磚からは、「倉天乃死」という蒼天已死を連想させる4字が出ていたり、「有倭人以時盟不」という極東歴オタの心をくすぐる7字が出ていたりします。ここの墓主は曹胤(曹騰の兄の子)というのが通説だと思うのですが、復旦大学は曹鼎(曹騰の弟)の名を挙げているのがやや気になります。
http://tieba.baidu.com/p/1577263707
商 O2a-M95
周 O3a2c1a-M117
項羽 O3a3b*-M7
漢 O3a1c-002611
曹魏 O2*-M268(xM95)
孫呉 O3*-M122(xM324)
晋 O2*-M268(xM95)
隋 O3a2c1a-M117
唐 O3a3*-P201(xM7,M134)
明 O2*-M268(xM95)
母系では琉球諸島周辺で発生し、沖縄から九州へ入ってきたとされる縄文系のハプログループM7a (mtDNA)が韓国人に3%弱確認されているが、縄文時代に日本から移住したと考えられている