筑前の夜須、 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

June 2015 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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筑前の夜須は、日本書紀では「安」と書かれる。
アマテラスが石屋戸に隠れたあと、神々が合議した安の河原とはどこか?

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コメント

  •  海域の島々 長崎、筑紫、天草

    「天国」がこの海域の島々であること。この事実を証明するものがある。それは、天つ神(とその子や孫)たちの行動範囲だ。
     (一) イザナギ神は、出雲にあるといわれる黄泉(よみ)の国へ行った。そして筑紫の日向の橘(たちばな)の小戸(おど 博多湾岸。西辺)に帰ってきた。そしてここで“ミソギ”して天照や月読やスサノオらを生んだ。
     (二) 天照は筑紫の博多湾岸(姪の浜付近)で誕生したあと、「天国」にひきこもり、そこから出たことがない。
     (三) スサノオは、はじめ新羅国に行き、のち出雲へ行った。
     (四) 天照の子、天の忍穂耳(おしほみみ)命は、「天国」から出た形跡がない。
     (五) 天照の孫、ニニギは、「天国」を出て、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ 糸島郡、高祖山連山)に来て、この筑紫で定住した。
     (六) 天鳥船神・建御雷(たけみかづち)神は、天照の使者として、「天国」から出雲の伊那佐(いなさ)の小浜(おばま)に降り到った(「国譲り」の交渉)。

     このように、天つ神たちの天国からの行動範囲は、筑紫・出雲・韓地(新羅国)の、この三地域に限られている。
     しかも、これら三地域に出向くさい、いずれも途中の中間経過地が書かれていない。だから、「天国」は、この三地域に共に接しているのだ。すなわち、この三地域に囲まれた、その内部にあるのだ。 ーーそれはとりもなおさず、右の「亦の名」古地図の示す「天の・・・・」の島々の分布領域に一致する。これが、この「天国古地図」が『記・紀』の神話内容と完全に一致していることを証明している。
  • イザナギ・イザナミは天つ神の意思を問うべく参上する。すると天つ神はみずからト占によって占って“判断”をうるのである(「ふとまに」は「太占」)。また「天の石屋戸の段」にも、
      天児屋(こや)命、布刀玉(ふとだま)命を召して、天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天の波波迦(ははか)を取りて、占合(うらな)ひ麻迦那波(まかなは)しめて、・・・・〈神代記〉

    と、この天の岩屋で、卜占祭祀の行なわれたことが記されている(ここに沖ノ島と相対する「小屋こや島」の名を示す「天児屋こや命」が登場することは意味深い)。すなわち、「天の岩屋」は「天国」の祭祀の中枢の場であったのである。 ーー今の沖ノ島がすなわち、これだ。
  • 「オノゴロ島」
    このうち、「オ」は地名接頭辞、「ロ」は地名接尾辞であることは直ちに判明する。すなわち、固有の地名部分は「ノコノ島」だ(たとえば、博多湾外〔西北〕に「小呂おろの島」がある。沖ノ島には「御前おまえ」という磯がある。この地域にも「オロ」という接頭辞は数多いのである。また、「末盧まつろ国」は「松浦」だとすると、この場合の「ロ」もまた、地名接尾辞ではあるまいか)。
     このようにしてみると、今オノゴロ島の存在領域を『記・紀』の表現様式に従って大領域から中領域へとおしつめ、この博多湾内に立ち到ったとき、「オノゴロ島」に比定さるべきもの、それが志賀島でなく、この「ノコノ島」であること、それは必然である。
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