人類の起源 その3:気候変動とマンモス絶滅の謎

マンモス(ケナガマンモス)の絶滅については、いくつかの説があり、原因が究明されてはいないらしい。
1.気候変動(温暖化)による植生の変化説
2.旧石器人のマンモスハンターによる絶滅
3.地軸の移動による気候の激変、あるいは新星爆発の隕石による気候の激変説 など
である。
マンモスは,およそ 500 万年前に,現生のゾウの仲間と分岐したとされ,150 万年前にはヨーロッパから北米大陸にまで広がっていったといわれている。9種類のマンモスが今のところ知られており,現在すべてが絶滅している。絶滅したのは約4万−1万年前頃。他の多くの大型哺乳類とともに絶滅。

マンモスの生息域:ヨーロッパ、北アジア(含む日本)、北米
大きさ     :全長5.4m、肩高2.75~3.5m 約4~5トン
大きい牙     :全長は、横への直線部と上への曲線部併せて2.8m、太さは最も太い部分で50cm弱
食べ物
北アメリカカバの木、コリヤナギ、マツの葉や枝など。マンモスが生活していた草原は冬には零下数十度以下にもなる寒冷気候。(シベリアのレナ河沿岸のペレオゾフカで発見された凍結死体の胃の内容物検査から判明した)
マンモスの寿命マンモスの牙には年輪をはじめとする成長縞が記録されており、それによって年令が判る。ケナガマンモスの場合は平均寿命は45歳くらいで、最年長としては60歳から70歳くらいまででは生きられた
日本のマンモス
2万8000年前の最終氷河期には北海道はツンドラ化されていて、マンモスはそこにも姿をあらわしていた。北海道の夕張市や襟裳岬付近から特徴的な歯の化石がでている。この時期、本州にはナウマンゾウが生息していたがマンモスが本州ににまで足をふみいれた記録はない。
まず2.のマンモスハンター説の根拠としては
A.住居跡の多数のマンモス
・東部ヨーロッパの遺跡にはマンモスハンターに狩られたマンモスの死骸が山積み。ウクライナ地方にはマンモスの牙や骨でつくられた住居跡があった。
・ウクライナのメジリチ遺跡では、一軒の家を建てるのに96頭分の骨からよりよい材料が選ばれた。また別のメジリチ遺跡では家の土台に14個の頭がい骨が使われていた。
B.犬などが凍土のマンモスを食する
などがあげられる
本命は1.の気候変動説のようだ。
1万年前に絶滅したとされるマンモスである。人類の起源でも書いたように、1万年頃前から急速な温暖化が始まり、氷河が溶け、海面上昇が起きた。
最も、海面が低下したのは、現在より100m近くも海面が下がった1.8万年前が最終氷期の最寒気であった。このころは黄海も陸上にあり東シナ海の多くも陸地であり、東南アジアにスンダランドがあった。
最も海面が上昇したのは、縄文時代のことで6000年前頃(縄文海進)です。温暖化といっても、現在よりも、極端に氷河の多い時期から、現代なみの気候に移った時期のことであろう。
ちょうどこの温暖化の時期に、寒い地域の草原で草や低木を食べて暮らしていたのに、温暖化による降雨と湿潤化により、森林が繁茂し食料不足になったとの説である。
氷河期の北極圏の氷床の南には広大な草原が発達したため、長い毛や皮下脂肪を発達させ寒さに適応した(この適応は動物にとって比較的容易に達成できる)多くの草食獣のパラダイスとなった。温帯で狩猟生活をおこなっていた旧石器時代人にとっても、多くの大型草食獣を年間を通して容易に狩ることができるマンモスステップは毛皮の防寒具を身に付け、毛皮で屋根を被った家を用意さえすれば、安定した生活のできる定住地があった。氷河期末の温暖化によって降雪がいちじるしくなり草原が被われたことや、湿潤な気候下で草原が森林に急速に置き換わり生活場の草原が失われたことが原因となって、又人の狩りがそれに追い討ちをかけたことによってマンモスは絶滅に追いやられてしまったとの説が有力らしい。
最後のマンモスは北極海のランゲル島で見つかっているコビトマンモスと言われ、島嶼に隔離されたため小型化が進み体高は1m程のものであったといい,3700 年前にこのマンモスを狩っていたという説もあるとのことである。
バイソンのDNA分析と結果:英オックスフォード大など米英露カナダの国際共同チームによる分析
北米やシベリア、中国などで発見された約6万年前から現在までの絶滅種を含む大型哺乳類バイソンの骨片試料352個から、細胞内の小器官ミトコンドリア由来のDNAを抽出。時代とともにDNAが変化する様子から、いつ、どのような系統が絶滅したかを調べた
<結論>
バイソンは約3万7000年前をピークに激減し始めたことが判明。このころ厳しくなった氷期の寒冷化が原因と見られます。この変化がマンモスなどの大型哺乳類にも影響を与え絶滅をうながしたのではないかというのがこの研究の結論
<1.8万年前の気候>
海洋表層に生息するプランクトン群集による生物温度計をもちいて表層の水温を推定する方法を利用します(この方法を用いるとプランクトン採集地の実測水温を誤差1度C程度で正確に推定できます)。海底に降り積もった18000年前のプランクトン化石群集を用いれば18000年前の表層水温を誤差1度C程度で推定が可能。
<温暖化とCO2>
温暖期には陸上では森林がより発達し、光合成によって多くの温暖化ガスであるCO2を取り込み、又海洋ではサンゴ礁が拡大しCO2をサンゴ骨格中に固定することなどによって大気中のCO2は減少する方向にはたらくので、温暖化にはブレーキがかかる。温度変化は高緯度で時として100年当たり5度以上の大きな変化もあった。
地球温暖化の最近の予測は、A2モデルでは、100年で3℃くらい気温が上昇するというシミュレーション結果となっている。過去の気温上昇は、現在の予測以上であった??。
南極ボストークの氷床コアによる42万年前までの長期温度変化

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左が現在で右が過去(単位:1000年)

現在は、最も平均温度が高い時期にあたるようだ。図から絶滅時期の急激な温度上昇がわかる。
気候変動と文明
17000年前 気温は現在より-8℃低かった。
14000-13000年前 -4℃に上がる。
11000年前 ±0℃に上がる
8300年前 +1.5℃~-0.5℃         (海+1m~ -1m)
黄河文明、エジプト文明、そしてメソポタミア文明が起きる。
6300年前 -1.5℃~±0℃          (縄文海進2.5m)
気温上昇し、トロヤ文明、クレタ文明が栄える。
サハラ砂漠の高原、タッシリ・ナジェールは緑の森
ナイル川の増水、ノアの箱舟伝説
4300-4000年前 +1.2℃~-0.8℃      (海+2m~ -1m)
大干ばつがおきて乾燥し寒冷化した。
雨水が減り農地に塩化現象が起きてメソポタミア文明滅びる。
2000年の周期で文明の興亡が起こっており、気候変動と連動しているようです。
tokyoblogの推測
・一万年ほど前に、人類は進化して、石器を使い出すとともに、犬などを家畜化したのではなかろうか。それによって狩猟能力を高めるとともに、寒い草原地帯に進出してマンモスハンターとして、その絶滅を進めた可能性がある。
・日本の貝塚で紀元前7000年頃の犬の骨が見つかっている。また、2万年前ごろからシベリアでは石器が使われているのが、上記仮説の傍証になろう。
・バイソンの研究からみると、もしかしたら急激な温度低下ど凍結による食料不足の方がマンモスにとって問題だったのかもしれないとも思った。それに激しい気候変動による降雪のなかで、マンモスは閉じ込められたのかもしれない。
・驚くのは、気候変動と海面上昇の実績である。縄文時代(6000年前頃)の海面は、現代よりも3から5mほど上昇し、岐阜の大垣や関東の筑波の内陸近くまで水面が上昇しており、また現在予想されているよりも激しい温度上昇の実績(5度/100年)があった。それでも当時の日本人の祖先は、森の木の実や貝や魚、栽培穀物で生き延びてきたという事実である。当時の海岸線に沿って縄文遺跡が残っている。逆にスンダランドのあった1万数千年前は海面が100mも低かったという。
参考用:2酸化炭素と地球
人口の超長期推移