虎ノ門の金刀比羅宮、あん餅雑煮

寒いなか、虎ノ門まで初詣しました。
金刀比羅宮は、大物主を祀っています。
何故、虎ノ門に金刀比羅宮があるか?

答え

讃岐の丸亀藩の藩邸に、京極さんが祀ったのです。おかげさまで、東京で金刀比羅宮にお参りできます。

万治3年(1660年)、讃岐丸亀藩の藩主京極高和が芝・三田の江戸藩邸に金毘羅大権現を勧請。

延宝7年(1679年)、丸亀藩江戸藩邸の移転とともに現在の虎ノ門に遷座。

讃岐では、お雑煮は、丸餅を白味噌で頂きますが何故でしょう。

香川で餡餅雑煮が食べられだした始まりは
・正月ぐらい贅沢をする
・縁起をかつぐ
・和三盆文化があった
諸説ある。
京都四条河原町の近くに、新京極通があります。京極さんが丸亀藩に移ったので京都風のお雑煮になったのではないか?
これは新説かもしれないです。
東讃が始まりとも言われているし、広域にあん餅があるので、細川さんの時代からかもしれないですね。

http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/syoku/1/

「あんもち雑煮」は香川県の定番お正月料理。丸餅の中にあんこが入っているのが特徴で、 具には大根・にんじんなどが使われる白味噌仕立てのお雑煮です。 丸餅の白味噌仕立のお雑煮といえば京都が知られ、香川県に伝えられた由来は、崇徳上皇 が保元の乱(1156年)に敗れて讃岐に流されて京都から伝えられたとの説と、 上皇の想いが 讃岐の人々に伝わり京都風の白味噌文化が広まったという説があります。 餅の中に餡を入れるのは、江戸時代に「讃岐
三白(塩・砂糖・木綿)」と呼ばれたように 砂糖は贅沢品で、せめて正月くらいは食べたい という庶民の思いから、 小豆餡の形で料理に 取り入れられました。

岐阜・愛知を境に、東日本と西日本に大きく分けることができるそう。
大きく分けると、
東日本…しょう油のすまし汁で焼いた角餅を入れる
西日本…白味噌の汁で煮た丸餅を入れる
という特徴があるそうです。ちなみに「西日本でも、中国・九州地方はすまし汁のことが多い」のだとか。

京極さんは、細川氏の支流で、元をたどれば、佐々木加治三郎盛綱の兄の系譜です。

源平の争乱で活躍した佐々木氏は鎌倉幕府の元で近江国守護に任じられ、承久の乱で一族の多くが上皇方についたため一旦は縮小を余儀なくされたものの、佐々木氏惣領の六角家を近江守護として、大原、高島、京極とそれぞれが庶流家を立てて近江国内に割拠することになります。

京極家からは婆沙羅大名として名高い京極高氏(道誉)が出て、惣領家を差し置いて近江守護に任じられたこともあり、近江北郡に多くの所領を獲得した京極家は、室町時代後期に至って六角家と近江の統治を巡って争うことになりました。

京極さんは、この縁で近江の沙沙貴神社神社の改修に尽力されています。

江戸時代天保年間に消失した社殿を再建した丸亀藩主京極高明。

四つ目結は嫡流である定綱の流れが用いたが、京極さんも四つ目紋です。丸亀の京極だるま凧には、京極さんの紋と達磨がデザインされています。

丸亀の京極だるま凧

凧の話


江戸時代に凧が流行った。讃岐丸亀藩の京極さんはだるま凧です。
乗馬、相撲、釣りなどと同様、武士も楽しんだという。
江戸の藩屋敷は虎ノ門の琴平あたりにあり、愛宕山の階段を馬で駆け上がった馬垣平九郎は有名になったとか。

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http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/syoku/1/

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