讃岐 金倉寺

智証大師ゆかりの寺

讃岐国(香川県)金倉郷に弘仁5年(814年)に誕生。多度郡弘田郷の豪族・佐伯一門のひとり。俗姓は和気。字(あざな)は遠塵。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたる。生誕地は善通寺から4kmほどのところ。幼少から経典になじみ、15歳(数え年、以下同)で比叡山に登り義真に師事、20歳で落髪し12年間山にこもり学頭となる。

仁寿3年(853年)に新羅商人の船で入唐、途中で暴風に遭って台湾に漂着した。天安2年(858年)に唐商人の船で帰国。帰国後しばらく現四国八十八箇所第76番金倉寺に住み、寺の整備を行っていた模様。その後比叡山の山王院に住し、貞観10年(868年)延暦寺第5代座主となり、園城寺(三井寺)を賜り、伝法灌頂の道場とした。後に叡山を山門派が占拠したため園城寺は寺門派の拠点となる。円珍が唐より持ち帰った一切経の2組は、園城寺と実相寺に収められた。入寂は、寛平3年(891年)78歳。三井寺には、円珍が感得したとされる「黄不動」「新羅明神像」等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上も注目される。

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