斯盧国、新羅 « 古代史&フォーラム by tokyoblog

December 2018 編集されました カテゴリ: 韓半島
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後の慶尚北道にあり、辰韓12ヶ国の中心となり、更に後代「新羅」として韓民族の中心国家となった「斯盧」国

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コメント

  • 「百済本紀」と違って、「新羅本紀」には倭という文字が数多く登場します。そのほとんどは倭の兵が攻めて来たというような記事で、憎むべき敵として登場します。ところが初期の記事には、そうでないものがあります。

    始祖赫居世(かくこせ)は、馬韓への使者として瓠公(かくこう)を派遣しましたが、瓠公はもと倭人だといいます。昔、ひょうたんを腰に下げて海を渡って来たと書かれています。瓠はひょうたん類の総称と辞書にあります。

     4代脱解(だっかい)尼師今は、昔氏の初めの王ですが、倭人です。脱解は多婆那(たばな)国の生まれといい、その国は、倭国から東北へ千里のところにあるといいます。倭国を福岡と見なせば、東北へ千里のところは出雲付近になります。出雲の先には、但馬(たじま)や丹波(たんば)があります。タバナ国は、タンバノ国とも理解できます。脱解は瓠公を大臣にしましたが、同じ倭人だから重く用いたと思われます。

    後に日矛がやってきたのも、丹波、但馬ですね
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