諏訪神社、御名方と宗像 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

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  • 信濃国のおもな神社の伝承

    神社 住所 祭神 饒速日尊 創建

    一宮 諏訪大社 長野県諏訪市・茅野市 建御名方命・八坂刀売命・八重事代主神 不詳 本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。

    二宮 小野神社 長野県塩尻市北小野175 建御名方命 崇神 建御名方命は科野(しなの)に降臨し、しばらくこの地にとどまり諏訪に移った。その旧跡に崇神天皇の時祭神を勧進奉斎す。

    二宮 矢彦神社 長野県上伊那郡辰野町大字小野字八彦沢 正殿 :大己貴命 ・事代主命 副殿 :建御名方命・八坂刀賣命 ○ 欽明 遠い神代の昔、大己貴命の国造りの神業にいそしまれた折り、御子の事代主命と建御名方命をしたがえて、この地にお寄りになったと伝えられている

    三宮 沙田神社 長野県松本市島立区三ノ宮字式内3316 彦火火見尊 豐玉姫命 沙土煮命 大化 孝徳天皇の御宇大化五年六月二十八日この国の国司勅命を奉じ初めて勧請し幣帛を捧げて以って祭祀す

    三宮 穂高神社 長野県安曇野市穂高6079 穂高見神、綿津見神、瓊瓊杵神、天照大御神 安曇族は、北九州に起こり海運を司ることで早くから大陸との交渉を持ち、文化の高い氏族として栄えていた。その後豊かな土地を求め。いつしかこの地に移住した安曇族が海神を祀る穂高神社を創建したと伝えられている。主神穂高見命は、別名宇津志日金折命と称し、海神の御子で神武天皇の叔父神に当たり、太古此の地に降臨して信濃国の開発に大功を樹られたと伝えられる。
  • 物部守屋が「丁未の乱(ていび)」で滅ぼされたのだが、その際に守屋連の二男が守屋連の首を持って諏訪まで逃げたという。

    日本書紀には、
    大連子息等信濃国伊那郡藤澤に蟄居して世間の人と交わらず…とあるそうである。

    中原氏もこの物部氏族に入っているそうであるが、佐味氏もそうであると思う。

    さらに、聖徳太子派物部守屋連の亡骸を物部守屋の邸宅「森の宮」に葬り、その最初の墓は「荒墓」とよばれたそうである。これが「大阪の八尾市」にあるそうである。

    田原本町八尾と、同じ「八尾」
  • 大御食神社が建つこの土地は、美女ヶ森と呼ばれる。
    日本神話では、日本武尊の東征からの帰りに、里長の赤須彦から饗を受け三夜をこの土地で過した。
    その際に赤須彦から御食津彦の名を賜り、尊の死後に御食の社と称したという。
    応神天皇の時には、神霊の御告げによって、熱田から草薙の剣の霊代と、美女社の宮簀姫とを迎えて、地名を美女ヶ森と呼んだのだという。
    元慶三年に、京都の石清水八幡宮から八幡の神を迎え、日本武尊と、五郎姫神(宮簀姫)を相殿に奉った。

    大御食神社 最初にその下に仮殿を造った杉は御蔭杉といわれ、神木になった。
    現在では鳥居を潜った右手に大きく立っている。
    駒ケ根の市街地からは離れ、田畑
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