天日方奇日方命、久斯比賀多命、鴨主命、櫛御方命、鴨と賀茂

November 2018 編集されました カテゴリ: 神武ー開化
image天日方奇日方命、久斯比賀多命、鴨主命、櫛御方命

「旧事本紀(くじほんぎ)」に 事代主神(ことしろぬしのかみ)の子。母は活玉依媛(いくたまよりひめ)。妹の媛蹈鞴…

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コメント

  • 天奇日方命〔素盞鳴尊の曾孫、大己貴命の孫〕は事代主命の長子である。性質は叡明仁恕で 神武天皇に事え、申食国政大夫となって天皇を助けた。悪神を治め夷賊を平らげた功功績は大 へん大きい。熟美味命と二人は今の左右大臣のようである
  • 忌部氏の祖神:古語拾遺
    其の高皇産霊神(たかむすびのかみ)〔御存知の通り、原初三神の一神です。〕の生みませる・・・・・・・男の名は天太玉命(あめのふとたまのみこと)〔天照大御神が天の岩戸に隠れた時に、祝詞(のりと)を唱え天照大御神を引き戻した二神のうちの一神で忌部氏の祖神。ちなみにもう1人の神は天児屋命(あまのこやね)であり、こちらは中臣氏の祖神。こういう訳で天皇家の祭祀は忌部氏と中臣氏にまかせられたのです。〕(斎部宿禰が祖なり。)太玉命の率たる神の名は天日鷲命(あめのひわしのみこと)(阿波の国の忌部等が祖なり。)手置帆負命(たおきおひのみこと)(讃岐国の忌部が祖なり。)彦狭知命(ひこさしりのみこと)(紀伊国の忌部が祖なり。)櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)(出雲の国の玉作が祖なり。)天目一箇命(あめのまひとつのみこと)(筑紫・伊勢の両国の忌部が祖なり。)

    天照大御神はニニギノ尊に三種の神器を与えた後、ニニギノ尊は地上に降臨する訳ですがその際に五部神と呼ばれる5人の神を随行しています。天児屋命(あまのこやね)と天太玉命(あめのふとたまのみこと)は祝詞を奏上する役、天細女命(あまのうずめ)は神懸かって神託を告げる役、そして櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)は祭器である勾玉の製作者、石凝姥命(いしこりどめ)は祭器である鏡の製作者です。
    加茂氏の先祖は八咫烏であると書いていますが、具体的な記述として新選姓氏録には加茂氏の祖神である鴨建津之身命(かものたけつのみのみこと)が大烏(八咫烏の長)に変化したという記述があります。鴨建津之身命の父親は天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)です。玉作氏の祖神、櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)と加茂氏の祖神、天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)。そっくりな名前です。そこで天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)を祭っている櫛玉命神社の社伝を調べると天櫛玉命(あまのくしたまのみこと)の別名は櫛玉命,櫛玉姫命,天明玉命,豐玉命。櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)の別名は玉祖命、羽明玉命、豊玉命、玉屋命でした。比べてください。両方に豐玉命の名称があるではないですか!!つまり櫛明玉命=天櫛玉命となり、加茂氏の祖先、八咫烏は忌部氏の支族である玉作氏と同族だと考えられるのです。簡単に言えば忌部氏=八咫烏=加茂氏です。
  • November 2018 編集されました
    可茂と云うは、日向の曾の峯に天降りましし神、賀茂建津身命、神倭石余比古の御前(みさき)に立ちまして、大倭の葛木山の峯に宿りまし、
    そこより漸くに遷りて、山代の国の岡田の賀茂に至りたまい、山代河のまにまに下りまして、葛野河と賀茂河との会う所に至りまし(中略)

    賀茂建角身命、丹波の国の神野の神、伊可古夜日女にみ娶いて生みませる子、名を玉依日古といい、次を玉依日売という。
    ーーー
    丹波国神野の国神。伊可古夜日女

    賀茂建角身命に嫁ぎ、玉依比古命(賀茂県主となる)、玉依比売命の二子を生む。

    伊賀古夜日売命 を祀る神社

    賀茂御祖神社 境内 三井社 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
    賀茂御祖神社 参道 河合神社 境内 三井社 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
    賀茂神社 福井県福井市加茂町7-1
    宮川神社 京都府亀岡市宮前町字宮川神尾山2
  • 古事記によれば、崇神帝の「御世」に「役病多に起こりて、人民死にて尽き」ようとする事態が生じました。愁い嘆く帝の夢に顕れた大物主大神は『是は私の御心である。故、意富多多泥古を以ちて、私の御前を祭らしめたまわば、神の気は起らず、国は安らかに平らぐだろう』と託宣したのです。目覚めた崇神は「駅使(はゆまつかい、早馬)」を国の四方に放って目指す人物を探していると「河内の美努村(書紀は茅渟縣陶邑とする)」で当人を見つける事ができました。『汝は、誰の児か?』と云う帝の問いかけに、

    僕は大物主大神、陶津耳命の女、活玉依毘売を娶して生める子、名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子、僕、意富多多泥古ぞ。

    と胸を張って答えたのがオオタタネコでした。彼が、この後「御諸山に意富美和の大神を斎祀る」ことになり「国家(あめのした)」は「安らかに平ら」ぎます。有名な「大三輪山伝説」の前段なのでご存知の方も多いことでしょう。その重要人物の母親が上の鴨縣主系図に見える「美良毘売」なのです。斎部氏の「先代旧事本紀」も「阿田賀田須と鴨部美良姫との間に太田田根子が生まれた」と記し、桜井市に鎮座する大神神社の神域に大直彌子社(若宮社)が在り、摂社として御誕生社まであることは、この伝承の確かさを裏付けているように思えます。では、この大直彌子神社(オオタタネコ)の主祭神・大田田根子命と共に祀られている神様は、少彦名神と活玉依姫です。
  • 神武帝と姫蹈鞴五十鈴姫との婚姻

    五十鈴姫の父親は三輪の大物主或いはその子・事代主なのですから(は姫蹈鞴五十鈴姫を祀る三嶋溝杭神社)。神武を「中洲」に導き入れたのが八咫烏(少彦名、鴨建角身)で、崇神の治世の大混乱を救ったのが陶津耳(少彦名)の娘婿である大田田根子、そして彼が居たという陶邑は陶津耳の本拠地です。
  •  『古代豪族系図集覧』によれば、剣根命の系譜は以下の通り。

     高魂命-伊久魂命-天押立命-陶津耳命-玉依彦命-剣根命-夜麻都俾命-久多美命(葛城直祖)
     また陶津耳命の女に活玉依比売がいて、大物主命との間に鴨朝臣の祖である太田田根子をもうけるとある。

    伝承による賀茂建角身命の行動は

    日向国曽の峰に降臨→神武天皇先導→大和の葛木山→山代国岡田の賀茂→久我国の北山基→丹波国神野の伊賀古夜姫命を娶る→玉依日子・玉依日売誕生
     である。

     玉依日売が神武天皇皇后五十鈴姫の母である。
  • 天活玉命(高木神の子)
    子は、天神立命、天三降命

    祭神として祀られている神社は富山県東砺波郡井波町高瀬の高瀬神社及び石川県羽咋市寺家町の気多神社ぐらいしか見当たらない。
    二人の子がいるが1人は天神立命で、この子孫が葛城氏・賀茂氏となっている。今一人の天三降命の子が宇佐津彦である。宇佐津彦は神武天皇が東遷時宇佐にやってきた時に天皇を歓待している。饒速日尊のマレビトとなる前に宇佐地方を統治していたのではあるまいか。

    高木神に6人の子がいる。
    思兼命、栲幡千千姫命、天忍日命、三穂津姫、天太玉命、天活玉命である。
  • 『古事記』によると、大物主神は陶津耳命の娘・活玉依毘売と結婚して、櫛御方命をもうけられた。 この櫛御方命の子が飯肩巣見命。、その子が建甕槌命。その子が意富多多泥古、『日本書紀』では大田田根子である。

    飯肩巣見命の子・建甕槌命は、鹿島神宮祭神の建甕槌命とは別神(のはず)。
    子孫の大田田根子は、崇神天皇の御代に三輪山の神主となった。
  • こんな記事ありました

    大物主=事代主で、神=当時の出雲族の発音で、「カモ」
    諏訪家の建御名方の途絶えた、古代の姓も「神」氏
    葛城へ移住した東出雲の向家(事代主直系)の奇日方の家系を、磯城・登美家・・加茂(鴨)氏=神氏
    ※葛城へ移住した阿遅須枳高日子の家系も鴨氏とされ、西出雲の神門臣家(大国主直系)。
    又、香具山=五十猛(徐福=饒速日の子)が丹波へ移住し、その子、天村雲は、
    葛城の磯城登美家が開拓した地に移住を決め武装し大移動・・武力を持ち葛城王と認めさせたとある。
    この天村雲の子が、海部(尾張)氏で尾張家の御子、笛吹連(大彦命の別名を、中曽根大根彦(長脛彦))だとしている。
    次に、阿遅須枳高日子の妹と香具山の子、高倉下が紀伊(木)の国造家と言うと・・高倉下を武内宿禰と匂わせている。
    そして、葛城に出雲族を集まり、天村雲の血筋には、代々、后を磯城・登美家の娘を娶った事により、血統も精神も三代後以降は、母系出雲族化し
    その葛城の三輪山の祭祀を司祭したのが磯城家・登美家の出雲族で、その姫君(姫御子)を「卑弥呼」と呼んだと書かれている。
    卑弥呼とは、出雲族で、磯城登美家の姫御子を指す様だ。
  • 三輪山の大物主神の子の天日方奇日方命の子の飯肩巣見命の子が建甕槌命であり、建甕槌命の子が大田多根子
  • 宇佐氏系図によると、天種子命と玉依姫の子の名は宇佐津臣命しか書かれていない。宇佐津臣命の祖父は建御雷神(建甕槌命)と天三降命(建角身命)であるから、建御雷神(建甕槌命)の名を取って、賀茂大社で別雷神と呼ばれたことになる

  • 建速素盞鳴命-大国主命-味鋤高日子根命
                       |
                        -都美波八重事代主-天事代主籖入彦命→

    -奇日方天日方命-飯肩巣見命-建甕尻命-豊御気主命-大御気主命→

    --阿田賀田須命
     | (宗形朝臣等祖)
      -建飯賀田須命-大田々根子命-大御気持命-大部主命-大友主命
     |-大鴨積命
                         (賀茂朝臣・鴨部祝等祖)
  • 綏靖天皇は鞴五十鈴媛の「姨」の五十鈴依姫(事代主の次女)と結婚し安寧 天皇が生まれています。五十鈴依姫の母については旧事本紀も何も書いてい ません。 その安寧天皇は事代主神の孫で鴨王の娘である渟名底仲媛と結婚し、懿徳天 皇と息石耳命が生まれています。 その息石耳命の娘・天豊津媛命が懿徳天皇と結婚して孝昭天皇が生まれてい ます。 ここまでが事代主系の天皇と考えられます。綏靖天皇は高丘の宮を作ったと される
  • 天日方奇日方命の子、健飯勝命(飯肩巣見)

    明石彦という名前は。。。

    大物主家に、大和氏の姫が嫁している。大物主家の大御気主命に、大和氏の民磯姫が嫁ぎ、阿田片隅命と建飯賀田須命が生まれている。

    阿田片隅命は、宗形君・宗形朝臣の祖。建飯賀田須命は、三輪朝臣の祖であり、太田田根子
    の父。姓氏録では、宗像・大神・賀茂朝臣は同祖とある。
    皆、大和氏の血を受けていることになる。

    大和氏ゆかりの地名、明石の名を受けた大物主家
  • 播磨の国造

    播磨国 明石国造 あかし 都彌自足尼(応神天皇期) 播磨国南東部
    針間国造 はりま 伊許自別命(成務天皇期) 針間氏(直)、佐伯氏(直) 播磨国北部
    針間鴨国造 はりまのかも 市入別命(成務天皇期)

  • 阿田都久志尼命。
    斎名:タタヒコ。アタツクシネは幼名という。クシミカタマとオオタの娘ミラ姫の子。
    タケヒトが大和を制圧した後に、県主にされた*。 
    神武の命によりオオミワの社を造り、即位前年の十月二一日にオオミワの神名備を祭っている。 
    カヌナカワミミ(綏靖天皇) のオオモノヌシ (剣臣)。
    カヌナカワミミよりオオミワの姓を賜る。 
    アウヱモロの娘ヌナタケ姫を娶り、イイカツとヌナソ姫を生む。 
    綏靖天皇のスケ・アダオリ姫の祖父。
      秀真伝より
  • 三輪の事代主神が 
     事代主神 化爲八尋熊鰐 通三嶋溝樴姫 或云 玉櫛姫而生兒 姫蹈鞴五十鈴姫命

    八尋熊鰐に化身して三嶋溝杭耳命の娘の許に通った結果、神武の妻となる姫蹈鞴五十鈴姫命が産まれたと記録しています。この三嶋溝杭という神様こそ神武をヤマトに導いた八咫烏(賀茂建角身命)であり、彼の別名が「天日鷲翔矢命、陶津耳命、少彦名命」でした(娘の名は玉依比売命)。また「玉櫛姫」の別名を「活玉依姫」とも云う伝承があり、賀茂(カモ)の宗家と目されていた事代主命と天孫一族が意外に親密な間柄であったことも判明してきました。少彦名命の父親は天津彦根命(天若日子と同神)」ですから、彼も亦、母親の高姫(下照姫)」を通してワニ(海人)の血が流れていたことになります。物部氏の「先代旧事本紀」は『阿田賀田須命は和迩君たちの祖である』(地祇本紀)と伝え「新撰姓氏録」は、

      和仁古  大国主六世孫、阿太賀田須命の後なり(大和国神別)   宗形朝臣  大神朝臣と同祖、阿田片隅命の後なり(右京神別)

    の二つの氏族名を上げて、双方が大国主命の後裔であることを主張していた事が分かります。赤坂比古神社に市杵嶋姫命が祀られているのも、宗像三神が素戔嗚の子神という処から勧請合祀されたのだと思われますが、大三輪氏との「同祖」を言うなら、せめて三世孫の「飯肩巣見命」の兄弟位に「繋ぐ」のが適当ではないかと考えられます。恐らくは、応神帝の即位、そして「神功皇后」の海外遠征に何らかの役割を果たして帝室の覚えが目出度かった宗像氏が、自家の格付けを高める目的で三輪一族との同祖関係を喧伝したのではないかと筆者は妄想しています。「中平」銘の入った鉄剣を後漢から贈られた人物は未だ九州の地に住み地域の「王」として君臨していたのではないか?一族の娘たちを輿入れさせ濃い婚姻関係にあった帝室の当主が東の国に進んで「国」を建てたのを機に、和邇氏も本拠地を倭に移し共栄の途を選択したのではないのか?それが今回の結論です(神武たちの「東征」に欠かせない物が船団でした。海人の協力無しに瀬戸内を進むことなど出来ませんでした)。
    出典
    http://www.ten-f.com/wanishi-no-hurusato.html

  • 姓氏録では、吾田方隅命は宗像の祖・和仁古の父(祖先)とされており、和邇と和仁古は近いと言えば(発音が)近い。天理の和邇町には、和邇氏の和邇下神社(祭神は孝昭天皇またはスサノオ)があり、和邇坐赤坂彦神社(吾田方隅命)があります。
    しかし、和邇氏は皇別、宗像氏は神別です。同じ吾田方隅命から出た後裔なのに、違ってしまうのですね。
  • 気多御子神社
    創祀年代は不詳。
    式内社・氣多御子神社に比定されている古社。
    明治までは、神明宮とよばれ、相殿に白山宮。
    現在は、式内気多御子神社と称して、祭神も三柱となっている。

    社域の森は、「神ヶ森」あるいは「北森」とよばれ、「北」=「気多」。
    天日方奇日方命
    当社の神鏡には「天日方奇日方命」と鋳出されているという。
    当社では、「天日方奇日方命」が大物主神(大己貴命)の奇御魂であるらしい。
    「天日方奇日方命」は、櫛御方命とも呼ばれ、大物主神の御子。あるいは、大己貴命の御子・事代主命の御子とされているが、ようするに、大己貴命の直系子孫。
    神武天皇皇后媛蹈鞴五十鈴媛命の兄でもあり、大神朝臣・賀茂朝臣・石辺公の祖ともされている。

    神紋は、社殿には「五七桐」が付いていたが、神馬像には「五三桐」だった。

  • 別名
    天日方奇日方命:あめひがたくしひがたのみこと
    武日方命:たけひがたのみこと
    阿田都久志尼命:あたつくしねのみこと
    鴨主命:かもぬしのみこと
    久斯比賀多命:くしひかたのみこと
    ……
    『古事記』によると、大物主神は陶津耳命の娘・活玉依毘売と結婚して、櫛御方命をもうけられた。 この櫛御方命の子が飯肩巣見命。、その子が建甕槌命(鹿島神宮祭神の建甕槌命とは別神)。 その子が意富多多泥古、『日本書紀』では大田田根子である。

    子孫の大田田根子は、崇神天皇の御代に三輪山の神主となった。

    三輪叢書所載の『系譜三輪高宮家系』に、天事代籤入彦命(事代主神)と大陶祇命の女、活玉依比売命の子、 天日方奇日方命(一名、武日方命、櫛御方命、阿田都久志尼命、鴨主命)とあり、 神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命の兄で、 『姓氏録』大和国神別に大神朝臣・賀茂朝臣の祖、石辺公の祖ともされている。

    また、『先代旧事本紀』に、天日方奇日方命は、神武天皇の時、食国政申大夫として橿原宮に供奉したことある。

    櫛御方命 を祀る神社ー

    美和神社 岡山県瀬戸内市長船町東須恵字広高山1064
    桐原石部神社 新潟県長岡市上桐シデノ木2169
    桐原石部神社 新潟県長岡市寺泊下桐1848
    御嶋石部神社 新潟県柏崎市北条304-1
    水嶋礒部神社 新潟県糸魚川市大字筒石464
    佐波々地祇神社 茨城県北茨城市大津町1532
    佐波々地祇神社 茨城県北茨城市華川町上小津田1233
    葦神社 三重県伊賀市上阿波2665
    美保神社 境内 若宮社 島根県松江市美保関町美保関
    石部神社 石川県小松市古府町カ169
    宮村部神社 石川県加賀市宮町ヌ-9-1
    熱串彦神社 新潟県佐渡市長江854
    粟野神社 長野県長野市豊野町石2644
    石部神社 兵庫県豊岡市出石町下谷62
    深坂神社 兵庫県豊岡市三坂字見手山76-1
    刀我石部神社 兵庫県朝来市和田山町宮645
    大川上美良布神社 高知県香美市香北町韮生野大宮243
    木野神社 福井県三方郡美浜町木野7-6
    御方神社 福井県三方上中郡若狭町三方21-1
    神坐日向神社 奈良県桜井市大字三輪字御子宮
    金拆神社 合祀 天宮社 奈良県桜井市大字三輪字山崎
    礒部神社 富山県氷見市磯辺1045
  • 新撰姓氏禄(815)によれば、賀茂氏には

     ①山城国神別(天神)--以下「山城賀茂氏」

    ・賀茂県主(カモアガタヌシ) 神魂命(カミムスヒ)の孫・武津之身命(タケツノミ)の後也
    ・鴨県主  賀茂県主同祖 神武天皇が中洲(ナカツクニ-大和)に向かわれたとき、山中嶮絶にして跋渉するに路を失う。この時神魂命(カミムスヒ)の孫・鴨建津之身命(カモタケツノミ)が大烏(八咫烏)と化して飛びかけり導き奉る。天皇その功を嘉み厚く褒賞せり、天八咫烏(アメノヤタカラス)の号は此より始まる。

    ②大和国神別(地祇)--以下「葛城鴨氏」という
     ・賀茂朝臣(アソン) 大神朝臣(オオミワアソン)同祖 大国主神の後也 大田田祢子命(オオタタネコ)の孫・大賀茂津美命(カモツミ)、賀茂神社を齋き奉る。よって姓を賀茂と負う

    ③左京皇別
    ・鴨県主 開化天皇(第9代)の皇子・彦坐命(ヒコイマス、10代崇神天皇の異母弟)の後也
    と、大きく3系統があったという

    令義解(833・大宝令・養老令の勅撰解説書)には、天神社・地祇社について
    「天神とは伊勢・山城鴨・住吉・出雲国造が斎く神等是ぞ、地祇とは大神(オオミワ)・大倭・葛城鴨・出雲大汝神等の類是ぞ」

    と記しており、9世紀の頃には、両氏は同じカモを名乗るものの異なる氏族と認識されていたらしい。
  • 八重都味歯八重事代主神 と 三島溝杭女 櫛玉姫
    その子は
    天日方奇日方命(神武朝食国政申大夫)
    姫鞴五十鈴姫命(神武皇后)
    五十鈴依姫(綏靖皇后)
  • ツミハヤエ事代主は、天冬衣の子


    東出雲の熊野大社司祭の向家旧家伝書
    スサノオ×
    クナト(国常立)大神○-八島篠-布葉之文字巧為の子
    八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八重波津身=事代主直系・・神門臣家は、国譲り以降・・千家家の穂日系譜入り。
    深淵之水夜礼花-深淵之水夜礼花-淤美豆奴-天之冬衣-八重波津身=事代主直系・・向家・富家は、国譲り以降・・北島家の穂日系譜入り。
    ※八重波津身=事代主の子筋に・・-阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-初代神門臣家の速甕之建沢谷地乃身-甕主彦・・
    ※2八重波津身=事代主の子筋に・・-諏訪家の建御名方と登美(富)家
    ※3阿遅須枳高日子を櫛玉・出雲建子=伊勢津彦と南関東国造家が呼んでいるようで、鹽冶毘古能が長脛彦と言われて居たり、登美の姓なので、向家筋なのか不明。

    神門臣家の子筋に・・阿多=木花知流比売-出雲(神門)振根-出雲(神門)伊賀曽熊-建部(武部)氏と出雲(神門)笠夜・・島津(志摩)国造家の島氏(斯摩宿禰)(志摩・司馬)[島族](古代南関東国造家の[三字以音]散自出雲)・母系神門臣家の武内宿禰。
    ※阿遅須枳高日子と宗像三女神の多岐理姫の子が鹽冶毘古能-神門臣家
    ※2阿遅須枳高日子の娘・・母系で鴨氏・三輪氏

    向家・富家の子筋に・・飯入根。古代南関東国造家の[三字以音]散自出雲や蝦夷が居る。
  • 向家・富家
    クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑤深淵之水夜礼花-淤美豆奴-⑦天之冬衣-八重波津身(事代主)-⑨鳥鳴海-⑩国忍富-⑬田干岸円味-⑮布忍富取成身-⑯簸張大科戸箕-弩美宿祢-飯入根

    神門臣家
    クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-
    ⑥八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-⑧八千矛(大穴持・大国主)-伊佐我(伊佐波)・阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-⑪速甕之建沢谷地乃身-⑫甕主彦-⑭身櫓浪-⑰遠津山崎帯(佐比祢足尼?)-⑱振根=倭健(日本武)?-伊賀曽熊(鹽手?)の子↓
    建部(武部)・斯摩宿禰(志摩・島-島谷(散自出雲族?))
  • May 2016 編集されました
    賀茂一族系図(三輪高宮家系譜)
    建速素盞嗚命─大国主命─都美波八重事代主命─天事代主籖入彦命─奇日方天日方命 ー 飯肩巣見命 ー 建甕尻命 ー 豊御気主ー大御気主ー建賀田須命(兄に阿田賀田須命)ー大田田根子命

     三輪高宮家系譜に言代主が二代続いている。他の系図との比較によりこの系譜だけが1世多い。また、大国主命と都美波八重事代主命が共に大物主の別名を持っている。

    建速素盞嗚命、紀伊国熊野大神、八束水臣津野命

    大国主、和魂大物主、荒魂大国主、葦原醜男命、八千矛神
    母は奇稲田姫

    都美波八重事代主命 、又 名 猿田彦、大物主神
    母は神屋楯比売命 、大和国宇奈堤坐事代主神、、摂津国矢部郡長田大神

    天事代主籖入彦命 、 又名 事代主神 、玉櫛彦命
    母は三島溝咋耳命女玉櫛姫、大和国添上郡率川阿波神

    奇日方天日方命、一名武日方、櫛御方命、阿多都久志尼命
    母は大陶祇命女活玉依姫

    比売蹈鞴五十鈴媛と五十鈴依媛と奇日方天日方命は、同母兄弟


    三輪叢書所載の『系譜三輪高宮家系』には、
    大陶祇命とあり、娘の活玉依比売命は 天事代籤入彦命(事代主神)の妃で、天日方奇日方命の母。
  • 安寧天皇の第三子磯城津彦命の系図は、下記のとおり。

    安寧天皇―磯城津彦命―和智津彦命―蝿伊呂居・・・・・(系不詳)・・・・【十市】勝良―春宗―【中原】有象

    (十市流中原氏へ)―致時―師任-師平―師遠― 西大路】師清―師直-師方―師朝―師弘―師冬―師緒―師利

    ―師仲―兼保
        兼遠

    安寧天皇の第3皇子、磯城津彦命の後裔の十市宿禰有象が中原姓を賜姓されたことに始まると伝える。
  • June 2016 編集されました
    鴨氏は、事代主の系譜である。
    秦氏とは、関係ない。後世に渡来した秦氏が、大山咋神などを、大山祇神と付会させ習合させて、鴨神も奉斎した。
    下記の文は、間違いです。
    「鴨神は、秦氏である」
    京都・太秦の「元糺の森」には、「蚕の社」または「木島坐天照御霊神社」があり、元糺の池には三柱鳥居が立つが、三輪の三ツ鳥居とは別物。

    三ツ鳥居(みつとりい)は、鳥居の様式の1つである。三輪鳥居(みわとりい) である。1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたもの。

    木嶋社の天照御魂神の神格について、史料上では天照国照天火明命(天火明命)説・天照大神説・天日神命説などが見られる。上記の天照御魂神・天照神・天照玉神を社名とする神社の多くでは現在の祭神が天火明命(丹波・尾張氏祖神)とされることに基づき、これらの神を特に丹波・尾張氏の奉斎神とする説があり、その説の中で木嶋社の地には元々尾張氏系の人々がいて天照御魂神を奉斎していたが、秦氏の渡来・開拓とともにその在地系祭祀が継承されたものである。

    付会され、継承されたものでありました。
  • June 2016 編集されました
    三ツ鳥居と三柱鳥居

    三 輪 鳥 居 (明神系)

    愛宕神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    愛宕神社 静岡県静岡市

    ギンザコマツ 三輪神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    三輪神社 東京都中央区

    赤嵜神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    赤嵜神社 山口県山陽小野田市

    三輪神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    三輪神社 愛知県名古屋市

    三輪神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    三輪神社 岐阜県揖斐郡揖斐川町

    白峰宮 三輪鳥居 三ツ鳥居
    白峰宮しらみねぐう 香川県坂出市

    加麻良神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    加麻良かまら神社 香川県観音寺市

    美和神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    美和神社 長野県長野市

    檜原神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    檜原ひばら神社
    奈良県桜井市

    三峯神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    三峯神社 埼玉県秩父市

    坐摩神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    坐摩いかすり神社 大阪府大阪市

    牛嶋神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    牛嶋神社 東京都墨田区

    三 輪 鳥 居 (神明系)

    長浜神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    長浜神社 島根県出雲市

    神神社 三輪鳥居 三ツ鳥居
    神みわ神社 静岡県藤枝市

    三 輪 鳥 居 (稚児柱付き)

    和納三社神社 三ツ鳥居 三輪鳥居
    和納三社神社 新潟県新潟市

    神明宮 三ツ鳥居 三輪鳥居
    神明宮 新潟県長岡市

    伊香具神社 伊香式鳥居
    伊香具いかぐ神社 滋賀県長浜市

    三 柱 鳥 居

    木嶋神社 三柱鳥居 三ツ鳥居
    木嶋このしま神社 京都府京都市

    三囲神社 三柱鳥居 三ツ鳥居
    三囲みめぐり神社 東京都墨田区
    宇迦之御魂之命を祀る

    三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。
  • 武甕槌について『古事記』と『先代旧事本紀』に興味深い系図が載っている。

    『先代旧事本紀』に素戔烏尊―大己貴神―都味歯八重事代主神―天日方奇方命―健飯勝命―健甕尻命亦名健甕槌命という系図が記されており、『古事記』にも意富多多泥古の祖先として大物主神―櫛御方命―飯肩巣見命―建甕槌命とある。
    経津主・武甕槌両神は天太玉命の孫又は曾孫とする説もあるらしい
    http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/tb2ktr.htm
  • September 2018 編集されました
    『古事記』によると、大物主神は陶津耳命の娘・活玉依毘売と結婚して、櫛御方命をもうけられた。 この櫛御方命の子が飯肩巣見命。、その子が建甕槌命(鹿島神宮祭神の建甕槌命とは別神)。 その子が意富多多泥古、『日本書紀』では大田田根子である。

    子孫の大田田根子は、崇神天皇の御代に三輪山の神主となった。

    三輪叢書所載の『系譜三輪高宮家系』に、天事代籤入彦命(事代主神)と大陶祇命の女、活玉依比売命の子、 天日方奇日方命(一名、武日方命、櫛御方命、阿田都久志尼命、鴨主命)とあり、 神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命の兄で、 『姓氏録』大和国神別に大神朝臣・賀茂朝臣の祖、石辺公の祖ともされている。

    また、『先代旧事本紀』に、天日方奇日方命は、神武天皇の時、食国政申大夫として橿原宮に供奉したことある。

    石部神社

    御祭神  天照坐皇大御神 ( あまてらすすめらおおみかみ )
           大名牟遅命    ( おおなむちのみこと、大国主神 )
           天日方奇日方命 ( あめのひがたくしひがたのみこと )

    近江国 愛智郡 ( えちぐん ) 鎮座式内社。  旧社格は県社。

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    石部神社は、延喜五年 ( 905年 ) に醍醐天皇の命により編纂された延喜式にその名がみられる。

    社伝の一つには、神護景雲元年 ( 767年 ) 石部公行冨の創祀とされ、石辺公の始祖久斯比賀多命 ( くしひがたのみこと、天日方奇日方命:あめのひがたくしひがたのみこと )が祭神に含まれることから、「 石部 」 や 「 石辺君 」 などの古代氏族と関係が深い神社とされる。

    かつては上社と下社に分かれていたが、応仁の乱で上社は被災し、下社 ( 現在地 )境内に遷されたと伝わる。上社の跡地は磯部の小字善法寺方といわれ、現在は石部神社の御旅所となっている。
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