四世紀、五世紀の韓半島

December 2018 編集されました カテゴリ: 韓半島
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356年、奈勿麻立干(なこつ(なむる)まりかん)の即位。「麻立干」は王を意味する称号 377年、新羅は高句麗と…

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コメント

  • 雄略紀5年条(461)
    百済の加須利君(蓋鹵王)が弟の軍君(こにきし)(昆支王)に対して
    「汝日本(やまと)に往(まい)でて天皇に事(つかえ)えまつれ」。軍君答えて「願わくは君の婦を賜わり給え」加須利君即ち(自分の子を)孕める婦を軍君に嫁与(めあわせ)て曰く「わが孕める婦、すでに産月(うみづき)に当れり。もし路にして生まば、一つの船に乗せて、速やかに国に送らしめよ」と。孕める婦、果たして、筑紫の各羅島(かからじま)で児を生めり。よりてこの児を名けて嶋君(せまきし)と曰う。ここに軍君、一つの船を以て嶋君を国に送りつ。これを武寧王とす。百済の人、この島を呼びて主嶋(にりむせま)と曰(い)う。秋七月、軍君、京に入る。既にして五人の児あり。(『百済新撰』に曰く、辛丑の年、蓋鹵王、弟の昆支王を遣わして、大倭に向でてにに天皇(みかど)に侍え奉らしめ、以て先王の好を脩む。)」(百済武寧王登場)
    「『百済新撰』に曰く、辛丑の年、蓋鹵王、弟の昆支王を遣わして、大倭に向でてにに天皇(みかど)に侍え奉らしめ、以て先王の好を脩む。)」
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