三嶋溝咋、玉依媛

December 2018 編集されました カテゴリ: 神武ー開化
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伊比良咩神神社 故、坐日向時、娶、阿多之小椅君妹、名、阿比良比賣 神武天皇、阿波の樫原で即位されたあと、「日向…

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  • 宗像氏のカバネは初め君であったが、その本宗 は、天武天皇13年(684)に朝臣を賜った。系譜につい ては、『新撰姓氏録』右京神別下の宗形朝臣条に「大神 朝臣同祖。吾田片隅命之後也」、同河内国神別の宗形 君条に「大国主命六世孫吾田片隅命之後也」とみえる。
  • 原初の賀茂神社は鴨族の氏神であったが、桓武天皇の平安遷都によって賀茂神社は人々の尊崇を得て、賀茂詣が盛んになり、皇城鎮護の皇大宮神社と称された。弘仁元(810)年から約400年間は、賀茂斎院の制によって皇女が斎王となって賀茂神社の神事に奉仕する社であった。この神社の5月15日に催される賀茂祭(葵祭り)は、源氏物語など王朝文学作品にもしばしばと登場し、洛中で最もよくきこえた祭であろう
  • 百嶋説
    『辛国息長大姫大目命』が神大市姫=罔象女ミズハノメとスサノオの間の子で記入され、『市来嶋比賣命』がアカル姫=磐(石)長姫イワナガ姫から生れたと記入されていました。

    {記紀に於いては、大山祇(百嶋説では、=大國主命の父と考えられています)が糸島に居たと考えられますニニギ尊に磐(石)長姫(姉)と木之花開耶姫(妹)の姉妹を差し出しますが、ニニギ尊は石長姫を娶らなかったので、父であります大山祇はニニギ尊(=高木神)の天下が長くは続かないと予想し祈願します。}
  • 大神朝臣

    素佐能雄命六世孫 大国主之後也 初大国主神娶三島溝杭耳之女玉櫛姫
    夜未曙去 来曽不昼到 
    於是玉櫛姫績苧係衣 至明随苧尋□ 
    経於茅渟県陶邑 直指大和国真穂御諸山 
    還視苧遣 唯有三□ 因之号姓大三□

    素佐能雄命の六世孫、大国主の後なり。初め大国主神、三島溝杭耳の女、玉櫛姫に娶ひたまひき。
    夜の曙ぬほどに去りまして、来すにさらに昼到まさざりき。
    ここに、玉櫛姫、苧を績み、衣に係けて、明くるに至りて、苧のまにまに、まぎゆきければ、
    茅渟県の陶邑を経て、直に大和国の真穂の御諸山にいたれり。
    還りて、苧の遺をみれば、ただ、三輪のみありき。これによりて、姓(うぢ)を大三輪と号けり。


    賀茂朝臣

    賀茂朝臣 朝臣 大神朝臣同祖 大国主神之後也
    大田田祢古命孫大賀茂都美命[一名大賀茂足尼] 奉斎賀茂神社也
  • 大国主ー事代主系である。

     山城国の、賀茂県主と鴨県主は、賀茂建角身命の後裔。
     大和国の、賀茂朝臣は、大国主命の後裔。
     摂津国の、鴨部祝は、大国主命の後裔。
     京の、鴨県主。摂津国の、鴨君は、彦坐命の後裔。

    鴨君・鴨県主に関しては『日本書紀』に、第4代懿徳天皇の母は、「事代主神の孫 鴨王(かものきみ)の女(むすめ)」とあり、大国主命~事代主命の血を意識した氏族名と思われます。
  • 三島溝杭耳の娘、玉櫛姫と結婚したのは事代主。
  • 勘注系図および旧事本紀(天孫本紀)には
     「水主氏・雀部氏・軽部氏・蘇冝部氏・三富部氏は玉勝山代根子命(タマカツヤマシロネコ、ホアカリ9世の孫)の裔」
    との注記があり、ここでいうタマカツヤマシロネコ命とは、由緒にいう山背大国魂命(ヤマシロオオクニタマ)と同一神という(由緒に10世孫とあるが、系図では9世孫)。
     また、同系図の建田勢命(タケタセ、ヤマシロネコの曾祖父、旧事本紀には海部直の祖とある)の脚注には
     「孝霊天皇の御宇、丹波国丹波郷で宰(ミコトモチ・地方長官)と為って奉仕、その後、山背国久世郡水主村(当地)に移り座す。云々」
    とあるという。
  • ホツマツタエに
    崇神朝に、丹後宮津吉佐宮で、アマテル・トヨケ神を
    祀った際の構成メンバーは、
    斎主  中臣氏か
    御供守 丹波道主王命
    神主 天村雲後裔渡会氏祖(アマ・尾張氏)
    禰宜 フリタマ命
  • 秀真伝の
    ホツマツタエでは、アタツクシネ(天櫛根命)を、天日方奇日方命と日向カンドミラ媛の間に
    生まれた御子とする。
    カンドとは、日向の統治を託された代王。その血が、大物主家に入っている。
    天日方奇日方命の女(ホツマでは孫)ヌナソ媛は、3代安寧天皇の皇后となり、懿徳天皇を生む。

    ホツマツタエには、アタツクシネについて、「大三輪社を造り、神名備を祀る。大三輪の姓を賜り、綏靖の大物主となる」とある。

    一族は、大物主として代々務めるが、開化天皇の時、オオミケヌシ命が、イカガシコメの立后に反対し、宮中から追放されてしまう。
    しかし、崇神朝に、オオタタネコが大三輪社の祀りに復帰。
  • 古事記では、大久米命が、神武天皇に、大后に相応しい乙女を次のように紹介しています。
    この大和の国に、神の御子であると言われている乙女がございます。神の御子であるというのには、こうしたわけがあります。
    三島湟咋(ミシマノミゾクヒ)の娘で、名を勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)という乙女は、姿かたちがたいそううるわしかったので、三輪の大物主神(オホモノヌシノカミ)が、これを御覧になって恋い慕われ、

    乙女が、川の流れの上に建てた厠(かわや)にはおはいりになった時を見すまし、赤土を塗って染めた丹塗矢(にぬりや)に身を変えて厠の下の流れのところから、乙女の陰処(ほと)を突きあげました。

    乙女はびっくりして走り回り、うろうろして大騒ぎになりました。

    そこで突かれた矢を持って来て、床のあたりに置きましたところ、たちまち、みめうるわしい男になり、やがてその乙女を妻として、

    生ませた御子の名は、富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)、
    別名は、比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と申すのでございます。

    この名前は陰処(ほと)という字を嫌って、のちに改めたものである。

    こういうわけがあって、それで神の御子と申す次第でございます。

    福永武彦訳「古事記」(河出書房新社)
  • 葵祭りで知られる上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)である。上賀茂神社は、賀茂族の氏神で、祭神として賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)を祀る。この神は葛木山の峰から山代国に移った賀茂建角身命の娘・玉依媛(たまよりひめ)命と山代の乙訓(おとくに)社の雷神との間に生まれた若き雷神であったと伝える。

    単に賀茂神社といえば、この上賀茂神社を指す。一方、下鴨神社は奈良時代の頃新しく作られた神社で、上賀茂神社の祭神の賀茂別雷大神の母である玉依姫とその父の賀茂建角身命を祀る


    賀茂建角身命とは

    『姓氏録』山城神別に、「神魂命の孫・鴨建津見命、大烏と化して天皇を導く」とある。山城の賀茂に住む神で賀茂県主の祖。

    神武天皇東征神話の中で先導神としてあらわれた八咫烏は、この神の化身。 『古事記」では高木大神の、『日本書紀』では天照大神の使神。

    『古語拾遺』は、この八咫烏が、京都地方の大豪族であった賀茂県主の遠祖とある。

    『山城国風土記逸文』では、八咫烏は神武天皇の先導神として仕えた後.大和から山城の賀茂に移ったとある。

    『古事記』では、天皇の軍隊が熊野から奥地に進んで、荒ぶる神々に苦戦をしている時、高木大神が 「今、天より八咫烏を遣わす。この烏の先導によって軍を進めよ」といわれ、その導きによって大和国に入った。 『日本書紀』では神武天皇の夢枕に天照大神があらわれ「八咫烏を遣わす」と告げた。

    夢の通り八咫烏に従って進み、宇陀にて兄宇迦斯、弟宇迦斯に出会う。 八咫烏が、天皇に仕えるか否かを問うと、兄宇迦斯は鳴鏑をもって八咫烏を射たが外れた。

    賀茂建角身命と伊賀古夜比売命の御子に、玉依比古命(賀茂県主となる)、玉依比売命の二子があり、 その玉依比売命については、『山城風土記』に、大山咋神(『古事記』では鳴鏑神)が丹塗矢と化して瀬見の小川を流れ下り、 玉依比売命と婚姻して、賀茂別雷命を生み奉ったと書かれている。

  • April 2018 編集されました
    賀茂氏はもとは出雲氏と同じ出雲族であった。

    「山城国風土記逸文」によれば、

    山城賀茂氏の祖は、葛城鴨氏としており、葛城鴨氏はヒトコトヌシ(オオクニヌシの息子)を祀っている。
    下鴨神社の本殿の前の「言社」という不思議な摂社がある。

    言社は7つの小社で構成されており、祭神はすべてオオクニヌシなのである。オオクニヌシには少なくとも7つの名前がある。

    言社の位置は中門正面・祭神に準じる配置

    平安京の以前には
    京都の鬼門にあったのは出雲寺・鴨社などいずれも出雲族ゆかりの寺社。

    現在
    出雲氏の出雲井於神社は,賀茂氏の下鴨神社に吸収され、本殿の傍らで静かにたたずんでいる。
  • April 2018 編集されました
    「山城国風土記・逸文」によれば

    賀茂氏の始祖、賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)は、大和の葛城から山城の下鴨の地にやって来た。
    娘のタマヨリヒメは下鴨の川から流れてきた矢を拾い、それがきっかけで賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト以下「ワケイカヅチ」)を身ごもった。

    北野神社のある北野は賀茂氏の領地になりますが、北野神社の菅原道真は「雷神」です。北野神社では牛をお祭りしていますが、
    これは雨ごいの際の生贄の儀式に由来します。

    「延喜式神名帳」には、
    本社の下鴨神社より前に出雲井於神社が記載されています

    出雲井於神社が下鴨神社ができる前から出雲族によって祀られていてその後、賀茂氏が土着の出雲氏と血縁関係を結び下鴨神社を祀ったといえる

    賀茂氏の葵祭は544年に始められたという記録がある。出雲族は、544年よりも前から山城で活動していることになる。

    出雲高野神社のある高野では、はじめ出雲族が居住していたが、後から近江から小野氏(小野妹子で有名な一族)が進出してくる。

    小野毛人墓誌(崇道神社蔵、国宝)高野出雲神社のすぐそばの崇道神社から小野妹子の孫・小野毛人の墓標が見つかり、国宝に指定されています。



    小野氏が勢力を拡大するのは6〜7世紀
  • 近江国滋賀郡小野村(現在の滋賀県大津市内)周辺を本拠とした。なお、山城国愛宕郡小野郷(現在の京都市左京区内)も支配下にあったと考えられており、京都市左京区上高野西明寺山の崇導神社内には小野毛人の墓碑がある。

    小野氏は、遣隋使となった小野妹子をはじめ、遣唐使などを務めたものが多く、東北や九州などの地方官僚などを務めたものも多い。漢詩や和歌に優れ、参議にまで昇った小野篁や能書家として知られる小野道風などが有名であるが、鎮守将軍となった小野春風や追捕凶賊使として藤原純友の乱の鎮圧にあたった小野好古なども輩出している。

    武蔵七党の筆頭の横山氏(猪俣氏)は、小野篁の末裔。横山氏(猪俣氏)の一族で、新田氏と自称した由良氏(横瀬氏)も小野を本姓としている。

    彦国葺命
    ┏━━━━━━┫
     建耶須禰命 大口納命
    ┏━━━━━╋━━━━━━┓
    真侶古命  彦汝命 難波根子建振熊命
    ┏━━━━━━━┳━━━━━━╋━━━━━━━┓
      石持宿禰命 大矢田宿禰命 日触使主命 米餅搗大臣命
    ┣━━━━━┳━━━━━┓
          春日人華 春日市河 和邇深目
    ┏━━━┫
         岡上 牟久
    ┏━━━━┫
        櫟井津幡 野依
    ┏━━━┫
       淵名 大海

         春日小野大樹

         仲若子
    ┣━━━━━┓
        小野妹子 春日老女子━━┳━━敏達天皇
    ┏━━━━━━━┫ ┏━━━━━╋━━━━━┓
       広人 毛人 大派皇子 春日皇子 難波皇子
    ┃ ┏━━━┫
       牛養 文人 毛野
    ┏━━━┳━━━┫
       老 田守 永見
    ┏━━━┳━━━┫ ┏━━━╋━━━┓
      石根 竹良 小贄 石雄 岑守 沢守
    ┃ ┏━━━┫   ┣━━━┓
      石子     春枝 春風 千株   篁
  • 宅春日神社(やけかすがじんじゃ)
    奈良市街地の南東端とも言える「白毫寺」エリアに位置する神社です。

    神社の創建の由来は、神護景雲2年(768年)に春日大社のご祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)が河内の枚岡神社から御蓋山に遷られる際に、この高円山麓の地に一時的にご滞在になったという伝説に基づくものとなっており、その御旅所が神社となったものとされています。そのためご祭神も天児屋根命と比売神という、春日大社のご祭神がお祀りされています。

    ちなみに、「宅」という名前の由来はかつては周辺が「大宅郷」と呼ばれていたことに由来するといった伝承が残されているほか、別名としては落雷で火災が起きたため「焼春日」という呼ばれ方もするようになったようです。

    神社は本殿のほか、隣接する位置に「山の神社」と呼ばれる境内社も設けられており、こちらのご祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)となっています。
  • October 2018 編集されました
    斎部氏系譜  
    ①天底立命-②天背男命-③天日鷲翔矢命-④大麻比古-⑤由布津主

    三嶋氏系譜  
    ①〇〇〇命-②天湯川田命-③少彦根(名)命---玉櫛姫(活玉依姫)

    鴨  氏系譜  
    ①天神玉命-②天櫛玉命-③賀茂建角身命-④玉依彦命-⑤五十手美命-⑥麻都躬乃

    「山城国風土記」逸文が記した賀茂建角身の子供二人(玉依日子と玉依日売)についての伝承を手掛かりにして、ここに在る「三嶋溝杭の娘、活玉依姫命」という女神を「田使首」「鴨氏」の系譜にある「玉依彦命」の姉妹だと仮定すると「③」の項目に縦に並んだ

    陶津耳命、
    賀茂建角身命(ヤタガラス)、
    天日鷲翔矢命
    そして少彦名命
    は、皆同じ神様を違う言葉で言い表したものだと考えることが可能になります。


  • October 2018 編集されました
    難波田使首が伝えた系譜

    伊久魂命-天押立命(神櫛玉)ー陶津耳命-玉依彦命-剣根命 

    陶津耳命には「都留支日子」という名前の兄弟がいますが、この神様ツルギヒコは三上氏の系譜に「天目一箇命」の神で別名を「天御影命」とも言います。

    天孫系で多くの氏族の祖神となった存在で額田部氏、凡河内氏、山背氏などが後裔に当ります。一方、玉依彦命には「竒美加比咩(キミカヒメ?)」という妹があり、この女神の別名が「玉依姫命」と云います。
    ーー
    「先代旧事本紀」所載に

    「天皇本紀」 
    事代主命は三嶋溝杭の娘、玉櫛姫と結ばれた。  

    「地祇本紀」
    事代主命は三嶋溝杭の娘、活玉依姫と結ばれ一男一女を儲けた。
    ーー
    賀茂氏によれば
    賀茂建角身命と伊賀古夜比売命の御子に、玉依比古命(賀茂県主となる)、玉依比売命の二子があり、 その玉依比売命については、『山城風土記』に、大山咋神(『古事記』では鳴鏑神)が丹塗矢と化して瀬見の小川を流れ下り、 玉依比売命と婚姻して、賀茂別雷命を生み奉ったと書かれている。

    新参の神武帝を自ら案内役となってヤマトの中洲に迎え入れ、帝室から大変喜ばれた神様が賀茂建角身命(ヤタガラス)だった
    なぜなら、
    神武天皇東征神話の中で先導神としてあらわれた八咫烏は、この神の化身。 『古事記」では高木大神の、『日本書紀』では天照大神の使神。

    『古語拾遺』は、この八咫烏が、京都地方の大豪族であった賀茂県主の遠祖とある。

    『山城国風土記逸文』では、八咫烏は神武天皇の先導神として仕えた後.大和から山城の賀茂に移ったとある。

    『古事記』では、天皇の軍隊が熊野から奥地に進んで、荒ぶる神々に苦戦をしている時、高木大神が 「今、天より八咫烏を遣わす。この烏の先導によって軍を進めよ」といわれ、その導きによって大和国に入った。 『日本書紀』では神武天皇の夢枕に天照大神があらわれ「八咫烏を遣わす」と告げた。

    夢の通り八咫烏に従って進み、宇陀にて兄宇迦斯、弟宇迦斯に出会う。 八咫烏が、天皇に仕えるか否かを問うと、兄宇迦斯は鳴鏑をもって八咫烏を射たが外れた。
  • 海神の娘である玉依毘売命は、 姉・豊玉毘売命が、山幸彦(穂穂手見命)と結婚するが、鰐となった姿を見られたのを恥じ、 海の国へ戻って来たため、置いてきた御子神・鵜葺草葺不合命の養育を託される。 その後、御子神・鵜葺草葺不合命の后となり、神武天皇の母となる。

    たとえば、『山城風土記逸文』にでてくる賀茂神社縁起の玉依日売。
    日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して大和の葛木山に宿り、 さらに山代国岡田の賀茂に移り、その後、久我国の北山基に鎮座。 丹波国神野の神伊可古夜日売を娶り、玉依日子・玉依日売が生まれた。
    ある日、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、 大山咋神が化した丹塗矢が川上から流れ下って来た。 これを床のまわりに置いていたところ、玉依日売は妊娠し、男子(賀茂別雷命)を産んだ。

    たとえば、『古事記』の三輪の大物主神の妻となる活玉依姫。
    三輪の大物主神は密かに陶津耳命の娘・活玉依姫のもとへ通い、活玉依姫が妊娠。 父母は怪しんで、針を苧玉巻(おだまき:糸を巻く玉)につけ、神の裳にかけさせた。 明朝、その糸を辿ると、三諸山に行き着いた。

    『日本書紀』一書第七には、天忍穂耳命の妻は、高皇産霊尊の娘・万幡姫の子の玉依姫命とある。

    また、宇佐神宮の祭神の一柱である比賣大神を玉依姫と呼ぶ場合がある。 八幡系神社の祭神の玉依姫命は、この比賣大神のことだと思う。

    また、天児屋根命と玉依姫命を祀っていた神社が存在する。 詳細は不明だが、枚岡神社や春日大社に祀られる比売神を 玉依姫命と解釈する説があるのかもしれない。
  • 土神剣根命

     剣根命の後裔として現れる氏族を『新撰姓氏録』から。
     大和国神別 葛木忌寸 高御魂命五世孫剣根命之後也
     河内国神別 葛木直  高御魂命五世孫剣根命之後也
     和泉国神別 荒田直  高御魂命五世孫剣根命之後也
     未定雑姓左京右京 大辛 天押立命四世孫劒根命之後也
     (未定雑姓摂津国 葛城直 天神立命之後也)  

    『古代豪族系図集覧』によれば、剣根命の系譜は以下の通り。

     高魂命-伊久魂命-天押立命-陶津耳命-玉依彦命-剣根命-夜麻都俾命-久多美命(葛城直祖)

    また陶津耳命の女に活玉依比売がいて、大物主命との間に鴨朝臣の祖である太田田根子をもうけるとある。

         +-玉依彦命---剣根命
     陶津耳命-活玉依比売
            |---太田田根子
     大物主神-○・○

    陶津耳命の二世孫に剣根命と太田田根子がいるのだが、『日本書紀』では、神武紀に剣根命が登場、かたや太田田根子は崇神紀に出てくる。神の子だから時代を超越しているのだ。八坂神社の氏子なら、何時の世でも素盞嗚尊の御子ということか。

     葛城の鴨の祖である太田田根子と剣根とはいとこ同士となる。剣根は鴨族の親戚。プロト葛城氏かも。
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