蘇那曷叱知、都怒我阿羅斯等、天日矛 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

May 2015 編集されました カテゴリ: 一般/歴史書

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蘇那曷叱知(そなかしち、蘇那曷叱智)
『日本書紀』
崇神天皇65年7月に任那国から朝貢のため来朝し、垂仁天皇2年に帰国したという。

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コメント

  • 稲佐(いなさ)神社の「いなさ」は「いささ、五十狭」、鉄のことともされる。そして、天日矛の神宝が胆狭浅(いざさ)の太刀であった。天日矛は半島の産鉄民や金属精錬集団が齋祀る神。「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」と同神ともされる。 越前国一宮の気比神宮の祭神が「伊奢沙別命(いささわけ)」であった。角鹿(つぬが)氏が管掌し、敦賀の旧名「角鹿」発祥の地主神が、都怒我阿羅斯等であった。伊奢沙別命とは都怒我阿羅斯等。

     日本書紀に都怒我阿羅斯等は「額に角がある人が船に乗って越前国笥飯浦に着いた。」とされ、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)とは「角がある人」の音とも。
     角がある人とは牛冠を被る半島の曽尸毛犁(そしもり)から渡来した「蚩尤(しゆう)」の一族。蚩尤は「兵主神」、兵器を製造した鍛冶の神であった。
  • 角がある人とは牛冠を被る半島の曽尸毛犁(そしもり)から渡来した「蚩尤(しゆう)」の一族。蚩尤は「兵主神」、兵器を製造した鍛冶の神であった。
     半島の桓檀古記によると、檀君王倹は番韓を三苗の「蚩尤」の末裔、蚩尤男に治めさせた。「蚩尤」の一族は兵主の地、山東半島から朝鮮へと渡った

     鹿島の西、杵島山南麓の塩田や鹿島の金屋町は、刃物鍛冶の町として栄えたところ。また、塩田の五町田や石垣には硫化鉄鉱があり、随伴して丹沙(朱砂)や水銀を産出している。そして、稲佐神社の祭祀地は古く、杵島山南麓であったともされる。
     稲佐神社には「丹生神」が合祀されている。また、塩田や嬉野あたりには、丹沙採掘の民が奉祭する丹生都比売を祀る「丹生神社(たんじょう)」が密集し、古く、杵島の地に鉱工民や金属精錬集団が盤居した痕跡。五十猛神と丹生都比売神は、紀伊など同域にて祭祀される。
     そして、後背の山地を、多良(太良)岳として蹈鞴(たたら)地名を想起させる。
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